秋風の憩い場

葉霜雁景

秋風の憩い場

 名前も知らない虫の声が、せた緑と早くに枯れた色が重なった秋草の道から転がってくる。清澄な空には誰かが掃き散らかしたような薄雲が広がり、透明な風が煙たい香りを一つまみ運んでいる。


 まだ稲刈りの済んでいない田んぼに挟まれた砂利の畦道あぜみちを、点々と色づき始めた山へ向かって少し。小山を囲うような道と合流するところに、ちょうどバス停の小屋が建っている。建っていると言っても、隙間だらけの小屋を半分にしたような軒と壁と腰掛けが、草木の影でうつむいているたたずまいだ。それでも何とかバスは来るので、かろうじて忘れ去られずにいる。

 風雨に晒され眠りに傾くバス停には、きれいな身なりの人影が座っていた。こちらが近寄るとすぐに気づいて、本から顔を上げたその顔は、茫洋ぼうようと凡庸に満ちている。けれど、こうして対峙していると、妙に目を引かれる顔でもあった。


「こんにちは。葛籠ツヅラさん、ですか」

「いかにも。そちらは律風リツカゼ殿にございますか」

「ええ」


 すっと染み入る聞き心地の声に、性別の色は窺えない。それは顔つきと体格、服装も同様だった。


 都会のどこにでもいそうな、あるいは広告で見かけるような、すそが丸く広がった長袖の白シャツに黒い細身のズボン。さらりと揺れる艶やかな短い黒髪と、日焼けを知らなさそうな白肌は、清潔さより無機質や不釣り合いを感じさせる。白黒の布に、全く汚れが見受けられないのも一因だろう。経年も重ねてくすんだ油絵に、新しい上に目立つ色の絵の具で人を付け足したような、そういうちぐはぐさがある。

 こちらがじっと観察している傍ら、若人わこうどは傍らに置いていた鞄に本を仕舞い、すっと立ち上がった。ひょろりとした背丈は、小生より少し高い。鞄を肩に掛けると、より細身な印象を引き立てる。一見すると、どこにでもいる大学生のようだ。都会ならともかく、こんな山裾ではよく目立つが。


「……昔の人間、書生さんのような格好をしていらっしゃるんですね」

「そちらも似たようなものでしょう。都会の大学生に見えます」

「そうですね。やはり、学生さんの格好というのは、心身ともに気楽ですから」


 眉を八の字気味にして笑う若人は、良く言えば心をくすぐる愛らしさがあるし、悪く言えば気が強くなく押しに弱そうな印象を与える。切れ長な目に重たげなまぶたが少しかかっているから、とうのもあるだろう。うっすらと覗く瞳は、明るい灰色をしていた。

 一通り見聞きしてみたが、若人の性別を判断できる色は感じられないままだ。内外ともに男と定めた小生のように、どちらときっぱり決めているわけではないのかもしれない。気分で男と女を切り替える友人よりは分かりやすいか。


「では、早速ですが、行きましょうか」


 と、ここで立ち話を続けるわけにもいかない。これから行く方向をさりげなく示すと、律風を名乗る若人は「はい」と頷いた。

 去り際、バス停の錆びた看板に「地蔵前」とあるのが見えたが、地蔵は先ほど来た道の合流点に立っている。正確には「地蔵隣」と言うのが正しいだろう。どうでもいいことかもしれないが、些細ながらも自らの琴線に引っかかることは、どこにでも転がっているものだ。


 さて、古き良き書生スタイルの小生と、都会の大学生スタイルの律風は、とても獣の山道を行くような身なりではない。だが、構うことなく秋草に埋もれた道を進む。驚いた飛蝗ばった蟋蟀こおろぎが跳ねて逃げ去り、不規則に飛ぶ赤蜻蛉あかとんぼが通り過ぎる中を、ガサガサと踏み分けていく。小生は目的地の詳しい立地を知らないので、案内は律風に任せた。歩みに迷いがないから、問題なく辿り着けるだろう。


「小生は代理で来ましたが、律風殿は、庵友アンユウ殿とは長い付き合いなのですか」

「ええ、知己と言っても差し支えないでしょう。私は人の営みを見たくて山を下りましたので、会う頻度は高くない方ですが、付き合いは長いです」


 振り返らないまま話す律風の声は、弾んでいた。上り坂で息が上がっているだけでなく、友への確かな情を交えているが故に、といったところか。


 小生と律風が向かうのは、「庵友」と名乗るモノが住むいおりである。どうしても外せない用事と被ったから代わりに行ってくれと、小生を代理で差し出した友と同じく、山中に居を構えてのんびり暮らしているらしい。人間とも積極的に関わる我が友と違い、庵友とやらは人ではないモノとの交流を好んでいるようだが。

 ちなみに、小生を代理に立てた友は名をニシキといい、先に連想した、気分で体の性別を切り替える変わりモノである。


「……、おや?」


 年中変わらない片眼鏡モノクルと明るめの茶髪を思い出していたら、前方から疑問のにじんだ声がした。同時に律風の足が止まり、続いていた小生の足も止まる。

 所どころ色づいた森は、人の手が全く入っていないため、景色がどこも同じようなものだ。幾度となく来ていても迷ってしまいそうだが、我々は人間よりも数多の手掛かりを手繰れる。迷う可能性は極めて低いと思われるのだが。


「どうかなさいましたか、律風殿」

「道が変えられたようです。これは少し、時間がかかってしまいますね」


 どうやら、相手は工夫を凝らすのが好きらしい。なるほど、ニシキと気が合うわけだし、ニシキが代理に小生を選んだわけでもある。


「ふむ。面白い方のようですな、庵友という方は。律風殿、いかにして解いてみましょう」

「ふふふ、ノリが良いのですね、葛籠さんは」


 この状況に笑うあたり、律風も慣れているか、似た者同士のようだ。小生はよく筆を執り、律風はおそらく本好き。人間から見て非日常的な存在かつ立ち位置にいると言っても、奇妙なことには好奇心を掻き立てられる。

 周囲の状況は、人の手が入っていない秋の森。目を引くものと言えば、褪せた緑と枯れ色の狭間に点在する紅葉の木々。秋の花は見当たらず、すすきが揺れる風景さえない。開けた高い空には薄く平たい雲が貼り付き、動くものと言えば虫ばかり。


「……いずれかの虫を追ってみれば、手掛かりがつかめる。そんな推理はいかがでしょう」

「確かに、目に付くのは虫くらいですからね。思えば、鳥獣の姿もなければ声も聞こえません。虫に何かあると見て良さそうです」


 同意を得られて嬉しいところだが、問題はどの虫を追えばいいのかだ。そもそも小さいし、数は多いし、保護色を持っているから追うにしても難しい。さてどうしたものかと視線をさ迷わせていると、「あ」と律風が小生の肩を指した。見れば、ちょこんと秋赤音がはねを休めている。


「思わせぶりですね。もしかして案内役では」

「かもしれませんな。では、ちょいと失礼して」


 袖口から特製の巻き糸を出して、極細の赤い胴へ巻き付ける。手は使わず、白い糸を独りでに動かして。

 小生は、編まれるかずらと保つ籠から成る名を持つモノ。糸を扱い保持するは得手の一つである。

 細工をし終えると、蜻蛉は心得たように飛び立ち、するすると糸を引いていった。律風と顔を見合わせ、案内が飛ぶ方へ歩いて行けば、不意に道が変わる。風景を構成する要素は相変わらずだが、変わったと分かる。


「どうですか、律風殿。道は元に戻りましたか」

「いえ、まだ仕掛けは続いているようです。ほら、糸もまだ引かれています」


 確かに、小生が摘まんだ糸巻きからは、絶えず糸が引っ張られている。導かれるまま歩いていくと、今度はきのこが目立ち始めた。人界に生える茸も、異界に生える茸も、毒があるのも無いのもあちこち生えている。とは言え、紅葉のように華やかな色合いをしているものは少なく、ファンシーと形容するには全く足りない。

 地面にも樹木にも生えているそれらが、まるで道に沿う柵のごとく生えているものだから、先ほどよりは道が分かりやすくなった。蜻蛉にくくりつけていた糸が切れたらしく、くたりと音もなく落下したのも、今度は茸が道案内をすると示唆してのことだろう。


「こんなにたくさん生えているなら、一株くらい貰っても問題なさそうですな」

「葛籠さんは茸の知識がおありなのですか」

「いえ、素人同然です。所感を言っただけで、本気で採ろうとは思っておりませんよ。毒にあたっては敵いません」

「それは失礼しました。もしかすると、庵友が土産みやげに持たせてくれるかもしれません。今の時期、山の幸は誰かに分けてもまだ余るくらいでしょうから」


 もっともだ。もしかすると、庵友はお裾分けが目的で知己を招いたのかもしれない。それなら尚のこと、小生が代理として適任だろう。名前にある通り、小生は材料さえあれば、葛籠の一つや二つ、その場で簡単に生成することができる。単なる荷運びとして選んだのなら癪だが、既に庵友は趣あるモノだと分かっている。楽しませてくれるのなら、それに越したことはない。

 律風と言葉を交わしつつ、薄暗さの増した森、だんだんと狭まっていく茸の道を進む。ふと、ぱきり、枝を踏む音がした。近くではない、前方からのようだ。


「……む、鹿だ」


 蜻蛉を追う際、先行と後続が入れ替わったので、先に鹿と顔を合わせたのは小生の方である。立派な角を頂いた牡鹿が、森の薄暗がりからのそのそと出てきて、なんとも言えない顔をこちらへ向けている。つぶらで真っ黒い目は、森に落ちる奥深い静けさをたたえたようで、知性さえ感じられた。そもそも、このあたりはもう人界ではないので、話してみせる鹿がいてもおかしくはない。

 しかし、牡鹿は言葉を発することなく、再びのそのそと体の方向を変えた。おそらく彼も案内役なのだろう。律風と頷き合い、牡鹿について行く。


 かさり、かさり。落ち葉と枯草を踏み分けて、枝葉が茂り薄暗くなった森を抜けて、小さく開けた場所へ辿り着いた。ぽかりと開けた秋空の下に、茅葺屋根かやぶきやねの小さな庵が一軒。その隣には、物置なのだろう小屋が一軒。牡鹿は役目を果たすなり去っていき、代わりに庵の引き戸が開いた。


「やあ、よくいらっしゃった。お客様がた」


 かこん、と下駄の音を響かせ出てきたのは、顔に布の面を付けた男。後ろへ撫でつけた髪は煤竹色すすたけいろをしている。そこへ老竹色おいたけいろの着物に鶯茶うぐいすちゃの羽織を合わせ、庵あるいは枯野と似たような装いをしたそれは、この山地に住まう精霊と言われても納得できそうな姿をしていた。


「初めまして。ニシキの代理で参上しました、名を葛籠ツヅラと申します」

「こちらこそ、本日は遠路はるばるありがとうございます。この身は庵友アンユウと申しますモノ。どうぞお見知りおきを」


 観察もそこそこに挨拶を述べて一礼すれば、相手も同じように返してくる。ここだけ切り取れば、古き良き時代の一幕よろしく見えるに違いない。もちろん、ここには現代を映す律風がいるため、錯誤を起こすことはないのだが。


「久しいですね、庵友。変わりないようで何よりです」

「そう言うお前はいつも人間にかぶれて変わるな、律風リツカゼ。お互い名に入れた字の通りだ」


 初対面ゆえの礼儀で固めたこちらと違い、勝手知ったる仲と窺える気安い挨拶を済ませると、「さ、入られよ」と庵友は住処へ戻っていく。歩いてきた順の都合上、小生が先んじて屋内へ入ることとなった。

 小ぢんまりとした外観と同様に、庵の中は狭い。縁側と土間、そして水屋が付いた四畳半の小間で形成された屋内は、三人で既にぎゅうぎゅうだ。幸い、三人とも細身だったため、何とか余裕が保たれている。


「見ての通り狭い我が家ではありますが、友と語らう空間としては上等なものです」

「何の、いおりというのはこういうもの。ニシキの名ばかりの庵と比べれば、これぞという趣です」

「ああ、手紙でもそう言っておりましたな。何かと物が多くなり、何度も何度も部屋を増やしたせいで、もう庵とは呼べぬと。それはそれでとても面白い庵だと伝えましたが」

「庵ではなく、始末のつかなくなった好事家こうずかの屋敷ですな、あれは。面白いことは事実ですが」


 人界のもの、隣接する狭間の世のもの、どこか遠くの別の世のもの。立地がちょうど交差点、境に位置している都合上、ニシキの庵には様々な品物が流れ着くのだという。加えて、家主であるニシキも色々拾ったり、作ったり、貰ったり、預かったりするものだから、どんどん多くなっていくのだ。時が来れば場所を移る物、別の手元へ渡る物もあるが、それでは追いつかないほどの物量をほこっている。


 話しながら小間の畳に腰かければ、すぐに茶と茶菓子が出される。庵友と律風がすぐにくつろいだ様子を見せたあたり、堅苦しい作法などを気にする必要は無さそうだった。


「今日も愉快な道案内を仕掛けていましたね、庵友」

「おお、そうだそうだ。知恵を巡らせた渾身こんしんのもてなし、楽しんでいただけましたかな」

「楽しかったですよ。思えば、私はすっかり葛籠さんに任せてしまいましたね、すみません」

「いえいえ。小生の手先が少し器用だっただけです。律風殿も、庵友殿のもてなしをさばける程度には、手数をお持ちなのでは?」

「ふふ、どうでしょう」

「何をしらばっくれているのやら。お前は人の世にいる分、この身より鮮やかな想像に長けているだろう」


 穏やかな談笑を重ねる傍ら、扇形の小皿に乗せられた、柔らかく色を変える紅葉もみじの練りきりを口へ運ぶ。楊枝ようじで少しずつ切り分け、口内へ運んだ甘味の欠片を舌で押せば、じんわりと上品な甘みが広がった。話のまにまに、やがて最後のひとかけらまで味わってしまうと、熱すぎず温まった抹茶を受け入れる準備が整う。

 泡で蓋をされた抹茶が入っているのは、黒と白、白い部分には力強い筆で模様が描かれた沓形くつがたの茶碗。両手で包むように持つと、なめらかな凹凸と手のひらがぴったりと合わさり、寄る辺を見つけて安堵するのと似た心地を覚える。ず、と一口傾ければ、緩やかな苦みが甘味と混ざり合い、味わいを深めていく。


 秋晴れの軽やかさもありながら、霧雨がしっとりと草木や土を湿らせていくような、穏やかな空気が流れていた。じんわり溶けていった練りきりの甘み、どこまでも深く染み伝っていく抹茶の苦み、寄せては返す波のような言葉と声。開け放たれた障子戸からは、籠った空気を清める透明な風が時おり吹き込む。風がひやりと肌を撫でるたび、この時間にも終わりがあることを思い出して、あるいは遠く霧の中に垣間見て、ささやかな寂しさが先走る。


 ふと、会話が途切れているのに気付いた。しかし気まずさはない。互いが互いに目を細めたり閉じたりして、ここに満ちる静穏と閑寂かんじゃくを味わっている。みな自然と正座で座っているが、人間のみならず動物までくつろげるとうわさのクッションにもたれているような感じがしたし、そういう居心地の良い雰囲気が漂っていた。


「ここに来ると、自分が何だったのかを思い出します」


 ぽつり、律風が沈黙に粒を落とした。凡庸で茫洋とした横顔は、隣から見てもどこを見ているのか分からない。


「私は人の世に合わせていますから、かなり変化が激しいですし、受け身になりがちなのです。人の世は面白いですが、今は恐ろしさすらありますよ、庵友。窓の先では流れる風が強まってきて、眺めているだけなのに、容易く吹き飛ばされそうになってしまう。おのれが何であったのか、己は何を考え思っていたのか、忘れかけることが多くなる」


 窓というのは、インターネットに繋がる機器のことだろう。人間の世界に馴染むモノたちが、比較的よく使う表現だ。律風はかなり人間に馴染んでいるようだし、ネットを使いこなしていてもおかしくはない。


 隣人たるモノたちは、人間同様ネットを使うモノも多い傍ら、翻弄ほんろうされることも多々ある。小生は描写の必要性があれば覗く程度だが、特にSNSとやらは凄まじい。良くも悪くも人間の強い感情と意思が渦巻き、新たな妖怪の温床になる可能性さえ感じられるというか、もう発生していると思われる。妖怪とは人間の心から生まれたモノ、強い感情と意思さえあれば、出現環境は整ったも同然である。

 そんな混沌をつい覗いてしまうくらい毒されているところまで含めて、律風は相当な影響を受けていたのだろう。風と名にある通り、自由ではあるが確かなしんは無いのかもしれない。となると、庵友はそれを見越して、友を引き戻すべく呼び寄せたのだろうか。


「……そういう頃合いになると、決まって呼んでくれますね、あなたは」


 重たい瞼がかかる切れ長の目が、すっと庵友を捉えた。霧雨を通したような灰色の瞳には、この庵そのもののような色をした男が、ずっしりと重く映っている。そんな気がする。


「風はどこへでも向かうもの、この身ではどうにもできない。だが、乱れた旋律を正すことであれば、この身にもできる」


 律風よりも分からない庵友の表情は、布に阻まれ当然見えない。だが、声色から読み取れるものはあった。それだけ深い声色をしていた。

 必要以上に関わらず、けれど指を引っ掛ける程度はする。人間からすると冷たく見えるかもしれないが、隣人たるモノとしては一般的な温情の持ち主。それが庵友なのだろう。ますますニシキと気が合うのが分かる。


「となると、庵友殿はニシキに会いたかったという気持ちもありつつ、律風殿に会わせたかったという思惑もあったのではありますまいか」

「さすがに分かりましたか、葛籠殿。ええ、ニシキ殿は文通を好みますでしょう。律風が寄れる場所の一つになってはくれないかと頼みたかったのです。もし良ければ、葛籠殿も」

「小生は構いませんよ。見たところ、律風殿は本がお好きなご様子。話題には困りませんでしょう」


 言い当てたついでにとんとん拍子で決めてしまったが、律風はぼうとした顔で眺めるばかり。流されやすい片鱗が窺える。しかし嫌なわけではなかったようで、ふわりと微笑みを浮かべていた。


「ありがとうございます、葛籠殿。ニシキ殿も、文通を許してくださるといいのですが……」

紅葉もみじの印があれば誰からの手紙も受け取る奴です。心配はご無用ですぞ」


 もちろん、文通が続きそうな相手を選びはするが、律風は問題ないだろう。文通が続きそうというより、続かないと心配になるタイプだ。連想とは言え糸を扱う小生に加え、同じく糸に関わりえにしを重んじるニシキと文通するとなれば、窓の外へ引っ張られる頻度も低くなるかもしれない。例えるのなら、たこくらいにはなれるだろう。ひらひらと、くるりくるりと風に遊びつつ、どこかへさらわれはしない程度には。

 眺めているだけと言っていたから、自ら発信することはないのだろうとも見当をつけているが、もしそうなら手紙の中で自らの感性を発揮してほしくもある。感受する心があれば、誰であっても表現者になりうるのだから。


「さて、茶も茶菓子も無くなってしまいましたね。ではそろそろ、山の幸のお裾分けをいたしましょうか」


 縁も繋がったところで、庵友が話題を変えた。道中でも予測していたことではあるが、やはりお裾分けも目的だったらしい。


「庵友殿。小生は名の通り葛籠の箱を作れる身ですので、土産を入れる箱も作れます。自分のものはもちろん、律風殿が持てる分も。そのためには材料が要りますから、良ければ近くのかずらなどを拝借させていただきたく」

「ええ、よろしいですよ。なんなら皆で採りに行きませんか」

「それが良いですね。作ってもらえるのなら、せめて材料くらいは自分で採らなければ」


 小生一人でもじゅうぶん手は足りるのだが、二人の厚意を受け取り、材料集めは三人でやる運びとなった。誰かと共に手を動かすのが楽しいと、全員が思っている故の一致団結である。


 そうなればと、庵友は真っ先に庵を出て、隣の物置小屋から鎌を携え戻ってきた。何でも、草刈りをする時にも、友人たちを呼び出すことがあるのだという。同じ道具がいくつもあるのはそのためだとか。

 籠もいくつかあるから貸し出そうと考えていたが、返してもらう手間を考えれば、新規の葛籠を使う方が良いだろうとも結論付けたらしい。言い出しっぺの小生としては、それなら先に言ってくれと思いつつ、それなら作らぬと安易に言うわけにもいかなくなり、なんとも言えない気持ちである。


 まあ、引き続き談話しながら手を動かしてしまえば、すぐに解消されてしまう程度の気持ちだったが。


 材料を集め終えた後は、小生の手で箱を二つ生成する。開けた場所に積み上げたつたへ手をかざし、指揮をするようにして、触れないまま編み込んでいく。背負うための肩紐は、庵友殿が手慰みに作っていた物を提供してくれた。それもしっかり取りつけ、蓋まで隙間なく編み上げれば、我ながら立派な葛籠の完成だ。


 箱の出来について、律風から賞賛を貰ったのも束の間。隣の小屋へ鎌を仕舞いに行った庵友が、どんどん土産を運び出しては詰め込み始める。道の演出にも使われていたきのこはもちろん、くりとちなどの木の実、既に干されたかきの実、薬草など。人間が食したり、薬用として使ったりするものに加え、我々のような隣人たるモノたちが使うものまで幅広く。本当に、分けても分けても有り余るほど、庵友は山の恩恵にあずかっているらしい。

 小生が持つ籠の方には、おそらくニシキなら使えると思われたのだろう、用途がほぼ一つしかないような珍品まで詰められていた。これを背負う小生の身にもなってほしいところではあるが、せっかく見つけた宝をくさしたくない気持ちもわかる。頑張って運んだ分の駄賃は、ニシキにきっちり払わせることとしよう。


 そうこうしているうちに、すっかり空は夕暮れに備え、だんだんと青に黄昏たそがれの趣を交えた紅碧べにみどりへ変わりつつあった。庵周辺に潜伏していた静寂の気配も、徐々に頭をもたげ始めている。


「それでは、お二方。本日はこのような山奥までご足労いただき、ありがとうございました。帰りは一本道ですが、じきに暮れ時が始まります。どうぞお気をつけて」


 ずっしり重たくなった籠を背負えば、庵友が緩やかに頭を下げた。小生も律風も、何とか一礼を返すのに精いっぱいだったが、庵友は全く気にしていなさそうだった。喋る者が去り、虫が転がす鈴の音ばかりが響き渡ることも。

 小生も律風も振り返ることはなく、また振り返っても荷物に阻まれただろうが、庵友が見守ってくれている気配が感じられた。枝から離れゆく一葉を見送る、古木のような気配だった。


 言われた通り、帰りはすっきり整えられた一本道。急ではないが下りのため、律風と互いに気をつけ合いながら歩いていくと、来るときに見た地蔵のすぐ隣へ出た。やはりと言うべきか、境を示す印でもあったのだろう。存在としての都合上、我々は境界を示すものに敏感である。


「何だか、すっかり世話になってしまいましたね。庵友はもちろん、葛籠殿にも」


 すぐ近く、出会った場所でもあるバス停の小屋へ歩きながら、律風が眉を八の字にして笑った。肩掛けの鞄に加え、籠も背負うことになった細身はアンバランスな姿をしているが、ふらつきはしていない。


「余計な世話でなかったのなら何より。ところで、来るときに確認した時刻表通りなら、バスが来るまであと二時間ほどありますが、律風殿はどうなさるおつもりで?」

「そのために数冊ほど本を持ってきたのですが、二時間もあると、そのあたりを歩いて回る方が有意義に思えますね。問題は、この荷物を置いていくわけにいかないところですけれど」

「それなら隠せばよろしい。そういう術も扱えます。良ければ律風殿も覚えてはいかがかな」


 提案してみると、眠たげな灰色の目が、きゅっと小さな丸になった。それからまたへにゃりと笑う。初対面の時は秋風のような透明を保っていたのに、親しくなってみれば柔らかな風のようなモノだ。

 小屋の後ろへ籠を置き、そこらの葉を拝借して術を掛ける。やることは狐狸こりと同じ、古典的かつ思いのほか効果的で、普遍的な隠れ蓑の術だ。この国では最も有名だろう化けの術だが、律風は目を輝かせて、自らもたちまち習得しては実演してみて、顔全体まで輝かせていた。無邪気な奴である。


 土産に隠れ蓑も被せたところで、小生と律風は、二時間の大部分を潰すべく散策を開始した。


 稲刈りの済んでいない田は、夕暮れの気配に黄金こがねの輝きを増し、飛び交う蜻蛉とんぼはねを暖色にきらめかせる。あちこちから聞こえる名も知れない虫の声は、転がっては落ち、転がっては落ちと繰り返される。

 一つまみの煙を含んだようでいて、それでもきりりと凛の趣を失わない風が、爽と吹き渡った。頭の重くなった稲が、さあさあとささやき合っていた。


 秋の装いをした山間の集落近辺は、暮色を抱く浅瀬のよう。時おり声を交わして畦道を行く小生と律風は、さながら旅人である。風に揺蕩たゆたいながら、時に憩いの場へ吹き込むようにして止まり、地に足を付けて歩いていく。

 色なきものであるが故に、色を映して風がゆく。見上げた天は変わらず高く、御空みそらの色は清々しく、こちらへ横顔を向けていた。どこまでも透き通った、この時ばかりの儚い横顔は、ただ自らの行く先を眺めているようだった。

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秋風の憩い場 葉霜雁景 @skhb-3725

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