第4話



 この邸は、ヨハイ領主邸――かつてわたしが暮らしていた邸である。

 わたしにとっての生家を買い取って整え、数年前から準備したうえで、正式な手続きを経て縁談を申し込んでくれた。

 辺境伯子息とはいえ、キーロンは三男坊。継ぐ爵位もないため武人の道を歩んでいる男に旨味はなく、王国貴族らしい貴族の伯父は、自身の娘ではなくわたしを嫁がせることに異を唱えなかった。むしろ、やっと片付いたと嬉々として了承した。


 懐かしい家。見知った使用人。

 家令となったカリムだけではなく、料理人もメイド長も、みんな子どものころのわたしを知っている者たちだ。

 アンヌは手狭と笑ったけれど、案内された部屋は子ども時代に使っていたわたしの部屋。印象をそのままに淑女向けに整えてくれたのは、かつて母の侍女をしていたメイド長だろう。


 まともに顔を合わせないまま新生活となってしまい、戻ってくるまえに取り急ぎお礼を伝えたくて、カリムに相談して手紙を出した。遠征先の拠点は把握しているので、物資等のやり取りは問題なくおこなえるというし。


 二日後、倍の厚さになって戻ってきて、返事を出したらまた戻ってきて。

 そんなかんじで文通がスタートしてしまい、面と向かっては聞けないような言葉の数々を頂戴してしまったわたしは、恥ずかしすぎてまともに手紙を読み返せなかったんだけど、そのうちの一通をアンヌが拾って熟読した、と。

 まあ、そういうことである。


 頼みの綱であった『不貞の証拠』が、妻に宛てた恋文だったことが判明し、さすがのアンヌも反論できなくなったらしい。

 遠征を倍速で実施して戻ってきたら意味のわからない騒動に巻き込まれ、たいそうご立腹のご当主さまをこれ以上怒らせないために、カリムはただちにアンヌを回収。メイド長が使用人棟に連れていって、ご実家に連絡を取って引き取ってもらうことになった。


 ここまで数時間。デキるひとたちは仕事が早い。


 せっかく雇った人材を手放していいのかと思っていたけれど、なんでも、もともと仕事をさぼりがちで、ほかのメイドから不満の声があったらしい。

 お金持ちで贅沢品も持っていて、それを気前よく分けてくれるのでありがたい部分はあったけれど、施してやっている感が滲んでいるところは腹に据えかねていたという。

 わたし自身はあまり被害らしい被害を受けていないので、いなくなってスッキリしたわけではなく。あれよあれよと過ぎ去って、はてなんだったのかしら? という気持ちがいちばん近い。




 これからは安心してお過ごしください。不手際をお詫びします。


 頭を深々と下げる家令とメイド長に、キーロンはソファーに座ったまま苛立ちをあらわにしているが、わたしは立ち上がって彼らに近づいた。


「謝らないでちょうだい。あなたたちは悪くないじゃないの」

「しかし、お嬢さまをお守りできず」

「べつにわたし、傷ついてないけど」

「なんとおいたわしい……。オズボーン伯爵邸での生活は聞いております。こんなに痩せてしまわれて、あの、あのソフィアお嬢さまが」


 メイド長がさめざめと泣き出した。


「もう、年をとって涙もろくなってしまったの? パドマったら昔はもっと堂々として、わたしがダメなことをしたら叱ってくれたじゃないの」

「お嬢さま……」

「カリムもよ。みんなに感謝してるんだから。わたしが最初に食べた夕食、あのスープをつくってくれたのは、フォッシでしょう? わたしが固いパンを齧ることが好きなことも憶えててくれて、すっごく嬉しかったのよ」


 この地において、ヨハイの名前は醜聞なので、わたしが元ヨハイ男爵令嬢であることは、いちおう伏せておくことになっていて。見知った使用人たちとも、なるべくかかわらないようにしていた。

 どういう距離感でいくべきか、相談しようと思っていたのに、そんな暇もなくキーロンは出かけてしまったし。


「ありがとう。あなたたちが無事で、こうして生きていてくれて嬉しいわ。お父さまもお母さまも、きっとおなじように喜ぶと思うの」


 わたしが言うと、カリムとパドマはまた泣いた。

 そんなつもりじゃないんだけどなあ。

 立ち上がって近づいてきたキーロンが、オロオロするわたしの頭に手を置く。


「嬉しいのはおまえだけじゃない。俺たちもそうだということを自覚しろ」


 そんなふうに言われると、やっぱりモヤモヤしてしまう。優しさからは縁遠くなっていたので、好意の受け取り方を忘れてしまった気がする。


「言うのが遅くなったが」

「なに?」

「おかえり、ソフィ」


 キーロンが言って、わたしは目を瞬かせた。

 追従するように二人の使用人も続ける。


「おかえりなさいませ、ソフィアお嬢さま」


 まだ修繕しきれていない、古さを残したままの内装。テラスへ続く壁にあるイタズラ書きは、わたしとキーロンの背比べのあと。

 思い出につながるものがそこかしこにあって、わたしは、この御邸に来てからずっと感じていたものがなんなのか、ようやくわかった。


 そうか。ここはわたしの家だ。


 いってらっしゃい、おかえりなさい。


 そう声をかけてもらえる場所を、ふたたび手に入れたのだ。


「ええ、ただいま」



     ◇



 夫婦のために用意されたのは、かつて両親が使っていた部屋。

 妻が来るまでは使わないとして、キーロンは別の部屋を私室にしていたというから、なんというか生真面目だ。

 ようやくお披露目され、本来の意味で使用開始となった部屋に足を踏み入れる。ここもどこか懐かしくて、顔がほころぶ。

 料理長に用意してもらった果実酒とおつまみを前にし、キーロンがまず謝罪をした。



「本当にすまなかったソフィ」

「もういいのよべつに。ただ、そうね。せっかくいいお手本だったのに、そういう点では残念かも」

「なんの手本だというんだ」

「悪女よ悪女。ほら、わたしってば悪女の噂があるじゃない? 従妹がわたしの名前を出したせいなんだけど」

「妄言も甚だしい。すこし調べればわかることだろう」

「そうなんだけどね。王都の貴族は自分で動くことをしないから、鵜呑みにするだけで自分で調査なんてしないのよ」

「嘆かわしい。情報は精査して受け取らねばならんというのに」


 国境警備を預かる一族らしい考えを述べるキーロンに、わたしは笑う。


「つくづくね、都は性に合わないって思ったわ。アンリがヨハイの地に拠点を構えて、こうしてわたしを呼んでくれて、本当に嬉しいわ。ありがとう」

「できればもっと早く迎えに行きたかった。ソフィの噂を聞くたびヒヤヒヤしていたんだ」

「醜聞の噂なんて、遠巻きにされるだけじゃないの」

「次々に男を手玉に取っていると聞かされて、ソフィではないだろうとわかってはいても、いい気はしない。それに、そういった悪女を好む男もいるだろう」

「好きに遊べるから?」

「ソフィ!」

「だって、そういうことでしょう?」


 後腐れもない一夜だけの関係。

 都の夜会には、そういった男女のあれこれにあふれているとかいないとか。


「その方面では考えていなかったわね。悪女になるのも大変だわ」

「それだ。手紙に書いてあったが、悪女になりますっていうのは、なんなんだ」

「だって望まれているなら期待に応えてみようかしらって思ったんだもの」

「何もするなと言っただろう。ソフィは思い込みが激しいところがあるし、見当違いのことばかりしでかすから、黙っておとなしくしていろと」

「え、あれってそういう意味だったの?」


 まだ婚姻の届は出していないから、女主人やらなくていいぞ的な、お客さまとして過ごしていいぞという、そういう意味かと。


「……やはり早く帰ってきて正解だったな」

「心外だわ。噂どおりの悪女になろう計画が台無しよ」

「なりたかったのか」

「んー。というか、期待に応えたかったのよね。わたしはこんなだし、敬愛するご主人さまに嫁いでくる女が貧相じゃ、落胆しちゃわない? だったら、武人に相応しい貫禄を持った堂々とした女のほうがいいじゃない」


 物怖じしない風格のある女主人になりたかったのだ。態度だけでも。


「でもダメね。ちっとも嫌悪感を持たれなかったわ。従妹の醜聞は男性との噂が多かったし、だけどそういう方面での知識はわたしにはないし、知らないことはなかなか実行できないものね」

「そうかそうか、ならばソフィが望むとおり、悪女になる手伝いを俺がしてやろう」

「なあに?」

「男をたぶらかす悪女だ。ただし、たぶらかす相手は俺限定」

「――え?」


 ニヤリと笑ったキーロンはお酒を一気に飲み干すと、椅子から立ち上がってわたしの手を引く。

 向かう先にあるのは綺麗に整えられた寝台。

 あれ?


「え、ちょ、あれ? 待ってアンリ。あの、だってほら、まだ婚姻誓約書は出してないわけで、だから正式な夫婦では」

「帰り際に提出してきた。俺たちはもう国に認められた夫婦だ」

「ええっということは、つまり、そのう……」

「式はまだだが、今日は夫婦になってはじめての夜ということになるな。さて悪女ソフィア殿。俺をたぶらかして手玉に取ってもらおうじゃないか」

「お、おおお、おのぞみどおり、あくじょになってあげようじゃないのおお!」


 薄い胸を反らしてなんとかそう言うと、アンリは楽しそうに笑って、誓いのくちづけをくれた。



 はたして彼が望んだとおりの『悪女』具合だったのかどうかは、恥ずかしいから聞いていない。




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お望み通り悪女になりましょう 彩瀬あいり @ayase24

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