第10話 兄貴

次の日は、泣き腫らした目で起きてきてもお母さんは知らんぷりだった。それでも朝ごはんはテーブルの上に並んでて、お母さんの優しさを垣間見た気がした。でもお腹がすいてなかったし、お母さんへのいら立ちも消えてなかったから、その朝ごはんは一口も食べず残してしまった。お母さんはそれに対しても何も言わない。ただ、無言で片づけてしまった。

 いつも通り顔を洗って、着替えて、ランドセルを持つ。それだけなのに、いつもより憂鬱で最低の気分だった。

 そんな気分のまま靴を履いていると、お母さんが台所から顔を出す。


「今日は寄り道せず帰るのよ!」


私は返事しなかった。するとお母さんはさらに大声を出す。


「わかった!?」


私は無言で頷いた。それから行ってきますも言わず、家を出た。

学校でも始終その調子で、ぼーっとした様子だったからか、先生に怒られた。クラスメイトからはどうしたのと尋ねられたけど、事情を話す気にはなれなかった。

そしていつもなら喜んで帰る放課後。足取りは重く、とぼとぼと帰る。


(もう私は魔法使いの住む家に行けないんだ)

(いつもなら薫子さんお家に行って、紅茶を飲んで本の話をするのに、もう無理なんだ)


また泣きそうになりながら歩いていると、マンションに着いた。ちらりと三号棟のほうを向くが、人影はない。私は一号棟の階段を上がっていった。魔法の妄想も、もう全然できず、ただただ悲しみを心の中で繰り返し味わった。

家の前に着くと、案の定笑い声が聞こえてきた。

がちゃりと重いドアを開くと、タバコのにおいがむあっと漂ってくる。

そのままリビングまで行くとより一層においがきつくなる。周りには色とりどりの頭の不良高校生が私を気にも留めず馬鹿笑いしている。

それらを横切って部屋へ行こうとしたら、たまたま煙を大きく吸い込んだみたいで、げほっと咳が出た。しかも何度も。

 それがいけなかった。

部屋に入らず、煙でむせていると、空気が一時シーンとした。お兄ちゃんお友達はこちらを見てくる。


「なにあれ、わざと?」

「嫌味?」


そう言う声が聞こえてきた。全然そんなつもりもないのに言いがかりだ。

今日の私は虫の居所が悪く、いつもなら無視して部屋に入るところ、今日は違った。

お兄ちゃんの友達のほうをキッと睨みつけたのだ。

すると周囲からは「うわ、睨んできた」「喧嘩売ってる?」と言う声が上がった。

その声に、お兄ちゃんが反応した。

タバコを吸って私のことなんて知らんぷりだったお兄ちゃんがこちらを睨んだ。そしてのっしのっしと獲物を前にしたライオンのように、怖い顔で私のほうへやってきて、胸ぐらを掴む。


「なんだその目。俺らが悪いって言いたいのか?」


お兄ちゃんはどすの聞いた声で私に問いかける。


(このままじゃ、殴られる!)


そう危機を感じ取った。しかし同時に思った。


(なんで私がこんな目に合わないといけないの!)


私の中で怯えよりも怒りが勝った瞬間だった。そして、私は背中からランドセルを滑らせ、片手で持つと、思いっきりそれをお兄ちゃんの体めがけて投げつけた。


「っなにすんだ!」


お兄ちゃんが叫んだと同時に手が離れたので、私は走り出した。

玄関で靴を履かず、そのまま外へと逃げだした。

もちろんお兄ちゃんと、何人かの友達は追っかけてきた。


「待てこら!」


一号棟の階段を下りて、マンションの前に出た。どこに行こうか迷うよりも先に三号棟の方面へ走った。アスファルトでも、靴下で走ると痛かった。何度もこけそうになって走っていると、ふいに腕を掴まれた。鬼の形相のお兄ちゃんだった。腕は痛いほど力強く握られ、後ろに引っ張られた。すると体勢を崩し、そのままコケてしまった。

地面に倒れて痛みが走る。絶対膝を擦りむいた。

お兄ちゃんはこけた私を見下ろした。

怖くて顔が見れないけれど、絶対怒っている。このままじゃ、ぼこぼこに殴られる。私はイチかバチか、大きく息を吸った。


「助けて!薫子さん!」


届くわけないと思った。でも呼べる名前がこれしかなかった。お母さんでも、学校の先生でもない。私は薫子さんにしか頼れないんだ。

このまま殴られるんだろう、そう思った時、お兄ちゃんの友達が戸惑いの声を上げた。


「おい、あれ。誰かこっち見てるぞ」

「は?」


そう言われる方向を私も見た。すると、見覚えのあるワンピースを着た女の人がこちらに走ってきた。


「何してるの!離れなさい!」


聞き覚えのある声。今一番聞きたかった声。

薫子さんの声だった。大声を出して、いつも笑みを絶やさない薫子さんが、怒った顔でこちらに走ってきた。


「やべ」

「いこいこ」


そう言ってお兄ちゃんの友達は来た道を戻り、お兄ちゃんに至ってはちっと舌打ちをしてから去っていった。

残ったのは、地面に座り込んでる私と、端って息切れした薫子さんだけだった。


「か、薫子さん。どうして」

「秀さん!大丈夫?どっか殴られた?」


座り込んでいる私に視線を合わせるよう、薫子さんもしゃがんだ。慌てた様子で私の体を触る。私は首を振った。


「大丈夫です。殴られる前でした」

「そっか、よかった…」


私は薫子さんに支えられるまま、二人同時に立ち上がった。おしりをぱんぱんとはたいて砂を落とす。


「とりあえずうちにおいで。家には帰れないでしょう」

「でも…」

お母さんが、と言おうとすると、薫子さんは私の口に人差し指を置いて、制止した。


「大丈夫だから」


ね?と言って薫子さんは微笑んだ。それを見て私は「ああ、やっぱり薫子さんは魔法使いだ」と思った。手を引かれ、靴下のまま地面を歩いて三号棟まで行った。


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あなたの魔法使い 山本いろは @Ayaka021600168

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