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夕立と濡れ透け
第27話
もはや無駄とは思っていたが、プラントポットの玄関が見えた瞬間、思わず清佳は駆け足になっていた。
ひさしの下に飛び込んで、やっと一息つく。自分の体から落ちるしずくは、足元に小さな水たまりを作りそうなくらいの量だった。
振り返り、自分が通ってきた道を見る。よく歩いてきたなと、我ながら感心する雨の勢い。
買い物袋は中身まで濡れている。
服も当然びしょ濡れ。
「参ったなー……」
スーパーで雨降りの気配を感じ、スマートフォンだけはビニール袋に包んできたが、この手では触れない。タオルを持ってきてほしいと連絡したいところだが、無理そうだ。
ひとまずプラントポットに入って、声で誰かを呼ぶしかない。
清佳は買い物袋を持ち直して、プラントポットの扉を開けた。
笠原光の場合
玄関から、助けを求める情けない声がした。何があったか知らないけどとりあえず無視しようかな、と思ったけれど、声の後ろから聞こえた雨音で、何となく事態を察してしまった。
風邪を引かれると面倒だ。
仕方なく、タオルを何枚かひっつかんで、玄関へ向かう。そこには案の定の姿があった。
「傘くらい買えよ」
「こんなに降るとは思わなかったんですよ……。タオル持ってきてくれたんですね。ありが、とっ!?」
のんきという単語の実例として辞書に載せてもいいくらいの顔面に、俺はタオルをぶん投げた。タオルは一つも受け止められることなく、床に全て落ちた。
「ちょっとぉ! 痛い! タオルとは言え痛い!」
鼻で笑いつつ、その手から買い物袋を奪って、廊下に置く。こちらも拭いた方が良さそうだ。
中身を確認しつつ、伝えておく。
「下着スッケスケ。うちの子に見られる前に部屋に引っ込んでくださ〜い」
「あ」
「痴女」
「……お目汚し失礼しました」
サヤちゃんは素直に、軽く水気を取った後、タオルを抱えて自室に走っていった。
小野寺秀人の場合
玄関から聞こえた助けを求める声に、僕は少し後悔した。やっぱり傘、持って行ってなかったか。迎えに行けば良かったなぁ。
タオルを持って玄関に向かう。
ぽたぽたと滴るほどにびしょ濡れになっていたけれど、サヤさんは僕を見て、ぱっと笑みを浮かべた。
「あ、良かった。誰もいないのかと思いました」
無邪気そのものの笑み。
けれど、僕は少し困った。
「……うん」
緑。
指摘するべきだろうか、と首をかしげつつ、タオルは渡しておく。それで隠してくれたなら良かったのだけど、サヤさんは先に足元を拭き始めた。
まあ、見たくはあるから、僕はいいんだけど。あとで気がついた時のことを考えると、放置はリスクが高そうだ。
最後に一応見ておいてから、僕は一旦離れて、大きめのバスタオルを持って戻った。サヤさんには渡さずに、上からぐるっとくるんで、てるてる坊主にした。
「お、小野寺先輩? ありがたいのですが、身動きが取れぬです」
「部屋に行って、着替えておいで。買ったものは冷蔵庫に入れておくから」
「ありがたきお言葉……」
何だかよく分からないという調子のまま、サヤさんは廊下を歩いていった。
ところどころ心配な子だ。
本当は、お風呂に入れて着替えさせてドライヤーかけて、と面倒見たいんだけど。それをするには、部屋に入ってもいいくらいの関係値が必要だ。
僕がして許されるのは、ホットミルクを入れて持っていく、くらいかな。
ちょっと残念に思いつつ、僕はただ見送った。
咲坂敬司の場合
段ボールに入れて捨てられた上、雨にまで降られた子犬みたいな声がする。
せっかくの休みだってのに、のんびり寝かせてもくれねぇのか、あいつは。目を開いて玄関方面を見る。誰かいるか、助けてほしい、と言うばかりで、用件を言わない。
誰かが助けるだろう。そう思ったけれど、どうやら近くには俺以外には誰もいないらしかった。
仕方なく起き上がり、声を上げた。
「何だよ! うるせぇ」
「敬司くん! いるなら返事してよ! タオル持ってきてほしいんだけど。雨で濡れちゃって」
「それが人にものを頼む態度か」
「お願いします! お助けー!」
しゃあなし。俺はタオルを何枚か取って、玄関に向かう。渡すだけ渡して、また昼寝に戻るつもりで。
だが、清佳の格好を見て、予定を変えた。
「ありがとう、敬司くん……おい? タオル渡して?」
「おー……まあまあ。落ち着け」
「落ち着いてるけど。何? 何の意地悪?」
「あ、やべ。スマホ置いてきた。おい、ちょっとそのまま待っとけ」
「今、スマホいる? いいから渡してよ。一体な、に……」
しまった。見過ぎたか。気づかれたっぽいな。
清佳は自分の格好を見下ろして、顔を赤くし、慌てて腕で隠した。下着は一応隠れたが、体の線はしっかり見えている。
「……あ? スマホって、もしかして写真まで撮るつもり?」
「大丈夫。他の奴らには絶対見せねぇから」
「何も大丈夫じゃないよ馬鹿! お母さんと小野寺先輩に言いつける! 小野寺先輩いませんかー! 敬司くんがー!」
「おい言いつけるな呼ぶな! タオル渡してやるから!」
「もう遅い!」
タオルは渡してやったが免罪とはいかなかったようで、俺は結局、小野寺にくどくどと叱られることになった。母親への告げ口は辛うじて阻止した。
写真は当然、撮れず。
残念ではあったが、サヤさんが風邪を引いたらかわいそうでしょ、という言葉にはそれなりに考えるところはあったので、俺は諦めたのでした。
それにまあ、記憶には残ってるしな。
北条紫純の場合
心細そうな声が聞こえたので慌てて見に行くと、ずぶ濡れの清佳さんが所在なさげに立っていた。
「ムラサキさん。良かった。あの、見ての通りで。悪いんだけど、タオルを持ってきてくれないかな」
まず思い浮かんだのは風邪の心配だったと、固く主張しておく。
だが、二番目に考えたのは、白いシャツの下に透けた緑色をどうするか、ということだった。
「ムラサキさん?」
「……すぐに持って来るから、誰かに声をかけられても、ついていくなよ」
「え、うん……」
ちょっと混乱し過ぎたなと反省しつつ、タオルを持って戻ったら、清佳さんはシャツの裾をたくし上げて、腹を見せていた。体に張りつくシャツが気持ち悪いのは分かるが。
バスタオルを頭から被せた。
「ありがとう、ムラサキさん。迅速で助かる」
「そんなことより清佳さん」
「は、はい。そんなことより?」
「繰り返して言いなさい。私は」
「え、何、わ……私は?」
「危機管理能力に欠けた」
「危機管理能力に欠けた……」
「愚かものです」
「おろかも、悪口?」
バスタオルの下から顔が出てきた。まだ何のことか分かっていない様子で、とぼけた顔をしている。
ため息をつく。
はっきりと正面切って指摘するのは、失礼に当たるのだろう。
だが、放置して別の人間に見られるのは、我慢ならなかった。今回は大丈夫でも、また次がないとは限らない。
「少し周りの目を気にしてくれ。ここには、男しかいないことも」
肩に浮かんだストラップをなぞると、清佳さんの顔は赤くなった。バスタオルを体に巻きつけて、身を縮める。
「気をつける……」
「気をつけろ。頼むから」
床に置かれた買い物袋を拾って、俺は清佳さんに背を向けた。
田中祐希の場合
しょんぼりとした顔が、ありありと浮かぶ声。シュートくんとかヒカルとかムラサキとか、頼りになる人たちに任せた方がいいことかな、と思って少し待ってみたけど、僕以外は近くにはいないようで、助けを求める声は止まなかった。
「どうしたのー、サヤカ……うわぁ」
声をかけつつ玄関に行ってみたら、聞くまでもなかった。頭から爪先までびしょ濡れのサヤカが立っていた。
「あーあ。傘持っていかないから――」
「分かってますー……。ごめん、タオル持ってきてもらっていい? ……祐希くん?」
「……あ、うん」
「ありがとう。お手数おかけします」
髪も濡れてだいぶ印象が変わっているせいか、いつもより不安そうに見えた。人任せにしないで、早く来れば良かったと後悔しながら、戻って、タオルを見繕う。小さいタオル、大きいタオル。カイロの使い残し。
あとあの、下着が透けてるのは、どうするべきなのかな……。
はぁと息をついて、タオルに顔を埋める。三年生二人に聞きたいけれど、今から呼ぶ訳にいかない。自分で考えるしかない。
と言うかあれ、自分で気がつかないのかな。
ぼんやりし過ぎじゃない?
まさか、僕だからいいかと思ってる、ってことはないよね。
見てしまって悪いな、とは思っていたけどだんだんと、不用心すぎる、と小言の一つも言いたくなってきた。
「祐希くん? どうかしたー?」
何も考えてなさそうな声に舌打ちして、タオルから顔を上げる。
見て見ぬふりでスマートに解決したいという気持ちはあったけれど、結局僕には、スマートな解決方法は思いつかなかった。目をそらしつつタオルを渡して「先に服、着替えてきた方がいいよ」と言うだけの、ありきたりな方法しか取れなかった。
サヤカは当たり前だという顔で「うん」とうなずいたけれど、少しして、渡したタオルでさり気なく体を隠した。
「ありがとう。祐希くんが来てくれて良かったよ」
もっといい方法があったんじゃないかな、と僕は、思わずにはいられない。二年生よりはマシだと思うけど、三年生よりは下手だったんじゃないか、と。
けれど、サヤカの顔に浮かんだ笑みを見ていると、あまり自分を卑下しなくてもいいようにも思えた。
まあ、自分にできる最善ではあったのかな、と僕はサヤカを見送った。
【不定期更新番外編】植木鉢に罪と虹(幽霊編) 早瀬史田 @gya_suke
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