後編

 ―――翌朝も、いつも通りに起き、いつも通りに顔を洗う……はずだった。

「は?誰だよ」聡は鏡の中の自分の姿に戸惑った。


 まず、顔が完全に自分のものではなかった。ぱっちりとした目元に長いまつげ、つやのある肌。茶色がかった長い髪は軽くウェーブがかかっている。昨日までの、冴えないサラリーマンの面影は完全に消えていた。


 聡の携帯に電話がかかってきた。知らない番号からだったが、とりあえず出てみることにした。

「もしもし、内山くんかい?」電話越しの声は社長のものだった。

「しゃ、社長?おはようございます」一瞬驚いたが、昨日の安心感を思い出し、落ち着いて返事をした。 

「今、不思議なことが起きていたりしないかな?」

「え?」唐突な質問に聡はドキッとした。「えっと、なんというか、起きたら見た目が若い女性になっていて……」

「そうか、『魔法』がちゃんとかかったんだね」

「え……?」まさか、社長が本当に魔法を使ったのか……?と、聡は呆然とした。

  「理解してくれたようだね。君が予想している通り、君をその姿にしたのは私だよ。驚いたかい?」ふふっと、社長は楽しそうに笑う。

  「ど、どうして自分をこんな姿に……?」

  「その姿になれば、君に必ずいいことが起こると感じたからだよ。今日はお休みだろうし、外に出てみるのはどうかな?」

  「は、はい……ありがとうございます」戸惑いながらも聡は返事をした。

  「それでは、内山くんの幸福を願っているよ。……そうだ、言い忘れていたことがある。夜の十二時になると、元の姿に戻ってしまうから注意してね。では」


  電話が切れた。


  聡は、とりあえず社長に言われた通り、外に出てみることにした。せっかくなので、女性用のおしゃれな服を探してみることにした。


 「ふう、疲れたなあ」

 とりあえず、自分が思う『おしゃれ』な服をを上下一着ずつと、靴を一足、コーディネイトに合いそうなアクセサリーや小物類をいくつか買い、一度帰宅した。

「よし、着替えるか」


 十分後。

「これでいいのか……?」着慣れない服に戸惑いながらも、聡はなんとか着替えることに成功した。

 テレビに反射して映る自分の姿に少しドキドキしながら、聡は再び出かける支度を始める。

 玄関に向かい、買った靴を履く。かかとの高い靴はおしゃれな印象があるが足を痛めそうな気がして、あまりかかとの高くない靴を選んだ。そのおかげで、足にあまり負担がかからず、いつも履かないような靴の履き心地に違和感を抱きつつも安心して歩くことができた。


 若い女性として初めて出かけた聡は、とりあえず、若い女性に人気がありそうな場所に行こうと考えた。若い女性に人気がありそうな場所を考えた結果、駅前のカフェという結論に至った。早速足を運んでみることにした。


 店内にはコーヒーの香りが漂い、店内にいる客の中には、可愛らしい制服を着た学生や、パソコンで何やら仕事をしている若者、ゆったりとコーヒーを味わう三十代くらいの大人もいた。

 おしゃれな飲み物の名前がたくさん並んだメニュー表を見る。聡は元々甘いものが好きなほうなので、わくわくしながら眺めることができた。

 とりあえず、「キャラメルフラペチーノ」を注文してみることにした。


「あ、めちゃくちゃ美味しいなこれ」注文したときは、値段の高さに驚き、ぼったくりを疑っていたが、一口飲んでみると、値段に相応しい味がした。ぼったくりを疑って悪かったなあ、と心の中で思いながら、聡は贅沢な気分に浸っていた。


 カフェで贅沢な時間を過ごした後は、ショッピングモールに行き、アパレルショップや化粧品店など、様々な店を巡った。

 そうこうしているうちに時刻は夜七時を過ぎ、聡はぼちぼち家路につくことにした。


 のんびりと、薄暗くなった街を歩いていると、若い男性に声をかけられた。

「お姉さん、ちょっとお茶でもどうっすか?」ナンパというやつだ。聡は声の主のほうを向いた。そして驚いた。

 偶然にも、声をかけてきたのは、聡がサラリーマンの姿だった時に嫌な絡み方をしてきた若者だった。一瞬「うわ……」と思ったが、今の俺はいつもの俺じゃないんだ、と自信を持ち、対応することにした。

「は、はい」とりあえず、素直について行ってみることにした。


 飲食店に行ったり、街を散策したりしながら、いろいろな話をするうちに、話題は「最近の悩み」になった。

「実は、私も悩みがあって…」

「そうなんすね。どんな悩みっすか?」

「実はね、最近仕事でミスが増えちゃって、自分に自信が無くなってきてね……」

「なるほど。実はオレも、最近バイトでうまくいかないことがあって…」

 若者は少し悲しそうにバイトの話をし始めた。

 元々目元が鋭いせいで、目つきが悪いと思われて相手を嫌な気持ちにさせてしまっていること。

 趣味で音楽を聴いても、ストレスが消えず、つい人にきつく当たってしまうこと。

 最近は、あるサラリーマンの男性に絡んでストレスの捌け口としているが、後からどうしようもない罪悪感に駆られること。


 聡は、若者の本音を聞き、今まで苦手だった彼に親近感がわいてきて、どうしても責める気持ちになれなかった。

「そうなんだ……それはきつかったな」聡は思わず、自分の見た目のことを忘れて元の口調で答えてしまった。


 いつの間にか、時刻は深夜十二時を迎えた。女性の姿だった聡の体に異変が起き、聡は慌ててその場を立ち去ろうとしたが間に合わず、若者の目の前で元のサラリーマンの姿に戻ってしまった。

「え……?」若者は状況が理解できず聡のほうを見つめたまま固まってしまった。「サラリーマンの、おっさん……?」

「ああ……」ごまかすこともできず、聡は正直にうなずいた。

 次の瞬間、若者の目から一滴、二滴としずくが零れ落ちた。

「今まで、嫌なことを言ってすみませんでした……」若者は深く頭を下げた。その姿は心から反省しているように見えた。

「いや、いいんだ。誰だって、ストレスは溜めるものだし、思ってもいないことを言ってしまうことだってある」聡は若者を少しも責めることなく、笑顔で、若者が頭を上げるのを促した。

 若者はゆっくりと頭を上げ、聡のほうを見つめる。「許して、くれるんですか……?」若者の目は未だに潤んでいた。

「ああ、だからもう気にしないでいい。これから改めていけばいいだけだ」

「ありがとうございます」若者は心から感謝の言葉を述べた。

「ほら、泣いてちゃかっこ悪いだろう」聡は苦笑する。

「はい……これからは、仲良くしてもいいですか?」

「もちろん。これからよろしくな」

 聡と若者は握手を交わし、共に夜の街を歩き始めた。

 眩しいほどにネオンの輝く街並みは、二人の絆を表しているようだった。


 内山聡と若者――今井慎也は、新しい生き方を見つけ、未来への大きな一歩を踏み出した。


 物語は続く―――かもしれない。


(終)

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シンデレラリーマン―冴えない俺の新しい日常― 月坂いぶ @Tsukisaka_ibu

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