第3話 後の祭りの一人巡礼

一晩中放置していたテレビに映るゲーム画面には「YOU DIED」と書かれている。ああ、死んだのだ。そりゃアクションゲームで寝落ちをすれば死んでしまうだろう。

 夜に考えていた子供じみた妄想をしていた自分がなんだか情けなくて、とりあえずケトルのお湯を沸かし、熱い紅茶を淹れる。そして、カップに注ぎ、そのまま喉にぐいっと流し込んだ。当然熱く、思わず吹き出す。なんでこんなことをしたのかはわからない。きっと頭が回っていなかったのだろう。勢いあまって紅茶はこぼれ、シャツには茶色の染みができ、腰に巻いたベルトも盛大に濡れた。おかげで白さの保たれたシャツのストックがまた一つ失われた。ベルトの紐もべちゃべちゃになったため、今日はベルト無しで問題がないズボンをはくことにした。ひもで縛るタイプのシェフパンツは履きやすくて好きなのだ。


 バイト先に向かう車を運転しながら、こんなことを考える。

 高速道路にこのまま向かって、長野県まで向かえば、何時に会場にたどり着くのだろうかと。

 きっと今たどり着いても片付けなんかは終盤だし、叔父の鉄工所でのバイトを飛ばすことになる。それにきっとたどり着いたところで、自分になにができるのだ。

俺の人の反感を買う才能は計り知れない。悪意のない言動だけじゃない。良かれと思ってやった行動の結果、何かを壊したり、何かを間違ったところへ運ぶことで、現場を混乱させるのだ。

 気づけば信号が赤信号になる。

 気まぐれにグーグルマップでまた長野県へのルート検索をしてみたくなり、助手席に放り投げたスマホに手を伸ばす。

 すると、スマホの上には、巨大なスズメバチが止まっていた。

俺に襲い掛かる様子もなく、ただそこにいる。

例えばこんなことを考える。

昨日結局使わなかった願い事を、このスズメバチに、一つ叶えてもらうというのはどうだろう。

例えばコピーロボットなんかはいいかもしれない。

今日に限っては、バイト先にコピーロボットに行ってもらえれば、叔父の鉄工所の事務作業くらいはしてもらえるはずだ。

それに、車が怖ければ、公共交通機関を使うのもいい。電車を乗り継げば、今から八時間後には長野県に到着することができる。

青信号になる。


 そうと決めたら、出発だ。


 まずは最寄りの駅へ行き、パーキングへ車を止める。二日分くらいのチケットを買って、それをダッシュボードに置いておけばいいだろう。足りなければパーキングの運営会社に電話をすればいい。

 スマホで時刻表アプリを見ながら、乗り継ぎを確認しているところ、バイト先から着信が入る。

 そうだ。スズメバチに願おうとは思っていたけれど、結局のところ願いを直接伝え忘れたままだった。つまり、コピーロボットは結局もらえていない。ただのサボリになる。

 どうしたものかと悩みながらスマホの着信画面を見つめると、ぷつんと画面が暗転する。

スマホの充電が切れた。昨晩充電をし忘れていたのだ。

 これではバイト先に現状の連絡もできなくなる。

 慌ててポケットの中を確認する。こんなこともあろうかと、俺はモバイルバッテリーを常備している。ただ、実際のところ、モバイルバッテリーはどこにもなかった。

 物をなくすのと、物を壊すのは得意だ。だからこんな時も動じない。なければなければで、なんとかなると、開き直る。後は行くしかない。

 みどりの窓口というのは便利なもので、会場近くの駅までのルートを探してくれるから、問題なく切符を買いそろえることができた。

 そこからは、ひたすら電車に揺られて、長野県へ近づいていく。

 例えばこんなことを考える。

 車内にいる隣の人が、こんな平日の真昼間からどこへ行くのかと尋ねて来る。

 そして、俺は渚に芸術祭を勧められた経緯や、どんなことが自分にはできるかと妄想をしまくった結果、結論何もできず、ただ無目的に現地に行こうとする狂人であるという説明文を頭の中で制作する。もしかしたら、そこでぽろっと、かつて獅子舞の団体に所属していて、諸事情で抜けることになった話をするかもしれない。誰にも打ち明けたことがない話だが、関係性の薄い他人の方が話しやすいかもしれない。

 そして少し期待をする。あんた変わってるねえやら、面白い子だねえ、やら、獅子舞、大変だったんだねえやら。そんな言葉をかけてくれることを。

 ただ、実際のところ、そうそう電車に乗っていて隣の人に声をかける人はそうそういないし、自分から今からここに行くんですだなんて雑談を振ることもない。というか、平日の昼間に電車に乗っている人は少ないのだ。

 

 ローカル線と新幹線。そして再びローカル線と、乗り継いでいく。昔夜行バスを使って、東京へ向かったことを思い出す。

 夜行バスは苦手だ。目を閉じていても、寝ているのか起きているのかよくわからなくなる。少なくとも起きたときに体の疲労感は異常に残っている。だからきっとろくに眠れていないのだろう。

 数時間揺られた後、長野県の稲尾駅にたどり着く。空は呆れかえるくらい青く澄み渡っていて、台風の気配は何一つ感じなかった。

 八月も終わると空気は秋の冷たさを帯びて来るし、長野は地元よりも涼しく感じた。気温がバグっている場所と、渚が言っていたことを思い出す。昼間は暑くて半袖だけれど、夜は寒くてコートを着たくなると。うちの地元がまるで亜熱帯のような気候で、もしかしたら地元の方が異常で、長野のこの気候が正常なのではないかと思う。

 たどり着いたはいいけれど、後の祭りという言葉通り、辺りは静けさで満たされている。耳を澄ますと微かに秋の虫の声や、トンボの羽音が聞こえるだけだった。

 記憶を頼りに渚の言ってくれた展示会場の方へ足を向かわせる。誰かと会わないようにと願う自分と、たまたま知り合いに会って「よお、元気⁉ 来たんだ!」だなんて明るく声をかけられたら、どんな顔をすればいいのだろうかと迷う自分が脳みその中に現れる。

 後者の心配をしたところで、都合よく知り合いとすれ違うことはない。そもそも長野県に来るのは初めてだし、俺には友達は渚以外いない。

 

 会場にたどり着く。古い大学の講堂らしい。例えばこんなことを考える。会場の前にある、広い砂利のスペースに、近くの枝で何か大きな絵を描けたらどうだろう。その枝で俺は、思いつくままに地面に線を描き、きっと何かすごいものを描く。それが生き物なのか、人間の感情なのかはわからないまま。でもそれが描き終えたとき、とても満足な気持ちのまま地面に寝転んだらどれほど気持ちがいいだろうと思った。

 そして、それに気づいた通りすがりの人たちが、この絵を見て、もしかししてあなたが描いたんですかだなんて言って来たら「さあどうなんでしょうね」なんて誤魔化して、その場を去ったらきっとかっこいい。いや、かっこいいか? どうだろう。

 ただ、実際のところ枝を少しだけ地面に沿わせて意味不明の線を数本描いたのみになり、そこから先は浮かばない。あの人たちがそういった感情やら何やらを表現する媒体として絵を選べているのが、とてもうらやましく思えて、地面を足でこすり、絵を消した。

 結局やることがないまま、今度は近くにある湖へ向かってみる。動画で見たルートを覚えていたため、なんとなくこっちかなと思いながら歩くと、すんなりたどり着いた。

 

 例えばこんなことを考える。

 このまま湖に飛び込んでしまうのはどうだろう。

 そして二日ほど時間が戻り、祭りの当日に合流できるかもしれない。

 ただ、実際のところ、突然湖から、生きた人間が浮かび上がってきたら不気味だろうし、それに湖に飛び込んだはいいものの、都合よく時間は戻らない。それに自分は泳ぎが苦手で、背泳ぎができないことを、渚に笑われたことを思い出す。

 なんとなくその時の悔しさがよみがえり、必死で体を動かして泳ぎを続ける。昔よりは泳ぐことができたためホッとした。

 熱く火照った体を、海でも川でも感じられない、湖独特の冷たさが体を包み込んでくれた。

 時間なんてものは戻らなくても、ぷかぷか浮かべば、自分の余計な過去ばかり浮かんでくる。

 獅子舞の音が脳裏に聞こえ、罵声や子どもの泣き声が頭の中を支配する。それはまるで心のタイムトラベルのように、今ここで聞かされているように感じてしまう。その思考の渦から逃れるために頬の内側を強く噛む。痛みで少し、思考はまぎれた。

そして、視界を岸へ移す。すると遠くに何か生き物のようなものが見えた。

 例えばこんなことを考える。

 こんな俺の今日一日の行動をこの土地の神様のようなものが見ていて、惨めで承認欲求の塊のような自分の魂を汚れていると言って、一から人間をやり直して来いと言われ、そのまま胎児に戻されるのだ。 

 人の邪魔にならず、人に迷惑をかけず、人を怒らさず、人を傷つけず、恨まれることもなく、この年まで成長する。きっと、すこしはましな人間になるんだ。そして、そのままひっそり静かに人生を終える、別ルートの人生。強いて言うなら、就活に成功し、もっと給料のいい会社に就職するルートも悪くないかもしれない。

 ただ実際のところ、小学校、中学校、高校、専門学校、今の職場の様々なライフイベントを一からやり直すとなったらげんなりする。それに、今の職場より給料を上げてしまうと、昼食付で休みやすいところはあまりないだろう。

だから頼むからあの物体が神様じゃないことを祈った。

 

 流されていると、やがて陸地にたどり着く。 岸に見えた物体が流木で作られた鹿であることに気づいた。サンダルごしに地面を感じながら、ゆっくりと流木でできた鹿に近づく。

  その鹿に目を奪われる。流木で作られているから。その鹿は喋らない。そもそも生き物じゃないから。だけど、見つめられているように感じたし、そこに生きているように感じた。

これも、作家のひとりの作品だろうか。

 もしこの作者と俺が顔見知りの友人であれば、本当にすげえです、最高です、だなんて言いたいところだ。けれど実際のところ、俺はこの作者と友人ではないし、渚に詳細を聞こうにも、スマホの充電も切れているから連絡もできない。とりあえずしばらく作品を見ながら秋の風を感じることにした。

 ふと周りを見ると、いくつかペットボトルのゴミが落ちている。レジ袋も幸い落ちていたため、それにペットボトルをいくつか突っ込んで、持って帰ることにした。せいぜいこれくらいのことしかできないが、いつもどこかに、何かを置き忘れている過失は、若干ながら取り戻せただろう。

 ここまで来たら、渚の言っていた、展示会場の一つである森に移動して、他の作品を見てみるのもいいかもしれない。フェイスブックやインスタの更新で、青森の作家が岩でおっぱいを作っていたり、四国から来た初参加の作家が、おっことぬしを作ったとかいう記事もあった。それに渚の絵もまた置かれているかもしれない。

いや、本音を言えば、祭り当日に、森で行った火の周りを舞うパフォーマンスは見たかった。

何はともあれ、繰り返しグーグルマップを見ていた俺からすれば、現地までの道を思い出すのは容易かった。

 

 たしか、およそ二時間だったはずだ。

 例えばこんなことを考える。

 この鹿の作品に命が宿り、そのまま俺をその森まで運んでくれるというのはどうだろう。鹿であればガソリン代はかからないし、自然環境にもいいかもしれない。

 ただ、実際のところ作品の鹿に乗ってしまい、壊れてしまえばそれこそ責任がとれない。魂がこもったこの作品に乗ることはできないし、そもそもこの作品に人を乗せて運ぶ機能はない。

 さらに、スズメバチの一つ目の願いを使ったところで、帰りが大変だ。結局帰り道で二時間かかる。というわけで歩くことにした。

 幸い趣味でウォーキングを小一時間することもあり、それが多少倍になったところで、汗だくで足が痛くなる程度だろう。それに、ここで諦めて帰ったところで、何の意味もない。

 

 例えばこんなことを考える。

 渚、もしくは渚の知人が車で通りかかってくれたら、乗せてくださいと言って、森まで運んでもらえるので渚いか。

 ただ、実際のところ乗せてもらったとしても、何を話せばいいのかわからないし、祭りが終わったあと、一人でとぼとぼこんなところまで来たなんていう事実を伝えると、恥ずかしくて、その辺のクマの餌になってしまったほうが何倍もましかもしれない。

 結果的にそんな車にすれ違うことはなく、森へはたどり着けた。うっそうと空高くまで生えている木が、俺を飲み込んでしまいそうだった。まさに別世界。渚が虜になるのもわかる。光合成の力か、どこか酸素が多い気がして、息を吸って吐く。肺の中の空気が入れ替わり、少しだけ視界が開けた気がした。

 砂利道を歩いた先には、キャンプ場の管理棟がある場所だ。少しだけ人のにぎわう声が聞こえる。誰か泊まっているのだろうか。ただ、目的地は上ではなく、下である。この位置から階段を降りれば、作品が飾られている山道にたどり着くことは動画で予習済みだ。俺はキャンプをしに来たのではない。俺の数少ない特技である、動画だろうと、地図アプリだろうと、一度シミュレーションをすれば、道をそこそこ正確に覚えられる。だから迷うことはなかった。

 

 ただ、ここでまた問題が発生した。

 階段を降り切り、矢印が書かれた小さな看板のところで、足の力がずるっと抜けたのだ。そして、俺は土の上に、座り込む。そのまま体は動けなくなってしまった。

 冷静に考えてみれば、当然かもしれない。

 長時間の電車移動に、湖での水泳に加えて、ここまで徒歩二時間。いや、もっとかかっている。小一時間のウォーキングなんかと比較した自分が馬鹿だった。

 結局そのまま、近くの茂みのところに寝転がる。木漏れ日の中、葉っぱがざわざわと動く音に、流れ続ける水の音が聴こえ、着実に自分を癒してくれる。

例えばこんなことを考える。

 動画内に、無邪気な子供たちが遊んでいたのを思い出す。

 こういう時に、無邪気な子供が明るく飛びついてくれたら、この疲れもすべて消えてなくなってしまうような気がした。子どもは好きだ。未だに脳みそが五歳児のままの俺でも、一緒にいても大丈夫な感覚があるから。

 ただ、実際のところ、目の前に近づいてきたのは、そんな無邪気な子供ではなく、一匹のクマだった。

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