第6話 まだ知らない
『精霊使いということを別としても、アイリス嬢は薬草学、魔法薬調合で能力が高い。お前は知らないだろうが、彼女は王宮薬師からも声がかかるだろうと言われている。捕まえておいて損はないんだ』
そんな胸糞悪い会話を、わたしたちは彼らの屋敷の外で聞いている。大通りを避けて、路地裏にわたしとショーン君が身を寄せ合って立っているわけだけど、道行く人が偶然わたしたちを視界に入れたとして、マクフィー侯爵家の会話を盗み聞きしているとは思わないだろう。まあ、普通に考えたら恋人同士がこそっといちゃついていると思うかな?
まあ、わたしたちの間に行き交う言葉にはそんな色気はなかったけどね。
ショーン君が持ち出してきたのは、前世で言うところのボイスレコーダーみたいなやつ。彼が作った魔道具だっていうんだけど、これが凄いんだよね。
ちょっと大きめの蜂みたいなドローンをマクフィー家の書斎の窓際に飛ばして、音を拾って彼の手の中にある小さな箱に録画、録音する。それぞれの動力は魔石で、魔石の大きさにもよるけど記録できるのは長くて一時間程度。
でも、これ、売れる――!
と、正直びっくりしてショーン君の顔をじっと見つめてしまったら、彼は照れながら色々説明してくれた。
「元々、これは魔物討伐用の蜂なんだ。毒針があって、基本的には痺れ薬を仕込んである。ただ、それ以外の活用方法があるんじゃないかって思ったから、蜂の性能はそのままで新しい機能をつけた。それで、遠くから敵の様子を観察できるように、最初はこの箱に水晶を入れて、近くの壁に映せるようにしたんだけど」
「今は、さらに改良して録画……天才か!」
わたしはつい、彼の手を握ってしまった。「将来、うちの商会に就職しない!? 大丈夫、ウィドウズ商会はあいつらには渡さないし! ちゃんと、ショーン君の希望の、ロケラン付きの義手は一緒に研究して完成させるから! いっそのこと、義足にも隠し武器を仕込んで座頭市になろうよ!」
「ざ……何?」
「盲目だけど杖に隠し武器を仕込んで、バッタバッタと敵を切り倒すカッコいいオジサン!」
「なる」
――チョロいな。
っていうやり取りの後の、マクフィー侯爵家の盗聴である。
魔道具である箱から聞こえてくる彼らの声は、腹の中まっくろくろすけである。左側から『殺すか?』『やるなら殺るぞ?』と響いてくるし、右側からは『ああいうのには近づきたくないわぁ……』と泣き言が聞こえてくる。
でもまあ、わたしとしては。
「ショーン君のこの魔道具、有効活用させてもらうね」
と、笑いが堪えられないのである。
そしてショーン君は、少しだけ躊躇いがちにわたしに訊いてきた。
「精霊使いって何だ? 君がそうなの?」
「母はそうだったみたい。わたしは精霊と契約を結んでないからまだ違う」
「まだ」
母が亡くなる前に、わたしに手紙を残してくれていた。物心ついたわたしは、お父様から渡されたそれを読んだけど、幼いからよく理解できなかった。
確かに母は精霊使いと呼ばれる存在だったみたい。精霊に名前をつけて契約し、精霊のために――精霊の敵となる存在と戦うんだって。その敵の中には、人間も含まれる。自然を破壊し、この世界にとって毒になり得るものを排除する。
その代わり、精霊から人間を超える能力を与えられるみたいだ。
その力の中に、植物を自由自在に育てる能力もあるらしいけど。
契約してないけど、右の精霊が喜んで助けてくれてるし――。お蔭で、滅多に手に入らない高価な薬草も育て放題なのはありがたいけどね。
『あなたのお母さんから頼まれたからね、助けてあげてるの』
右側はいつだったか、そう言った。
『俺は早く契約しろと言いたい』
とは、左側談。
「まあ、いいか。俺はそんなの気にしないし」
ふと、ショーン君が小さく呟いた声が聞こえて、わたしは我に返る。わたしが首を傾げていると、長い前髪の下の頬を緊張したように引きつらせながら言うのだ。
「その、俺は……学校でお前を、いや、君を見てて、凄いなと思っていたし。ウィドウズ商会の関係者ってだけじゃなくて、その……君のことが、す、す」
「す?」
「す」
「す」
「……素敵だな、と」
『ヘタレたわね、この男』
『この根性なしが!』
「え、え、と」
背後がうるさいと感じつつも、わたしは男の子にこんな風に甘酸っぱい言葉を投げかけられるのは初めてなので、どきどきしてしまった。
一応の婚約者だったブライアン様も、いつだってわたしを馬鹿にしたように見てたし、まともに会話もしてなかったしね。
わたしもちょっとだけ挙動不審になりつつ、ショーン君の横顔を見上げて言うのだ。
「ええと、わたしも、その、ショーン君のことが……す、素敵だと思ってるよ?」
『こっちも駄目ねえ』
『このいくじなしが!』
「とにかく」
わたしはそこで軽く首をぷるぷると振って、拳をぐっと握りしめて言った。「この魔道具を使う前に、ちょっとムカつくからあいつらを襲ってくるね」
「襲って?」
「うん」
わたしはニヤリと笑い、争いごとが好きな左側に力を貸してもらうことにした。マクフィー家は本当に大きい。高い壁に囲まれて、綺麗に手入れされた大きな庭、馬車が数台置いてある建物、厩舎、離れの建物と本館。それらを守るように、魔法で侵入者避けの仕掛けがしてあるけれど、そんなの左右の精霊がいれば無力化するのも簡単。
慌てふためくショーン君を路地裏に残したまま、わたしは精霊たちの力を借りてあっさりと彼らがいる書斎――二階の窓まで運んでもらったのだった。
『いくぜ!』
左側からそんな叫び声が響くと同時に、書斎の窓どころじゃなく、内部の机や椅子、本棚や花瓶、色々な調度品が吹っ飛んだ。それこそ、屋敷が揺れるくらいの振動と、馬鹿……じゃなかった、マクフィー家の人間たちの叫び声も続いて、静寂が訪れる。
「よいしょ」
わたしが割れた窓を乗り越え、気絶して倒れている人影――ブライアン様とその生産者、ブライアン様よりは頭が働くけど中身は残念な類似品たちを見下ろしてふふん、と笑う。
前世持ちを甘く見てもらっては困るのだ。
この世界の貴族の女性ってのは、男性に守られてなんぼ、みたいな意識の人たちが多いけど、わたしは違う。利用できるものは何でも利用し、自分を守るためなら何でもする。
お父様が作り上げたウィドウズ商会を、こいつらなんかに渡してたまるもんか。
でもとりあえず、わたしは身に着けていた上着のポケットから、愛用のペンを取り出した。これも、前世でいうところの油性マジック的な――洗っても落ちないインクで書ける筆記用具なのだ。ウィドウズ商会の商品、銅貨二枚で買える。
ちなみに、ブライアン様たちの顔の文字もこのインクで魔法転写したものだ。
わたしはそのペンで、ブライアン様の額に『大』と書いて、両頬を合わせて『大馬鹿』と読めるようにし、彼のお父様、兄たちにも同じように『大馬鹿』と書いた。なかなかの達筆である。誰も褒めないから自画自賛しておく。
『使用人たちがくるわよ』
右側の精霊の言葉にわたしは立ち上がり、早々にその場から逃げることにした。
やり遂げた、という謎の達成感と共に。
で、その後――なんだけど。
わたしはショーン君と一緒に、あの記録用の魔道具をとある貴族のお屋敷に持ち込んだ。
まあ、マクフィー家の長男の婚約者のお屋敷なんだけどね。
侯爵家の子息と婚約するだけあって、その婚約者さんもそれなりに身分の高い女性で、彼女のお父様はそれはもう、烈火のごとく怒った。何しろ、自分の愛娘を傷物にして婚約破棄、みたいな会話を聞いてしまったらね、誰だって怒るよね。その魔道具を持って国王陛下に相談し、いつの間にか。
マクフィー侯爵家は領地没収となった。領地経営が全くできない上に、貴族子女襲撃予告発言があったので危険だと判断された。国王陛下、ご英断! というか、当然か。
顔に『大馬鹿』と書かれた連中を王宮に呼び出して、直々に聞き取りがあったそうだけど、まあ、惨憺たる有様だったみたいだよ。覗き見してきた左の精霊曰く、ね。
ちなみに、わたしに関する『精霊使い』疑惑は全力で否定しておきました。あいつらが王宮にて尋問を受けている間に、当然だけどわたしも追及されたんだよね。何故か吹っ飛んだお屋敷の書斎のこととか、特別な力を持っているんじゃないかって質問されたけど。
「きっと、亡くなったお母様とお父様が守ってくださったんです!(嘘泣き)」
で乗り切ったわたし、最高。
ジンジャーと伯母様の悪事も露呈した。偽の印章でウィドウズ家を乗っ取ろうとした罪で、二人とも犯罪者が行くという噂の修道院に押し込められたらしい。顔に『馬鹿』と書かれているせいで、修道院でも仮面をつけて生活しているとか噂を聞いた。本当かどうかは知らないし、知りたくもない。
「やっぱりお父様が守ってくださったんだわ以下略」
と泣き真似をしていたら、いつの間にかこの事件は収束していた。
まあ、まだ周囲はそんなに落ち着いてはいないけど、わたしはウィドウズ家の屋敷に戻ってきたし、商会にも何の被害もなく終わった。
「マクフィー侯爵家ってどうなったんだ?」
わたしが事件後、色々と落ち着いてから初めて学校に行った時に、校門で待っていたらしいショーン君が駆け寄ってきてそう訊いた。
「どうも、ブライアン様の母方のご実家に逃げたみたいよ。もう、王都には戻ってこれないみたい」
「処分がぬるくないか?」
ショーン君がわたしの隣に立って歩きながら、低く唸る。
「もう今までと同じような暮らしじゃなくて、平民と同じような仕事をさせられるって聞いてるから……それなり、なんじゃないかなあ」
それに、顔には消せない文字が書いてあるし、恥ずかしい生活を送るんだろう。
「それなり、か」
でもやっぱり、彼はどこか不満げだ。
まあ、マクフィー侯爵家って歴史が長いらしく、祖先の人たちの名声があったせいか、少しだけ温情を与えてもらったんだろうな。
わたしの立場も曖昧だ。ちょっとだけ、王家から目を付けられた気はする。精霊使い疑惑は完全に晴れたわけじゃないから、これからは行動には気を付けないと。大人しく、地味に生きていこう。
辺りを見回せば、わたしの方に視線を向けてくる生徒たちが多いと気づく。やっぱり、噂になってるんだろう。
「……敬語、使わないといけないかな」
少しだけ寂しそうにショーン君が言うのを聞いて、わたしもハッとする。
「そう言えば、ショーン君って先輩……!」
「いや、君じゃない。俺は平民だから」
「うーん」
わたしはそこで少しだけ考える。「例の魔道具が正式に売り出されたら、結構な話題になるんじゃないかな。多分あれ、魔物用だけじゃなく……かなりヤバい扱いになる。王家の許可がないと使えないとか、あり得るよ」
ショーン君はあれを、お父さんと使うだけの道具にしていたみたいだけど、間違いなく魔道椅子を超えた商品になるはずだ。そうなったら。
「あの価値を認められたら、爵位をもらうのも早いかもね」
わたしのその言葉に、彼は少しだけ驚いたようにわたしを見つめた。そして、短く続けた。
「そうしたら、君の隣に立っても許されるんだろうか」
「え?」
「何でもない」
僅かに頬を染めたように見える彼を見上げながら、わたしはまた首を傾げる。
この時のわたしはまだ知らない。
ショーン君がどんどんかっこよくなって、他の女の子にもモテるようになって、わたしがやきもきするようなことになるってこと。
それが恋と呼ばれる感情に育つことも。
まだ知らないのだ。
精霊使いの少女は前世持ち こま猫 @komaneko
★で称える
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