第35話 廃墟の街の風景
イヅルが立ち上がった。
その瞬間、魔力の勢いが一気に拡大する。押し寄せる風に、髪とマントが揺れた。
「イヅル……?」
背後のウズネはそれ以上の言葉を失った。
イヅルは、少し目を見開いた無表情。しかしそれは、いつもの無表情とはかけ離れている。瞳の中が、黒い魔力で満たされているのだ。
「ウズネ、離れて!」私は前を見ながら、腕の動きで後退を促す。「……魔獣だよ」
「まじゅ、う……?」
ウズネが数歩下がる。かなり気が動転しているらしい。魔獣を前にしたのだから無理もない。
いや、まだ魔獣なのかすらわからない。イヅルのふりをした魔獣かもしれないが、中に魔獣を住まわせたイヅルなのかもしれない。ただ、確実に言えるのは、目の前の存在が持つ魔力が、急速に増大し続けているということ。
リューベリーの魔獣、私がこの手で倒した魔獣の魔力を思い出す。向かい合っただけで体中を這いまわる、あのおぞましい感覚。徐々に変質するイヅルの魔力が、少しずつそれに近づいていく。
すると、背後でスラリと金属の音がした。鞘から剣を抜くときに発せられる音。
「イヅルを、かえして」
振り返ると、ウズネが剣を構えていた。
私は唖然とした。普段の彼女からは想像もできないほどの気迫。模擬戦の時とは比べ物にならない魔力量は、彼女が体の限界を超えようとしていることを意味していた。剣の先が、イヅルの胸元を捉えている。姉を冒涜する者への殺気。
対して、イヅルだったモノは、ひどく空っぽな表情のまま、ウズネの方へ手を伸ばした。
「ウ ズ ネ……」淀んだイヅルの声。黒い魔力がその手に集う。
「ウズネ、まっ――」
私の制止を無視して、ウズネが一歩踏み出した。
その瞬間、
ポチャン、と波紋の音がして――
景色が、変わった。
「え……?」と声を漏らしながら、私はあたりに目を走らせる。
星空。古い街の広場。足元のタイルの上には膝の高さまで水が張っていて、匂いから海水だとわかる。周囲には朽ちた街並み。壊れたレンガの壁、針のない時計塔、水没した噴水。
見たことがない景色。見たことは無いが、知っている。間違いない。童話『廃墟の街の旅行記』に登場する一つ目の街と同じ特徴だ。
「ウ ズ ネ……」
イヅルだったモノの動きが止まる。その理由はわかる。ウズネの姿が消えたからだ。
私はその景色に圧倒された。
模擬戦のとき、私はてっきり、デコイこそがウズネの魔法なのだと思っていた。
だが違う。これはその上位互換。
幻覚魔法だ。
これがウズネの本気であり、本性。理想主義の妹が扱う魔法。
これほどはっきりとした幻にはまってしまえば、抜け出すことは困難である。
そして、術者は無限の幻の中で、逃れようのない攻撃を開始する。
イヅルの足元、海水の下で、大きな影が揺れた。
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