ひとつになる

筋肉痛

本編


 滴る汗をタオルで拭く。風圧で最愛の人いもうとの残滓が飛んでしまわないように空調は全て電源を切っている。今日も猛暑日だが、そんなことは気にならない。水分とミネラルは大量に摂っているから、熱中症になることはないだろう。


 黙々とすり鉢で遺骨いもうとり潰しながら思う。最近は家族葬も珍しいものでなくて助かった。普通の葬式をして、あの悪魔が来たりなんかしたら僕は妹の亡骸の前で醜い姿を見せてしまっていただろう。火葬も僕一人でできたから、遺骨を独り占めできた。


 粉末状にした一定量の遺骨をこぼさない様に慎重に薬包紙に移す。

 それを一気に口内へと入れ、ミネラルウォーターで体内へ流し込む。妹とひとつになりたかった。ひとつにならなきゃいけなかった。

 本当は血も肉も臓腑も全てを喰らいたかった。ただ悔しいけど、血涙が出るほどに悔しいけど僕にその技術はなかった。

 だから、身が引き裂かれる思いで火葬して、骨だけでも取り込むことにした。

 本当は僕も一緒に焼かれてしまいたかったけど、罰として生を受け入れる。最愛の人の生を終わらせた事は事実だ。僕にとっては最高の愛情表現ではあったけど、それは背負わなければならない咎だ。

 ただ罰とは言うものの、この地獄で妹とひとつになって生きることに一筋の光を見出してしまっている。


 妹を愛している。

 この世の誰よりも。

 妹以外は何もいらない。それだけが生きがいだった。

 だけど、彼女は僕の深い愛を受け入れなかった。

 それどころか悪魔のような男に魂を売り、あろうことか処女を捧げてしまった。

 妹は呪われてしまったのだ。そうとしか考えられない。

 だけど、それでもいい。

 例え呪われてしまったのだとしても、僕は愛している。

 そして確かに聞こえていた。彼女の救いを求める声が。

 だから、この手で救った。


 地獄のような現世から天国へ送ってあげた。亡くなる最後の瞬間は呪いが少し解けて僕を受け入れて微笑んでいたように思う。やっぱり妹を救うには殺すしかなかったんだ。

 妹の命の灯が消える瞬間は、何度もフラッシュバックする。だけど、それは悪夢ではない。

 例えるなら射精の瞬間を永遠に味わっているような多幸感がある。妹の全身全霊を一身に受け、正にその魂をも僕が掴んでいた瞬間だった。


 遺骨を全て取り込み、最高の瞬間を脳内で再び味わって放心している僕は、気になることを思い出す。妹が今際の際に言っていた言葉だ。

 

 「日記だけは見ないでほしい」


 妹の嫌がる事はできるだけしたくない。だけど、最愛の人の秘密を知りたいという甘美な誘惑には抗えない。

 妹の部屋へと向かった。


 妹とは二人暮らしだった。妹が大学生になった時に一人暮らししている僕の家に転がり込んできた。最初一人暮らしをするのは体に穴が開いたような寂しさがあったが、いずれ妹と二人暮らしをするための準備として歯を食いしばって受け入れた。

 広めの部屋を借りるのは、収入的に少し大変だったけど、妹のためなら何のことはなかった。

 両親は妹が大学に進学したら、二人で世界中を旅行するようになった。両親は僕と妹にとって雑音ノイズでしかないから丁度良かった。

 ただ、愛し合っている姿は微笑ましい。僕と妹もそうなりたかった。くだらないルールのせいでそれが世間では認められないのも僕を苦しめていた一因だ。


 妹の部屋を彼女の残り香が消えないように、丁寧に探索しているとそれはすぐに見つかった。

 机の引き出しに無造作に入れてあった。遺言で残すほど見られたくない物としてはお粗末な気がするが、そんな詰めの甘い所も愛している。

 リビングに持ち出し、ソファに座ってゆっくりと読むことにする。日記は3年ほど前から始まっていた。僕が就職して一人暮らしを始めたころだ。


『大好きなお兄ちゃんが一人暮らしを始めてしまう。すごく、すごーく寂しい。

 でも、お兄ちゃんは私が大学生になったら一緒に住もうと言ってくれた。それはとっっっても嬉しい。

 寂しさを忘れるくらい頑張って勉強して、絶対に都会の大学に合格するんだ!』


 妹が僕を慕う気持ちが前面に出ている。やっぱり、妹と僕はもともと相思相愛だったんだ。アイツが現れるまでは!

 安堵と憎悪をボウルに入れてぐちゃぐちゃにかき混ぜたような感情が、僕の中を駆け巡る。夢中になって日記の続きを貪り読んだ。


『お兄ちゃんはカッコいいし優しいから、向こうで彼女ができているんじゃないかな。ううん、絶対できてる。私なら放っておかないから。もしかしたら、もう一緒に暮らしているかもしれない。いやだ。不安で勉強が手につかない』


 そう言えば泣きそうな顔で突然、僕の部屋を訪れた事があった。恋人がいるかどうかをしつこく聞いてきたっけ。そんなあり得ないことを何度も確認するものだから、少し苛立ってしまった気がする。

 それで不貞腐れた妹はまるで家宅捜索のように家中を物色して、恋人の形跡がまるで見当たらない事にある程度機嫌を直してくれた気がする。

 今思えば、そんな思い出も宝物だ。


『今日から、お兄ちゃんと二人暮らし。幸せすぎて死んじゃいそう。料理、いっぱいがんばっちゃうぞ』


 妹の手料理は掛け値なしにおいしかった。二人暮らしを始めた当初は、指に大量の絆創膏をしていることが多かったからたくさん練習したんだろう。

 そんな健気な妹が何故あんな粗雑な男に!? 怒りが再沸する。


『大学ってもっと楽しい所だと思っていたけど、全然楽しくない。チャラチャラした人しかいなくて、なんだか動物園みたい。お兄ちゃんと一緒にいる方が全然楽しいしドキドキする。早くお兄ちゃん帰ってこないかな』


 僕もそうだったよ。高校も大学も会社も、君が居なかったからまるで色の無い世界。……これからその無色の世界で生きていかなきゃいけないんだね。

 でも、ならなんで僕を拒否してあんな奴と一緒になったんだ。怒りよりも純粋な疑問の割合が大きくなってくる。

 そして、確信を深めていく。やっぱり呪いが原因としか考えられない。


『私、バカだった。知らなかったんだ。友達に将来お兄ちゃんと結婚するんだって話したら、笑われた。私は真剣なんだって言ったら、法律的に無理って言われた。ネットで調べたら本当みたい。どうしよう、将来に希望が持てなくなってしまった』


 その日の文字は震えていた。震えすぎていて解読するのに数分かかったほどだ。それほどの動揺だったのだろう。僕も中2の時にそれを知って何度も吐いたほどだ。僕より遥かに純真な妹は、大学生まで知らなくても不思議はない。

 確かにこの時は妹の様子がおかしかった。気づいてあげられなかった。この時、くだらないルールなんて無視すればいいと強く抱きしめてあげれば、妹は呪われることもなく、結末はあるいは違ったのかもしれない。

 日記を閉じて僕は叫んだ。

 何度も何度も。

 涙が止まらない。止める必要なんかない。

 どれほどの時間か分からないが僕は慟哭し続けた。



 何故か妹の部屋のベッドで目を覚ます。無意識に足が向かってしまったらしい。

 寝転んだまま左隣に目を向けるが、そこに最愛の人いもうとはいない。それを意識すると、心臓に針を突き立てられたような痛みが襲う。このまま、目を閉じ続けていたいのに頭痛がひどくて、それも叶わない。

 カーテンを閉め切っているので今が昼か夜かも分からない。起きる気力が湧かないので、首だけ動かして部屋を見回す。

 無造作に机の上に投げ出された。日記帳が目に入る。

 僕はあれを最後まで読まなければいけない。何があろうとそれだけはやり終えなければならない。

 鉛のように重たい体を引き摺ってなんとか起き上がり、机に備え付けられた可愛らしい黄色の椅子に腰かける。こんなところにも妹を感じてしまって辛い。

 僕は息を大きく吐くと、恐怖と後悔で震えた手でページを捲った。


『だめだ、やっぱり死のう』


 見開き2ページを全て使って、大きな赤い字で書き殴られていた。その文字の暴力性に眩暈がする。だめだ。目を離してはいけない。ページを捲る。


『いけない。私が死んだらお兄ちゃんは絶対悲しむ。お兄ちゃんを悲しませるわけにはいかない。でも、私の想いはどうするの……』


 か細い消え入りそうな青色でそう綴られていた。もし、時が戻るならこの頃の僕を殺してやりたい。妹と一緒にいられることに油断して、仕事に忙殺されていたことを。妹との生活を支えるためとはいえ、結果的に妹を傷つけていた。

 もしや、僕には妹を愛する資格がないのでは? 今更しても遅い後悔がよぎる。


『思いついた。お兄ちゃんとひとつになる方法。辛いけど、これしかない。結ばれないままずっと生きていく方が、よっぽど辛いもん。』


 嫌な考えがよぎる。あれは呪いなんかじゃなかったのかもしれない。僕はページを捲るスピードを早めた。


『作戦はうまくいっている。顔だけが良いどうしようもない奴と恋人ごっこするのは、吐き気がするほど嫌だけど、お兄ちゃんは確実に私を憎んでいる。私も苦しいはずなのに、お兄ちゃんの睨むような視線がなんだか嬉しくなってきた。不思議な気持ち』


『分かった。憎しみって愛なんだ。それもすごい濃い愛。普通に愛されるよりもお兄ちゃんが私でいっぱいでなっている気がする。私、今、すごい幸せ。いつその時が来ても、大丈夫だ』


『お兄ちゃん。読むなって言ったのに、この日記読んでいるよね。ふふっ、お見通しなんだから。大丈夫、安心して。本当は読んでほしかったんだ。読むなって言えば、必ず読んでくれると思ったから。ここまで読んでくれたら分かってくれたと思うけど、私、お兄ちゃんのこと愛しているよ。だから、結ばれないのは死ぬより辛いんだ。だったら、いっそのこと死んでお兄ちゃんの中で永遠になりたかったんだ。でも、普通に死んだらお兄ちゃん悲しむでしょ? それにお兄ちゃんには深く深く私を刻んでほしかったから。だから、あえて憎まれるような行動を取ったの。すごい辛かったぁ! でも、それも今日でおしまいかな。今日、私が初体験を済ませた(嘘だけどね)って言ったら、お風呂ですごい形相で泣き叫んでいるのを見ちゃったから。明日あたり、多分殺してくれるよね。ちょっと怖いけど、それよりも嬉しさが勝っているよ。だから、お兄ちゃん、絶対に後悔しないでね。お兄ちゃんは死んだらダメだよ。だって、せっかくひとつになれたんだもん』


 感情の濁流で脳は完全にショートしていた。何も考えたくないと、僕の全細胞が主張する。だが、体は勝手に動いて妹のクローゼットを漁り、彼女がよく着ていたお気に入りの服を取り出す。僕は華奢な方だからそれが着れてしまう。

 着替え終わり、鏡を覗く。


 最愛の人いもうとの片鱗がそこにあった。僕は妹に優しく声をかける。


「ようやくひとつになれたね」

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