例えばこんなことを考える
ろくなみの
第1話 表現者の世界
「これが、芸術祭、なのか?」
「うん。芸術祭なの」
地元の居酒屋で久しぶりに再会した友人、渚は照れくさそうにビールを一口飲んだ後頷いた。彼女の持つスマホには、動画が映されている。芸術祭の模様は、普段とは全く異なる世界だった。
芸術祭と聞いた時、てっきり絵や立体作品の展示だけだと思っていた。
ただ、その芸術祭では、とにかく人が思うがままに踊ったり、叫んだり、儀式的な奇妙な動きをしたりする。中には獅子舞をしている人もいた。獅子舞なら唯一なじみはあるが、これも太鼓の音に合わせて即興で動いているらしい。しかもかなり巨大だ。十人くらいは入るんじゃないだろうか。
「こんな獅子舞があるんだな。地元のと全然違う」
「そっか。やってたんだよね」
「まあ」
やってた。たしかに俺も獅子をしていた。
それが、うまいか下手かは別として。そして、今もしたいかどうかは別として。
その話をあまりしたくない俺は、動画のシークバーを動かし、他の場面を見ようとする。
すると、建物の外に、巨大な紙が置かれ、そこに絵を描いている、髪の短い女性の姿があった。
というか、それは渚だった。
「これ、渚?」
「うん、私」
「お前、絵描くために行ったんじゃないの?」
「うん、そのはずなんだけどね」
照れくさそうに渚は笑う。絵を描く渚ももちろんいたが、そこに合わさるピアノの音や太鼓の音。それに合わせて渚は筆をおき、そのまま体をひねり、舞う。時に叫び、地面をける。思い出したかのように筆を再び手を取り、彼女は描き続ける。
その姿に、思わず見惚れる。
「自由だな」
「でしょ。この芸術祭ね、ここの会場以外にも、大きな森も展示場になってるんだ。そこに、私の絵を木に引っ掛けるみたいに飾ることになって」
「木に? 建物の中じゃなくてか?」
「うん。すごく素敵な森だったから。ここに絵を飾りたくて」
「楽しそうだな」
「うん、たのしかった」
うっとりと彼女は何かを思い返すように天井を見上げる。気づけば注文していたビールはすっかりぬるくなり、炭酸も抜けていた。
ここの動画にいる人たちと微笑みあい、共に舞い、共に歩んでいる。これが、今の渚にとって、大切な友人なのだろう。
「こんな感じ。この動画を撮ってくれた人、最近スマホで撮り始めたみたいで、ご縁があってお願いすることにしたんだ」
ひとしきり動画を見せてきた後、彼女は照れくさそうに動画のシークバーを戻す。
「なにお前、表現者、ってやつなの?」
「別にそんな大層なやつじゃないよ。ただ、うん、なんていうか」
うっとりと自身の踊っている動画を見ながら、彼女は言葉を考える。そして、二分ほどたった後、彼女は口を開いた。
「やりたいことをやっただけ、って感じ?」
「考えた割にシンプルな回答だな」
「だってそうとしか言えないもん。大学のお友達がこの芸術祭関係の人で、来たらいい、きっといい時間になるって言われて。だから私も別に何かをするつもりなんてなかったのに、気づけば踊ったり、歌ったりしてたの」
「え、なに、参加作家ってわけじゃなかったのお前」
「うん、参加作家ってわけじゃなかったの。私」
その事実にまた呆然とし、心を落ち着けるために枝豆の入った小鉢に手を伸ばす。気づけば枝豆の中身はすべてなくなっていて、空っぽになっていた。
「ねえ」
彼女が何を言おうとしてるかはわかっていた。
「俺にはできない」
彼女が言葉を続ける前に、俺はそう遮る。
「……そうなの?」
心配そうに。そしてどこか残念そうに彼女は言う。
「きっと、俺がいたら邪魔になるよ。いない方がいい」
生きている限り人は誰かの邪魔になったり、迷惑になることもある。
別に悪意なんてなくとも、心のままにやったことが、表現したことが、何かを傷つけることもある。
そういう思いをしている人間は、人の辛さがわかる優しい人になれるなんて言葉もあるけれど、そんな体験は自分の足枷にしかならず、何をしようとしても、結局自分は受け入れられないんだという思いに着地するのである。
しばらく沈黙が流れ、ビールを一口飲み、彼女に問いかける。
「ところで、この芸術祭? って言っていいのかな、どこでやってるんだ?」
「長野県」
現地の場所を検索し、グーグルマップでその場所を見せてくれる。車で片道八時間半。徒歩で行けば四日かかる。
とてもじゃないが、気楽に行ける距離ではない。公共交通機関で行ったら、いったいいくらかかることやら。少なくとも日帰りができるものでない。
そこからも渚の話は止まらなかった。森の中にたくさん虫がいて、オニヤンマがスズメバチを捕食した話とか、クマが出たときのためにクマよけの鈴を持っていったとか、誰かが持ってきたクマの肉をさばいて食べたとか。
きっと俺といるより、渚は渚らしくあれたんだろう。
俺がもしもいたら、渚はここまで、楽しめていない。
そんなやりとりをした後、彼女とは店の前で解散した。家が反対方向の海のそばだ。それに彼女は一人で歩くのが好きだ。女子同士で一緒にトイレに行く文化が好きじゃない彼女らしいといえば彼女らしい。
帰ったら、クリアした後のゲームの二週目がまだだったなとか、貯めていたドラマの録画の消化ができていなかったなとか、そんなことを考える。
ただ、頭の片隅で、あの自由に体を動かし、歌を歌う渚を含む表現者たちの表情がフラッシュバックし、帰ったあと、布団の中で彼女の見せてくれた動画を何度も見ていた。
何度も見返している間に、腹の奥がむずむずする感覚に襲われる。まるで俺はこの人たちの生き方はできないぞ、違う世界だぞと言われているみたいで。
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