第4話 果報は寝て待て

「うちの息子が、奥手だと思っていた息子が、女の子を連れてくるとはなあ……」

 いかついその男性は、間違いなく感動した様子でぷるぷると手を震わせてから、椅子から立ち上がった。

「父さん」

 ショーン君が気遣うような声を上げたけれど、彼のお父さんは大丈夫と言いたげに右手を――複雑なパーツを組み合わせた金属の塊を上げて軽く振る。

 それに、僅かにぎこちない足取りで部屋の奥へと歩いていく。黒いズボンで隠されているけれど、右足を床につく時だけ金属音が響いた。

 彼らの家は一階建てで、それほど広くはない。家具も必要最低限という感じだけど、剣やら斧やら武具に関しては、壁にも床にも無造作に置かれていて、彼のお父さんの仕事が何だったのか明確に教えてくれる。

 ショーン君が僅かに挙動不審になりながら、わたしが玄関先に置いたままの荷物を家の中に運び込もうとした瞬間、奥の台所から野太い声が飛んできた。

「で、いつ結婚するんだ?」

「ま、まだしないよ!」

 ショーン君が反射的にそう叫び返すのを聞きながら、わたしは思わず呟いた。

「まだ?」

「いや、いやいやいや、そういう意味じゃなくて!」

 さらにおたおたして後ずさった彼は、近くにあった傷だらけの盾を蹴飛ばして足を抑える。

『カッコ悪』

『ちょっと左』

 背後で小さな囁き声が聞こえて、わたしはつい笑ってしまった。


 それからショーン君はわたしに何があったのかお父さんに説明してくれて、ただでさえ彫りの深いお父さんの顔の皺が深くなる。彼のお父さんは豪快すぎる料理――イノシシの肉をスパイスまみれにして焼いたものをテーブルに置いて、わたしに微笑んでくる。劇画調の筋肉モリモリマッチョメンおじさまの微笑の破壊力よ。

「貴族ってのは怖い生き物だな。何とか家を取り返さねえと駄目だろ」

 お父さんが唸るように言うと、わたしの横に座っているショーン君も何度も頷く。

「やっぱり、誰かに相談すべきだよ。学校の先生とかに言えば……」

「うん」

 わたしはそう頷いてから、にこりと笑う。「まあ、ちょっと罠を仕掛けてるし、そう長くは続かないと思うよ」

「罠?」

 二人が首を傾げているのを横目に、わたしは別のことを考えていた。


 料理の皿――肉しかない夕食って、栄養的にどうなんだろう。人間の健康のためには、絶対に野菜とか食べないと駄目でしょう?

 で、わたしがそれを口にすると、虚を突かれたようにお父さんが目を見開いた後、諦めたように笑った。

「まあ、ここのところ、天候が悪いからな。野菜も果物も、何もかも値上がりしてる。安く手に入るのは、魔物の肉くらいだ」

「なるほど……」

 わたしはつい眉根を寄せてから、ショーン君が居間の隅に運び込んでくれたわたしの荷物の山に歩み寄った。二人の精霊が持ってきてくれたものの中には、野菜や果物や薬草の種子がある。ウィドウズ商会で扱っているものの一つだ。

 わたしはそれが入った布袋を手にして、ショーン君たちに顔を向けて言った。

「庭を借りてもいいですか?」


 そして。


 ぽかんと口を開けたままのショーン君と彼のお父さんの横で、わたしは小さくガッツポーズをしていた。まあ、わたしの――というか、右側の白い精霊のお蔭なんだけどね。

 白い精霊の彼女は、自然に関する能力が高い。その力を借りて、庭に種を蒔いて植物の成長速度を上げた結果。

 彼らの家の小さな裏庭には、色々な野菜がもさもさと生い茂っている状態なんだよね。じゃがいも、ニンジン、ピーマンにキャベツ、玉ねぎ。しかも、普通だったら実を付けるまで何年かかるのかな、っていう果物まで。林檎にレモン、ブルーベリー。野菜から果物まで、ちょっとした店が開けそうなほど、どっさりと。

「……ええと、何をした?」

 ショーン君が茫然としつつそう言うから、わたしは「魔法って万能だよね」って返したけど、彼も彼のお父さんも、明らかに違うだろうと言いたげだった。

 まあ、気にしない気にしない。


 とりあえず、今、食事より何より気にすべきは別にある。

 伯母様たちの今後の動き――だけど。


「明日は学校を休んで、朝一番でウィドウズ商会を覗いてきて、従業員の人たちに説明してくるついでに色々情報収集をしてくるつもりだけど」

 そう言いながら、わたしはショーン君の台所から借りてきた木の器にブルーベリーを摘んで入れる。ショーン君はしゃがみ込んで立派なじゃがいもを掘り、感心したような声を上げていたけど、そこで我に返ってわたしを見上げる。

「手伝えることがあったら言ってくれないか」

「ありがと」

 わたしはそう笑いながら彼を見下ろし、どうしたものかと心の中で考える。

 多分、そこまでこちらが動く必要もないんだよね。

 だって、間違いなく彼らは『やらかしている』から。


 わたしが仕掛けた罠っていうのは結構単純だ。

 もしも伯母様が勝手に何らかの書類を王国に提出し、わたしという正当な跡取りをウィドウズ子爵家から追い出したとする。その場合に手続きに必要なのは、ウィドウズ子爵家当主によるサインと印章。この印章というのは前世で言うところの角印みたいなもので、公的な書類には必ず押さなくてはいけない。そしてその印章には当主による魔力が込められているから偽造はできないようになっている。書類に押して提出したとしても、魔法による鑑定が必ずされる。

 それで、裕福な貴族にはよくあることなんだけど。

 本物の印章は安全なところに保管しておいて、偽物の印章を当主の書斎とかに置いておく。


 で、間違いなく、伯母様はその偽物を使っただろう。

 何しろ、本物はわたしが肌身離さず持ち歩いているんだから。

 わたしは自分の胸元を手で押え、紐で吊るしてある印章の感触を確かめる。

 まあ、伯母様はそこまで考えていないと思う。偽物の印章を作るのには王家にもその報告が必要で、作成料という名のぼったくり金を払わなくてはならないし、それが結構な高額なものだからかなり裕福な貴族しか作らない。

 まあ、うちは作ったけど。

 ウィドウズ商会の売り上げが一気に上がった時に、お父様が懸念したんだよね。何があるか解らないって。さすがの慧眼というべきか。


 それにもう一つ、お父様の書斎には仕掛けがしてある。伯母様が狙っているのは、おそらく、ウィドウズ商会の人気商品、魔道椅子の売り上げとその販売特許、設計図なんじゃないだろうか。

 まあ、普通に考えてわたしが伯母様たちがいるあの屋敷に無防備に置いておくわけがない。お父様の書斎にある隠し金庫は、泥棒向けの囮なんだよね。


 果報は寝て待てとはこういうことだ。

 わたしはくっくっく、と笑いながらブルーベリーを一つ摘まんで口に入れると、呆れたようにショーン君がため息をついた。

「まあ、いいや。その、今夜はうちの客室を使ってくれ」

「客室?」

 わたしが我に返ってそう言うと、ショーン君は申し訳なさそうに口元だけで笑い、小さく続けた。

「その、亡くなった母の部屋で申し訳ないけど、綺麗に掃除はしてあるから」


 亡くなった――と、わたしが言葉を探していると、ショーン君のお父さんがニンジンを地面から引っこ抜きながら豪快な笑い声を上げた。

「そういうのはわざわざ言うもんじゃねえぞ、息子よ。聞いたら気にするだろうが」

「え、あ、ごめん」

 慌てるショーン君を見ながら、わたしは手を軽く振る。

「大丈夫大丈夫。わたしはそういうの気にしないし、むしろショーン君の方が気にするでしょ? 初めて会ったわたしに、大切なお母さんのお部屋を貸すなんて」

「いや、そんなことはないし! 俺は!」

 と、また彼がおたおたしているのを見て、右の白い精霊が小さく唸っている。

『頼りにならないわねえ』

『本当だよなあ』

 左の黒い精霊もそれに頷いた直後、精霊二人が同時にバッと同じ方向に視線を向けた。

『引っかかった!』

『馬鹿が釣れたぞ!』

「え?」

 わたしもびっくりして精霊たちが顔を向けている方向に視線を投げた。すっかり暗くなって星が瞬く空と、人通りが消えた静かな路地裏がそこにはあったけど。


 つい、わたしは呆れたような声を上げてしまった。

「引っかかるの、早すぎじゃない?」

『まあ、馬鹿だからね』

『しょーがねえな、馬鹿だからな』


「どうした?」

 わたしの様子に気づいたショーン君が首を傾げていて、わたしはちょっとだけ考えこんだ後、可愛らしく見えるであろう角度に首を傾げて言った。

「ちょっと、屋敷を見てくるね。多分、もう終わるから」

「え?」

「せっかくだから、伯母様の悪事の現場を見て笑ってくるね!」

「え、ちょっと!」

「祭りだ祭りだ!」

 と、うきうき気分でわたしがブルーベリーの入った木の皿を彼に押し付けた瞬間、彼も思い切ったように言った。

「役に立つであろう魔道具があるから使う?」

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