第36話 抑止解錠
足元に気配を感じ、私は下を見た。
ぎょっとした。
海水の中、タイルの上を何かが覆っていた。
ツタだ。水中を蠢く大量のツタが、見える限りの範囲を覆っていて、足が見えない。
絶えずうねっているそれに棘はなく、私に害をなす動きを取ったりもしていない。しかし、もう一人の方に対してはそうではない。
私はイヅルだったモノの方に視線をやって、無意識に、数歩後退した。
視線の先では茶色いツタが、イヅルの手足へ這いあがり、絡みつき、さらには水中に引きずり込もうとしている。
「う う ……!」
イヅルの顔が、苦悶の表情を浮かべる。体をあちこちにくねらせて抵抗を試みているが、その程度、まったく効果を示さない。
体だけでなく、魔力でも抵抗をしようとしているのが確認できた。しかし、イヅルの体内から流れる汚れた魔力はすべて、ツタが即座に吸収している。ツタは、それすら養分にしているのか、さらに勢いを増してイヅルの体にからみつく。腰や肩、首にまで到達し、締め付ける。
イヅルだったモノは、苦しそうな声を上げながら、さらに魔力の勢いを高めた。流れる魔力の量が膨れ上がると、ツタが吸収しきれず、汚れた魔力が漏れ始める。すると、少しずつ、少しずつ、あふれた魔力が形を成して、イヅルの両腕に集まっていく。
まもなくなんらかの魔法が発動可能になる。と、そう思った時、ウズネが現れた。
剣を持った六人のウズネが、イヅルを取り囲む位置に、現れた。
それぞれ全く同じ、目だけを大きく開いた表情で、イヅルの体を睨みつけている。
イヅルは暴れながら、周囲のウズネに視線を走らせた。しかしなにもできない。
六人のウズネは、同時に一歩前へ出た。イヅルを囲む円が狭くなり、手を伸ばせば届く距離になる。そしてウズネたちは、片手に持っていた剣を一斉に掲げた。
斬るつもりだ。幻のなかでの攻撃が現実でどのように影響するかはまだわからないが、それでも、今ここにいるウズネは、姉の姿をした化け物を迷いなく切ろうとしている。
妹の決意に、私が介入する余地はない。
「かえして」
ウズネたちは、いっせいにそう口にした。
すべての剣先に魔力がこもる。一本一本の剣が、紫色につつまれた。円状に灯る薄明かりに、水の中のツタがほのかに照らし出される。
ウズネはもう一度叫んだ。その目は泣いているようにも見えた。
「かえして!」
六つの斬撃が、同時に振り下ろされた。
薄紫色の灯りが軌跡を描き、中心にある一点へ集う。
そのとき、今まで必死に抵抗していたイヅルが、
暴れるのをやめ、足元に向かって、唸り声をあげた。
「うううああああああぁぁぁ!!!」
耳をつんざく、頭の奥まで浸透して焼くような、不快な叫び。
離れた位置に立っていた私も思わず片方の耳を塞いだ。
近くにいたウズネは、どうなってしまったのか。
見ると、そこには、夜のグランドの景色が広がっていた。足元には水もツタも消えうせていて、湿った芝生だけがそこにはあった。
イヅルの正面で、一人のウズネが立っていた。息があがっている。
崩壊した幻覚。強制終了した。原因は、魔力を失ったから。
「っ……」
ウズネの魔力が空になっていた。決して使い果たしたわけではない。直前まで十分にあったはずの魔力が消えたのである。
イヅルの体は、疲弊するウズネを見ながらまっすぐに立っていた。イヅルの目にあったおぞましい黒が、顔全体にまで侵食していた。
私は周囲を一瞬見回した。
黒紫の薄い霧が、あたりに漂っていた。
ウズネの体が、大きくグラついた。
「イヅ……ル」
前方に倒れるその直前に、何とか間に合い、私は倒れ掛かったウズネの体を両手で受け止めた。
化け物に背を向ける形になる。
「大丈夫?」
「レア、逃げて……魔力が」私の耳のすぐ横で、ウズネは言った。
「抑制されてるんだね」
霧にそういう作用があるのだろう。おそらく、化け物の力だ。
「お願い、逃げて、イヅルに人殺しなんて、ぜったい……」
ウズネの顔が、私の肩に乗った。
どうやら気を失ったらしい。それほどまでに魔力を吸いつくされたのだ。霧は捕食の一環なのかもしれない。
「ウ ウ エ」
聞き取れなくなったイヅルの声。
ウズネを一旦芝生の上に寝かせてから、振り向いた。イヅルだった化け物は、もう一度ウズネに手を伸ばしていた。
汚れた魔力がうごめいている。
「食べさせないよ」
ウズネの前に、私は立ちふさがった。
化け物は無表情で私を見た。しかしそれは、たとえ今のイヅルが正常な外見であったとしても、一目で人間ではないと確信できるぐらい、気味の悪い表情だった。
ウズネは、イヅルに人殺しをさせたくないらしい。つまり彼女にとって、この化け物はまだ姉そのものなのだ。
おそらくこの化け物の正体は、イヅルの中に魔獣が宿ったものだ。そんな魔獣、私は知らないが、今重要なのは、あの体がイヅル本人のものであるということ。
かえして、とウズネは言っていた。人殺しをさせない、とも言っていた。もしかしたらウズネは、もしもどうしようもない場合、そのときはイヅルを殺す覚悟があったのかもしれない。
一つ、息を吐き出した。
目の前の化け物は、私を脅威だとは少しも思っていない様子だった。
私は自分の腰にある剣を抜いた。
やはりその剣は、恐ろしいほど手に馴染む。木剣よりも軽いのではないかと、そう錯覚してしまうほどに。
以前、魔獣に挑んだとき、あの時の私は一人だった。人類のための役割を果たすために、一人で戦おうとした。だから背負いきれなくて、解錠には成功しなかった。
けど今、私は、イヅルとウズネのために力を扱いたい。そう心から願うことができる。
エステルという、一人の少女をこの手で助けたのと同じように。
「どお そ と」
イヅルの姿をした化け物が、微かに首を傾げた。
人間であれば、その仕草は、なにか理解の及ばないことがあった時の動作。
どうやら、霧の中で私が平然と立っていることが、理解できないらしい。
「はっ」つまらない笑いが口からもれた。「魔力の抑制なんて、こっちはもう間に合ってる」
私は自分の胸に手を置いた。心臓の鼓動は、以前解錠したときよりも少し、落ち着いている。
ウズネは、もしもの時にはイヅルを殺すかもしれない。いや、確証はないから、結局どっちなのかはわからない。案外なにも考えずに攻撃していたのかもしれない。
でも私の場合なら断言できる。もしもイヅルの精神が乗っ取られ、拘束は不可能で、放置すれば人類全体に関わる被害が想定される場合、どうする。
答えは一つだ。
レアの力を使う。である。
この力を使って、イヅルから化け物を引きずり出す。私なら必ずそれができる。
「――
(申請許諾。宣言された目的のもと、戦闘能力の制限を解除)
「二人とも、必ず助けるから」
<感謝>の六界主(中身違い)〜死んだらいきなり正体不明の最強魔剣士になっていたので、彼女がどんな人間だったのか確かめたい〜 紳士やつはし @110503
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。<感謝>の六界主(中身違い)〜死んだらいきなり正体不明の最強魔剣士になっていたので、彼女がどんな人間だったのか確かめたい〜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます