第10話「夢の終着点」

「……見えてきた。横浜港だ……!」


 こみ上げる感動を胸に、宇佐華鈴は声を弾ませる。

 長き船旅のゴール地点。そこには大切な人々が、今も鈴の帰りを待っているはずだ。


 世界中の荒波を越えて、試練と挫折を乗り越えて。

 ついに、鈴は夢の終着点に立っていた。


『巧……お父さん、お母さん……この日を、どれだけ待ち焦がれたことか……!』


 胸を熱くしながら、鈴は慎重にヨットを岸壁に横付けしていく。

 やがて、小さな船体が完全に静止した時、埠頭からどよめきが起こった。


横浜港の埠頭に、夕陽が赤く染まりながら沈んでいく。

潮風が優しく吹き抜ける中、一隻のヨットがゆっくりと岸壁に接岸する。


甲板に立つ宇佐華鈴の姿を認めた瞬間、埠頭は歓声に包まれた。

その中を、一人の女性が群衆を掻き分けるように駆け出す。


「鈴……! 無事だったのね……!」


 母・玲子の声が、潮騒を越えて鈴の耳に届く。

 その声に、鈴の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。


 玲子は躊躇なくヨットに飛び乗り、娘を力強く抱きしめる。

 その腕には、何年もの心配と不安、そして今この瞬間の安堵と喜びが込められていた。


「鈴…… 鈴……」


 玲子は娘の名前を何度も呼びながら、嗚咽を漏らす。

 その瞳は嬉し涙に濡れそぼっていた。まるで夢を見ているかのような恍惚の表情。


「……ただいま、お母さん。……約束通り、帰ってきたわ」


 鈴もまた、堰を切ったように涙を流す。

 長い航海の間、どれほど母の温もりを恋しく思ったことか。

 今、その全てが溢れ出すように、鈴は母の背中をそっと撫でる。


 その時、静かに近づいてくる足音。


「……よくぞ帰ってきた。お前の勇気と情熱に……心から敬意を表するよ」


 父・要が、鈴の頭を優しく撫でる。

 普段は寡黙な父の目に、今は歓喜の涙が光っていた。

 その笑顔には、娘の勇気を心から讃える誇りが満ちあふれている。


「お父さん……私、やったわ。……世界中の海と戦って、夢を……現実にしたのよ……!」


 鈴は父の胸に飛び込み、嬉し涙にむせび泣く。

 幼い頃から憧れていた父の背中。その父に認められた喜びが、鈴の全身を駆け巡る。


 そして、もう一人の大切な人が近づいてくる。


「鈴……おめでとう。君は、誰よりも……強くて、美しい……」


 恋人・黒瀬巧が、そっと鈴の頬に口づける。

 その瞳には、鈴への愛情と尊敬の念が溢れていた。


「巧……ただいま。……私、約束……守れたわ……」


 鈴は巧の手をぎゅっと握りしめ、幸せに満ちた笑顔を浮かべる。

 旅立ちの日に交わした誓い。遠く離れた故郷で待つ最愛の人との約束。

 その全てが、今この瞬間に成就したのだ。


 夕焼けに染まる横浜港。

 そこに集った人々の歓声と拍手が、鈴を包み込む。

 世界一周の大冒険を成し遂げた若き航海者を称える、最高の褒め言葉。


 鈴は深く息を吸い込み、そして静かに吐き出した。

 長かった旅路の終わり。そして新たな人生の始まり。

 その境目に立ち、鈴は愛する人々に囲まれながら、穏やかな微笑みを浮かべるのだった。


 そしてぎゅっと巧の手を握りしめて、鈴は幸せに満ちた笑顔を浮かべる。


 旅立ちの日に誓った言葉。遠く離れた故郷で待つ、最愛の人との約束。

 その全てが、今こうして成就を見たのだ。



 埠頭には、たくさんの人だかりができていた。

 鈴の快挙を祝福しようと、友人や関係者が続々と駆けつけてくる。


「鈴ちゃん、おめでとう!あなたは、私たちの誇りよ!」


 駆け寄ってきたマリンスポーツ仲間たちが、口々に祝福の言葉を贈る。


「みんな……!私、夢……叶えられたのよ……!」


 満面の笑みを浮かべながら、鈴は仲間たちと抱き合う。


 かくして伝説は、新たな1ページを刻んだ。

 幼い頃の鈴が見果てぬ夢を抱いてから、十数年。

 幾多の困難を乗り越え、七つの海を制覇した若き女性航海者。

 その名は、宇佐華鈴。

 彼女の偉業は、歴史に燦然と輝く一つの金字塔となるだろう。


「でも、私の夢は……まだ、終わらない。次は、新たな海図を……描いていくの」


 感極まりながらも、鈴の眼差しは早くも遥か彼方を見据えている。

 果てしなき海の物語。それは、新たな旅立ちの予感に満ちていた。


「……ええ。君なら、きっと……もっと先を目指せる。私は……いつまでも、君の味方だよ」


 巧もまた、妻の夢を心から支える覚悟を胸に秘めていた。


 ヨットの帆を高らかに掲げて、宇佐華鈴の船出は再び始まる。

 一つの夢の終着点。しかしそれは、新たな夢への出発点でもある。

 七つの海の向こうに、どんな世界が広がっているのだろう。

 希望に胸を躍らせながら、若き冒険者は再び、大海原へと旅立っていくのだった。


(了)

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