第5話 鏡を見た方が

「上手くいきましたわね、ブライアン様!」

 僕の腕に絡みついて身体をこすり付けてくるジンジャーの姿に、つい笑みがこぼれる。

「ああ。もうこれで僕たちの間を邪魔する人間はいないね」

「嬉しい!」

 頬を紅潮させて満面の笑みをこちらに向けた彼女は、僕の腕を取って屋敷の居間へと誘う。彼女の母親も、足取り軽く廊下を歩き、顔を強張らせている使用人を見つけて命令した。

「お茶を用意して! それに、よろしければ夕食も一緒にいかが?」

 後半の台詞は僕に向けられたもので、もちろんそれを断る理由なんてない。ジンジャーとの計画は成功し、あの地味な女をこの家から追い出すことができた。こんなに上手くいくなんて、と僕の心も浮足立った。


 元々、アイリス・ウィドウズとの婚約は父からの命令だった。

「いいか、絶対にあの女を逃がすな。ウィドウズ家の力は子爵家とはいえかなりのものだ。お前の取り柄はその顔しかないんだから、せいぜい優しくしてやるんだ!」

 と、酷いことを言われて、腹の奥に苛立ちが膨れ上がっていくのは仕方ないことだろう?


 アイリス・ウィドウズは、平凡以下の顔立ちをした小賢しい女だ。学校では真面目なだけが取り柄で、僕が彼女と婚約を結んだと友人たちに伝えた時も同情されたものだ。「地味すぎんだろ」とか、「お前と一緒にいると存在感ねえな」とか色々言われた。

 僕は自他共に認める美男子というもので、母からは本当に大切に育てられたと思う。僕の兄二人と比べても、一番派手な顔立ちで、学校を歩けばほとんどの女生徒が僕のことを恍惚とした瞳で見つめてきたものだ。


 僕の隣に似合わないのが誰の目にも明らかだというのに、アイリスはそれを気にした様子もなく、僕に媚びを売ることもない。必要最低限の会話だけして、勉強とウィドウズ商会の商品開発にだけ力を注いでいるだけのつまらない女。


 だから、ジンジャーが学校で僕に声をかけてきたとき、そして彼女がある計画を持ち掛けてきた時、それに乗ることにした。アイリスをウィドウズ家から追い出し、ジンジャーがウィドウズ家の正式な娘として屋敷と商会を引き継ぐ。

 そうなれば、この派手な美人であるジンジャーが僕の妻となって、僕を褒めたたえてくれるだろう。

「ブライアン様って素敵ですわ! ブライアン様の能力を正当に評価できるのは、わたしだけですのよ?」

 なんて言いながら、僕の隣に座って膝を撫でてくれるだろう。

 女としての魅力は、どうやってもアイリスよりジンジャーの方が上だ。僕の隣に並ぶのは、最低でもこのくらい美人でなければ許されない。そうじゃないのか?


「そう言えば、魔道椅子の設計図って商会にあるのか?」

 鋭い目つきの使用人が、テーブルの上にお茶の入ったカップを勢いよく置いていく。ガチャンと耳障りな音が響き、やはり子爵家の使用人はしつけがなっていないな、と顔を顰める。

 それでも、気を取り直して隣に座ったジンジャーに設計図の場所を訊くと、彼女は困ったように首を傾げた。

「わたしは知りませんが、お母様は知ってる?」

 と、ジンジャーは僕たちの向かい側のソファに腰を下ろした彼女の母親に訊く。すると、こちらも困ったように「弟の書斎かしら?」と首を傾げる。

 どうやら、二人が知らない隠し金庫があるのではないか、と言う。

「あら、じゃあ、探しましょうよ! 宝探しね!」

 そこでジンジャーが目を輝かせて僕の腕を掴んだ。これは好都合だった。僕は仕方ないな、とわざとらしく演技をしながら、ジンジャーに案内されて亡くなったウィドウズ子爵の書斎へと足を向けた。


 目的のものを探すのは少々、手間取った。本棚、壁、床、色々なところを観察し、使用人を呼び出して尋問し、ジンジャーの母親も随分と声を荒げていたが――。

 最終的には、ジンジャーが魔法を使って書斎の一部を破壊するという荒業で出てきたものがあった。それは隠し金庫というより隠し部屋という存在で、壁の奥に細い隠し通路があり、その先に魔法書が並んだ本棚と魔石、造りかけの魔道具、机と椅子が置いてある。そして、机の引き出しには鍵がかかっている。

「ここじゃありませんの?」

 ジンジャーが乱暴に引き出しを壊そうとしているので、僕が慌てて近くにあった定規を挟み込んで鍵を壊し、引き出すことにした。


 その直後。


 凄まじい爆音と、埃を巻き込んだ爆風が襲ってきて、その小さな部屋にぎゅうぎゅう状態で立っていた僕ら三人は吹き飛ばされて壁に激突することになった。

「いったーい!」

「何が……」

 ジンジャーと彼女の母親が、焦げた髪の毛を抑えて顔色を変えているのを確認した後、僕は思わず彼女たちの顔を指さして言った。

「それ、何だ?」

「え?」

 ジンジャーが床に座り込んだまま僕を見上げ、急に馬鹿にするような笑みを口元に浮かべて目を細める。

「あらやだ、ブライアン様、鏡を見た方がよろしくてよ?」

「それは君もだよ」

 そう返しながら、僕は自分の顔に手をやった。ジンジャーの嘲笑と同じような笑みを僕も浮かべていただろう。そして彼女の母親も、ジンジャーと僕を見て笑いながら、慌てて隠し部屋から逃げていく。

 気が付けば、僕の服はところどころ穴が空いていて、先ほどの爆風の威力を思い出させてくれる。ぶるりと肩を震わせながら、そして――僕の顔もジンジャーと同じようなことになっていたら……と戦々恐々だった。


 そして――。


「この愚か者が!」

 と、その夜、僕は自分の屋敷に戻ってから父に怒鳴られることになった。父の書斎に呼び出された僕の後ろには、二人の兄も立っている。どうやら、僕が逃げ出さないようにという配慮だったらしいが、仏頂面らしい一番上の兄の怒気を感じながらも、二番目の兄の爆笑に頭の血管がキレそうだった。

「ぶ、ふ、馬鹿! ブライアンの顔に、馬鹿って! ぶふふ、わはは、事実だけど、馬鹿だって! 間抜けにもほどがある!」

「黙れ」

 父の地を這うような低い声も、兄の笑い声を僅かに小さくさせるだけでとめることはできそうにない。


 僕の顔には今、黒い文字が痣のように浮かび上がっている。

 文字は簡単、『馬鹿』である。両頬にしっかり、どんなに洗っても取れない文字が浮かび上がっているのだ。

 そして同じ文字がジンジャーと彼女の母親の顔にもあった。おそらく、ウィドウズ家のあの隠し部屋には、罠が仕掛けてあったのだろう。侵入者があの部屋にあるものを盗もうとすると、発動する魔法だ。あの爆風で、何もかもが吹き飛ばされてしまった。あの場にあった魔法書も、あったかもしれない重要な書類まで。

 そして僕の顔に浮かび上がったこの文字は治療魔法でも消せないようで、僕は肩を落としてそこに立ち尽くすことしかできなかった。


「お前には言っておいただろう! ウィドウズ家の娘を大切にしろ、と! それなのに、アイリス嬢をあの屋敷から追い出しただと!? 馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿だとは! その顔の文字は貴様には似合いだぞ!」

「でも父上」

「私をもう父とは呼ぶな! 最悪、お前をこの家から追い出すことになるんだからな!」

「そんな! だって、ウィドウズ家の娘なら誰でもいいじゃないですか! あんな地味な女より、ジンジャーの方がいい女だ!」

 僕が不満の視線を投げると、父は椅子にぐったりともたれかかって深いため息をついていた。

「……あのな、ブライアン。付き合う女はちゃんと下調べしろ」

「え?」

「あのジンジャーという女と、その母親だが。母親は、子爵家の男の元に嫁いだというのに、使用人との間に子供を作って屋敷を追い出された訳ありの女だ。使用人……平民の血が入った娘と結婚など、この侯爵家の人間が許すわけもない」


 僕はそこで、え、と口を開けて固まってしまった。

 平民の血が入っている? ジンジャーが?


「それに、私が望んだのはアイリス嬢との結婚だ。お前は馬鹿だから口も軽いし、下手にべらべらと喋られると困るから詳しく説明していなかったんだが……アイリス嬢を選んだのには理由がある」

「それは何ですか」

 まだ背後で二番目の兄が笑っている気配を感じながら、僕は父に訊くと、とても信じられない言葉が返ってきた。

「アイリス嬢は、精霊使いの血筋の可能性が高い」

「は?」

「え、マジ!?」

 僕よりも食い気味に口を挟んできたのは、さっきまで笑い続けていた二番目の兄で、妙に興奮したようにこう続ける。

「精霊使いって本の世界だけじゃなくて、現実にいんの!? それってあれだろ、気候を操ったり野菜とか植物に関する能力が神様並みに高いってやつ!」

「そうだ」

 父は机に頬杖をつき、指先でかつかつと机の表板を叩きながら僕を睨みつける。「アイリス嬢の母親が精霊使いらしい能力持ちでな。彼女が住んでいた土地は豊穣が約束されていたらしい。いいか、ここで重要なのはウィドウズ家に嫁いできた方の血筋ということだ。元々のウィドウズ家の血を引いたジンジャーとかいう女ではなくてな!」

「そんな、眉唾な……」

 僕が茫然としつつも、何とかそう言うけれど。

「我が領地の有様を知っておるだろうが! こちらはもう、その眉唾の話にでも縋らなくてはならないほど、どうにもならんのだ! 悪天候続きで野菜の不作、小麦すら平年の半分以下の収穫だというのに! お前は領地の状態に興味がないから知らんのだろうが、もう餓死している領民もいるんだ! こうなったら、そんな眉唾としか思えない噂に縋るしかないんだと解らんのか!」

「父上、心臓に悪いですので落ち着いて」

 そこで、一番の上の兄が口を挟んできた。

 僕がこっそりと後ろを振り向くと、氷のように冷え切った視線が僕に突き刺さっているのを感じる。もう、そこには憎悪すら見えるような気がして、慌てて僕は視線を床に落とした。

「アイリス嬢の血筋は別としても、ウィドウズ商会は手に入れなくてはなりません。こうなったら、アイリス嬢を別の方法で捕まえるしかありません」

「手段はあるか?」

 父が疲れ切った声でそう問いかけると、一番上の兄は冷静に続けた。

「私には婚約者がいますが、圧力をかけて婚約を解消します。まあ、暴漢に襲わせて傷物にするという手もありますし、何らかの瑕疵をでっち上げましょう。それから、私がアイリス嬢に弟の件を謝罪しつつ、結婚を申し込みます」


「ちょ、ちょっと待ってくれ、兄上」

 もう、ウィドウズ商会は僕が手に入れた……というか、ジンジャーがいれば何とかなるはずでは――。

 僕が困惑しつつ顔を上げると、視線で僕を殺そうとでもしているのかと思えるくらい敵意剥き出しの瞳が出迎えた。

「役立たずは黙っていろ。何もかもお前のせいだ。マクフィー家の今後を守るために、お前ができることは何もないと理解しろ」

「言うねえ」

 二番目の兄の揶揄うような口笛を聞きながら、そんな夢物語に本気になっている父たちの方が馬鹿だと考えていた。

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