嫌になっちゃうな
杉野みくや
嫌になっちゃうな
「はあ……」
誰もいない小さな展望台に、大きなため息が響く。ぬるい風が肌を強くぶち、ただてさえ乱れている髪をむりやりかきあげてくる。
大学の講義を放っぽりだしてここに来たものの、気持ちなんて晴れる訳がない。
最近は、あまりにも色んなことが起きすぎた。情緒を落ち着けろと言われる方が無理なのだ。
小学校から追っていた推しの配信者は急に活動休止を宣言。密かに憧れていた人気モデルは麻薬で逮捕。ずっと聴いていたバンドは方向性の違いとやらで解散。
私を支えていた『日常』が次々に崩れ落ちていく。それをただ見ることしかできないというのは、あまりにも堪えがたい苦行だった。
始まりがあれば終わりもある。そんなことくらい分かってはいるけど、その"終わり"というのはまだずいぶん先のことだと思っていた。だからこんなにも早く、しかも立て続けに消えていくのを目の当たりにするだけの心の準備なんか当然できていなかった。
ぬるい風が展望台の木々を静かに揺さぶる。ざわざわ、という不規則なざわめきが私の心を映しているかのようで耳障りに感じた。
その時、薄っぺらい何かが頬っぺたに思いっきり張り付いてきた。
「ふべっ」
情けない声を漏らしながら張り付いたものをひっぺがす。頬をビンタした不届き者は一枚のチラシだった。内容は就活の合同説明会に関するもので、名だたる企業の名前がずらっと記載されていた。
そういえば、そろそろ就活についても考えなきゃいけない時期だ。その話になると親は決まって、「安定してるから」という理由で公務員を勧めてくる。たしかにそういった話はよく聞くし、実際公務員になった先輩も口を揃えてそう言っていた。なりたい職業ランキングとかでも何かと上位に入っているし、『安定』といえば誰もが思いつく定番の職業だと思う。
でも、本当にそうなのかな?
長い間、県政を引っ張ってきた人気知事は汚職で失脚したし、市役所に務めている人がパワハラを受けて辞めていったというニュースだって後を絶たないのに。最近は生成AIとか新しい技術がどんどん出てきているのに、お役所には未だに古臭い技術や慣習が根強く残っているなんて話もよく聞く。
こんなだから、今の私にとって「安定」というのは変化の激しい現実から目を逸らすための免罪符にしか聞こえない。
永遠に続くように思われるものでも、5年10年と経てば突然終わりを迎えることもある。それを痛感しているいま、皆の言う『安定』という言葉に対して眉をひそめざるを得なかった。
「はあ……」
再び大きなため息が漏れ出る。
そのとき、ポケットに入れたスマホが小刻みに震えた。画面には友人の名前が表示されていた。今まで休むことなんてなかったから、きっと心配してくれたんだろう。
「もしもし。……あそこの展望台にいる。……うん。……うん、平気だよ、たぶん。……だから大丈夫だって。何でも無い」
案の定、友人はとても心配そうな声で話しかけてくれた。でも、その声を聞いていると、なんだか少しだけ落ち着いてきた気がする。
特に何かを話した訳でもないし、ストレスの種について打ち明けた訳でもない。なのに、不思議と心が軽くなっていくように感じた。
「ありがとね、心配してくれて。……うん。またね」
電話を切っても、しばらくスマホの画面を変えないままじっと目線を落としていた。
うだうだ考えたけど、こうした痛みや悩みは一過性の風邪みたいなもので、時間と共に収まっていくのかもしれない。友人と話し合って、また悩んでを繰り返していくうちに、いつの間にか収まってるんじゃないかと、私はそう信じたい。
なんて、少し気取っとように思いながら、チラシをぐしゃっと丸めて近くのゴミ箱に放り投げた。ほんの、ほんの少しだけ軽くなった胸のわだかまりを抱えながら、私は展望台を後にした。
静かに吹いた風はちょびっとだけ涼しく感じた。
嫌になっちゃうな 杉野みくや @yakumi_maru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます