自殺中止
ぽんぽん丸
春雷
春雷がやってきた。雷、激しい嵐。私は河川敷へ向かった。
夏まで待って台風を選んだら全国ニュースになってしまうかもしれない。「川の様子を見に行った20代男性が死亡」などと間違った理解が全国民に伝わるなんて許せない。これまで誰にも理解されなかった。死に際して間違った答えを添えられるだなんて許さない。
立春過ぎて、春雷の雅な知らせの僅かな合間に、奇怪な報が挟まると良い。なぜ若者は死んだのか。私のことを理解しようとする人がいるはずだ。
濁流。山から来た枝や木や石。私と一緒に流れるもの。溺れ死ぬのだろうか。それともあの暴風に負けた木々や石に殴り殺されるのだろうか。私は怖かったがやろうと思った。
「救うとは!」
耳を疑うような声だった。堤防の上に立つと風はますます強く当たって屈まずにはいられない勢いだ。だがその声は対岸から耳に届いた。疑いはもう1つあってなぜ自殺しようとする人にちょうどよくそんな言葉が届くのだろうかということだ。自分に向けられた言葉だと認識した。つまり私はこの時にはもうおじさんを心の中に入れていたのかもしれない。
「ただ1人にしないこと!!」
目を疑うような光景だった。全裸のおじさんが対岸に立っていた。暴風、暴雨。視界不良。だがまるで8K映像のように鮮明に映り記憶している。陰茎はコートがたなびくみたいにビタビタ揺れていて最初は見てしまったのだけど、それよりも晴れた笑顔。釘付けになった。
「そして死とは!!」
ちょうど対岸の向こうで雷。堤防の高さがおじさんの背景を空だけにしていた。黒い空がビカっと光っておじさんをシルエットにする演出はよかった。春雷と事前に打合せしたのだと思う。
「こんな濁流によって決してもたらされるものではないだろう!!」
笑顔と発音する口だけが柔らかく動く。肩幅より少し開かれた足も、胸で組まれた腕も決して揺れない。鍛えられてはいない体はピンと張って嵐に勝っていた。
「ついに、人を動かすとは!!」
私はもう何も思考しない。
「やって見せること!!」
おじさんは海外のヒーローが空に飛びあがるような姿勢を作った。これもまた空へ手を掲げて、力を溜めるように少し屈伸して綺麗だった。
「とう!!!」
伸びあがり宙に舞った。きちんと頭を下にして濁流に落ちた。私は「ああ」と小さな声が出て安全な場所から届くはずない手を伸ばした。すぐに水の上に顔が出てきて視線とグッドサインを私に向けた。流れが上下左右にくるくるとおじさんの体を回転させた。だけどずっとこっちを見てるgif画像みたいだった。おじさんはずっと私に向かっていたと思う。
「嵐など!!濁流など!!私たちの魂を殺せるはずがないだろう!!」
救急車は遠ざかると声は小さくなる。おじさんは救急車ではないようだ。発音する間にも相当な距離を濁流に流されたが、私の鼓膜を均一に振動させた。すぐにおじさんの晴れた笑顔は遥か彼方に見えなくなった。
私は膝から崩れ落ちて泣いた。嵐に暴風にも負けなかった。顔面に触れると絶え間なく打ち付ける雨を知らずに、涙や鼻水の温度がした。泣き叫ぶ自分の声だけが鼓膜を叩いた。
私は疲れきって家に帰った。それからおじさんのことばかり考えた。自分はおかしくなったのだろうか。自死を前に気が狂って幻覚を見たのだろうか。しかしあんな晴れた笑顔が自分のどこからも出てくるはずはなかった。あんなに強い言葉が出てくるはずがなかった。
私は地元のニュースを探した。春雷の雅な知らせだけだった。おじさんには遠く及ばない笑顔のキャスターが本当は興味のない季節の移ろいやそれにまつわる句を紹介していた。
もしかするとあの川のすぐ先には流れが緩やかになるポイントがあるのかもしれない。もしかするとおじさんはその昔、泳ぎのオリンピアであのくらいの濁流はすいすい泳げるのかもしれない。バカが。そんなわけない。
おじさんのことばかり考えて、これではいけないと3か月経った頃に精神科にかかった。おじさんのことばかりを考える人生ではいけないと思った。薬やカウンセリングの効果はわからなかった。代わりに名案が出た。
部屋に神棚を作ってそこにおじさんを祭った。カワカミ様と呼んでいる。朝起きてすぐと、寝る前にはみがきする時に拝んでいる。自分の外に祭ることで私の中からおじさんを切り離すことができた。私はそうしておじさんのことばかり考えなくなって社会に戻った。
しかし不思議なことに私はこれからおじさんに成ろうとしている。ただ1人でこの社会の中で生きて、他のただ1人になった誰かに強い言葉を晴れた笑顔をいつだって向けてやってみせる人になろうと私は決心して生きることに決めた。
自殺中止 ぽんぽん丸 @mukuponpon
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