万花戦記~バラの騎士は花の世界で咲き誇る~

倉世朔

第1輪 バラと、悲しい哀しい親指姫


 ーーー遥か彼方の遠き昔の話。黄金の花々を纏いし花の神は、己の血肉と幾万の花々から、花で造られた人間"花人"を創造した。そして、預言書"ペラヒームの黙示録"を彼らに託した後、散りゆく花の如く花神は地上から姿を消した。


 ペラヒームの黙示録の一部にはこう記述されていた。


 花神が地上から消えた2000年後、バラの騎士を結成せよ。

 花の国の運命は彼らに委ねられん。


 それから時が経った芳しき白ユリの時代。

 四名のバラで結成されたバラの騎士が誕生したのである。


 さぁ、ここから大輪の運命の花が開き始める。


 散るのは誰か、咲き誇るのは誰か。


 彼らは誰のために生きて、何のために咲いているのだろうか。


 刮目せよ。花の世界に起きた誇り高い薔薇たちの戦いをーーー



【万花戦記】



 ーねぇ。私が見える?ー


 フルール国中央区フルール軍軍人墓地。生者も死者も皆、安らかに寝静まっている夜更け。フルール軍人であるアネス・グリティは一つの墓標を悲しそうに見つめていた。クリーム色の柔らかい髪に、オニキスのように真っ黒な大きな瞳。ただその目に生気は感じられず、右手に握りしめた桔梗の花を墓石に置いた。


「桔梗のピーター・メイデン。安らかに眠れ」


 そう呟いた後、左からアネスの同僚であるダスク・ロレンスが駆け足でやってきた。


「遅れてすまない! せっかくもらった弔いの時間なのに。イザベラは?」

「彼女は朝に時間をもらったらしい。今夜は見回りの仕事があるそうだよ」


 アシンメトリーの黒紫色の髪を整えたダスクは、アネスと同じく桔梗の花を墓石にたむけた。


「僕らが遠征中にピーターが殺されるなんて……」


 アネスが悲しそうに呟くと、ダスクは眉間に皺をよせて墓石を撫でた。


「ビアンカの次はピーター! 真優会はどこまで残虐非道なんだ」


 ダスクが肩を震わせているのを見ながら、アネスは苦々しく言葉を発した。


「血塗れの親指姫」


 そして、機械的に話を続けた。


「ここ最近、中央区に住んでいる人間を無差別に殺戮していく真優会の刺客の一人……いままでの真優会の人間とは比べものにならないくらい圧倒的な強さを持つ恐ろしい少女」

「たった一ヶ月で被害はすごいことになっているんだ……早くなんとかしないと……」


 アネスはポツリと冷たく呟いた。


「次は僕たちかもしれない……」


 その言葉を聞き、ダスクは顔色を変えてアネスの胸ぐらを掴んだ。


「アネス! 何弱気なことを言ってんだ! 俺たちで敵をとるんだよ!」

「脆いんだよダスク。命ってものはさ……」

「あぁ、脆いさ。脆いからこそ俺たちにはやることがあるんだよ! 大丈夫だ俺がいる! イザベラだってこの状況に耐えているんだ。一緒に乗り越えて真優会を倒そうぜ。俺たち、友達じゃんかよ。十年も一緒にいた親友じゃんかよ!」

「ダスク……」


 アネスは目に涙を浮かべながら、ダスクの腕を掴んだ。彼がここにいてくれることを改めて感じたい。アネスが顔を上げたその時だった。


 ゆらりゆらりと、夜道を彷徨う屍のように、一人の少女がこちらに近づいてくる。

 縦ロールの黄金色の髪をツインテールにまとめ、ロリータに近い大きなフリルのついたピンク色のドレス。そして白くて透き通る右腕には、アネスが今まで見たことがないくらい大きな針を握りしめていた。


 アネスの表情を感じとり、ダスクも振り返って彼女を見る。

 そして、この少女が誰なのかすぐに察した。


「血塗れの親指姫……!」


 二人は腰に身につけていた剣を抜き、親指姫と距離をつめる。


「アネス。相手は強い。俺たちが敵う相手じゃない。隙をついて逃げて、応援を呼ぶんだ」

「うん!」


 二人がそうこう言っているうちに、親指姫の姿が一瞬にして消えた。

 アネスはさらに後ずさり、自分の能力を使って相手を見つけようとした。


 上空から微かに音が聞こえる。


 アネスは彼女の場所をとらえた。


「ダスク! 上だ!」


 親指姫は口角を上げて、ダスクの喉仏目掛けて蹴りを入れる。

 ダスクは吹き飛ばされて墓標に当たり、そのまま動かなくなった。


「ダスク!」


 アネスはダスクの元に駆け寄り、剣を親指姫に向ける。だが、命の灯火が消える恐怖からか剣先が震えていた。

 親指姫はその不甲斐ない様子にふっと微笑んだ。水色の大きな瞳にあどけなさが残る愛らしい顔。少女かと思っていたが、年齢的には自分たちとあまり変わらないとアネスは感じた。


 そして親指姫はカナリアのように高い声で歌い始めた。


「悲しい哀しい親指姫はいつも独りでままごと遊び。でもね、いつまでも独りじゃいられないの。いつしか私は空気になって、私は誰にも見えなくなる」


 彼女は大きな針を振り上げた。


「ねぇ。私が見える?」


 アネスは彼女の悲しい顔を見た途端、幼い頃の自分ことをふいに思い出した。

 母に認めてほしくて努力を重ねてきた幼い日々。だがその努力は虚しく、愛情が注がれることは決してなかった。


 愛に飢えている。

 そんな表情だ。


 なぜこのタイミングで過去を思い出したのか、彼自身もよくわからなかった。

 だが、昔の、誰も自分に目を向けてくれなかったあの頃が走馬灯のように駆け巡った。


「アネス!」


 アネスが動かないのを見て、ダスクが彼を勢いよく突き飛ばした。


 親指姫が振り上げた針が、ダスクの首元を貫いた。


「ダスク……! ダスク!!」


 首から霧のように血が噴き、ダスクは動かなくなった玩具のように床にパタリと倒れた。


「ダ、スク……」


 親指姫が指についた血をペロリと舐め、肉片がついている大針をアネスに向ける。


「次はあなた」

「!」


 彼女はアネスに近づき、確実に仕留めようと針をゆっくり振り上げた。

 アネスは血に塗れたダスクを抱き寄せ、最期を思った。


 ーーーもう終わりだ。


 その時だった。


 一陣の風が、とてつもない勢いで吹いてきた。

 あまりに強いその風に、アネスはダスクがさらわれるのではとさらに強く抱きしめたくらいだ。


 意図的ともいえる風。自然では起きえないくらい不自然な風に、親指姫は剣を下ろして辺りをキョロキョロと見渡した。


「奴か!」


 親指姫がバツが悪そうな顔をしたその瞬間だった。

 どこからか、この緊迫した雰囲気に似合わない穏やかな声が墓地に響く。


「やだなぁ。そんはに嫌がらないでよ。悲しいな」


 青い花びらがひとひら宙を舞った。


 しかしその花びらは、次の瞬間には一人の青年の姿に変わっていく。

 空色の柔らかい癖のある髪。はつらつとした澄んだ青い瞳に、額には青い色のバンダナを身につけた爽やかな雰囲気の青年だった。


「遊ぶなら、俺と遊ぼうよ」


 親指姫はちっと舌打ちをし、青年の名を呼んだ。


「青バラ、ソウル・ハーブ・シュバリー………!」

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万花戦記~バラの騎士は花の世界で咲き誇る~ 倉世朔 @yatarou39

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