第34話 謝れるタイプのイヅル
開会式が開かれたのと同じ、芝生のグラウンド。この場所はウズネの頭からすっぽり抜け落ちていたらしく、まだ探してなかったのだという。
イヅルは、建物から離れた芝生の中心で、校舎に背を向けて立っていた。
トレーニング後なのだろうか。腰に剣は下げておらず、インナー姿だった。この時間の野外はひどく冷える。制服のジャケットとマントを羽織ってもまだ寒いくらいなのに、インナー姿のイヅルが凍える様子はない。
「イヅル!」
ウズネが駆け寄る。
私が後を追うと、イヅルは振り返ってウズネを見た。その目に感情はこもっていない。しかしそれは、この姉妹においては普通のことだろう。いつも通りのイヅルに見える。
「ウズネ」
とだけイヅルは言った。私のことは視界に入っていないらしい。姉妹の会話を邪魔する義理もないので、このまま見守ることにする。
「イヅル、どうしたの? ずっとここにいたの?」
ウズネが困惑した様子で問う。
困惑の気持ちは私にもよくわかる。己の生活習慣を固く守ってきたイヅルが、一人でこんな場所に立っていて、しかしなんの異常もない。不可解だ。ウズネにとってはもっと不可解だろう。
イヅルは敷地の向こうの暗い街を見て言う。
「なんでもない。ただ考え事をしてただけ」
なんでもないと、そう言うイヅルは本当に何でも無さそうだった。普段ならばそれで納得してしまうような、ごく当然な事実を告げた言葉に聞こえた。
しかしこの状況では、それが尚更不可解だった。
「どんなこと?」ウズネが問う。
「昔のこと」
「昔の、なに?」
ウズネは迷わずに切り込んだ。たとえ彼女が聞かなかったとしても、私が代わりに聞いていただろう。
「魔剣士になるって、決めたときのこと」イヅルはやはり何でも無さそうに言う。
「……どうして」
「今日、散々負けたから。この訓練の話を聞いた時、ウズネには「メリットがあるかわからない」って言ったけど、あれ、思い上がりだったみたい」
「それと昔のことがどう繋がるの」
「あたしは、リヴァグルの襲撃からずっと、強さだけが自己証明だと思ってきた。だけどその強さがないってわかった以上、あたしの価値ってなんだろう、って」
夜の街を見ながら言うイヅル。その言葉に私は、もしかしたら、と思った。もしかしたら、本当にただ思い悩んでいるだけなのではないか。例え今まできっちりと習慣を守っていたのだとしても、精神状態の積み重ねによって、それを破る日があってもいいのではないか。昨日まで完璧だったとしても、今日までそうとは限らないのではないか。
「最初はウズネを守りたいから魔剣士になろうとしたけど、あれも思い上がりだった」
ただでさえ、日常からは離れた機会に立たされているのだ。マイナスな思考に走ることも、可能性としてゼロではない。だってイヅルは、人間なのだから。
いや、しかし、なぜだ。そうならそうだと容易く納得することができない。
この違和感。何かが、おかしいような。これは気のせいなのだろうか。
「ごめん、ウズネ。あたしのせいでさんざん苦労してきたよね」
ウズネを見て、イヅルは言った。微かに涙ぐんでいるように見えた。
私はわからなくなった。本当にイヅルが胸の内を話しているだけなら、私は早々に立ち去るべきだ。しかし、私の頭の半分がそれを否定する。これは一体なんなのか。
私はウズネを見た。彼女はイヅルを見て、ぎょっとしていた。
驚いている。なぜか。それは私にはわからなかった。
ウズネはゆっくりとイヅルの目の前に立った。彼女の驚きの表情は、その後すぐに、別のものに変わった。
目を大きく見開き、眉間にシワを寄せ、歯を食いしばって、イヅルを睨みつける。
それは敵意を示した顔だ。
「あなた誰……!」
ウズネは、イヅルの胸ぐらをつかみ、普段からは想像もできないような、気迫のこもった声で言った。
イヅルは気圧された表情だった。
「誰、って……」
「イヅルは過去のことをうだうだ考えたりしない! 考えて意味のあることしか考えないようなつまらない人間なの!」
感情がこもった、妹の言葉。それを聞くと、イヅルはイラ立ちを顔に浮かべて、ウズネの手を引き離そうとする。
「勝手に決めつけないでくれる! あんたはいっつもそうやって、幻想を他人に押し付ける!」
腕力と握力を拮抗させる両者。ウズネの言葉は、私の違和感を代弁したものに感じたが、しかし確かに、見方を変えればイヅルの内面を決めつけているようにも思える。
だが、ウズネは引き下がらなかった。彼女は、イヅルの胸ぐらを一気に引き寄せて言う。
「違う! あなたはイヅルじゃない! イヅルは容易くあたしに謝ったりしない!」
謝らないタイプだったということか。たしかに今さっき、謝罪の言葉を口にしていたが……。
「こんの……」イヅルはさらにイラついた表情を見せる。「あたしは! あたしはただ……」
何かを言い返そうとしたイヅル。しかし、その言葉はかき消えた。そして、呆けた表情。イヅルは天を仰いだ。ウズネの両手を引きはがそうとしていた両手が、だらりと落ちる。
「イヅルはどこ! イヅルは――」夢中でイヅルの胸ぐらを揺さぶるウズネ。
「まって!」私は止めに入った。「様子がおかしい」
「え……」
ウズネは手を放した。するとイヅルの体は地面にへたり込む。
私はウズネの前に腕を伸ばし、イヅルから離れるように指示したが、ウズネもただならぬ雰囲気を感知したのか、自ら離れた。
イヅルは、がくんとうなだれていて、その表情は確認できない。
この異変に、私は最悪の事態を想定する。ウズネの言っていることが何ら幻想ではなくて、悪意ある別人がイヅルのふりをしている可能性。まっさきに思いついた最悪の事態はそれだった。しかしイヅルは今、剣をもっていない。故に、例え彼女が悪意ある別人だったとしても、剣を持ったウズネに勝つことは難しい。と、すぐに否定する。
しかし、イヅルが言葉を発したとき、それが呆れるほど甘い想定だったということに気づかされた。
「ウズネ……あたし、あたし――」
イヅルは言う。
その時、私は最初の違和感の正体に気づく。さきほどまで、それはごく小さな差だった。しかし今、イヅルの言葉とともに、嫌になるほど明確な違いとなった。
「あたし、ウズネがほしい」
その違いとは、魔力。
魔獣の魔力である。
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