栄光と今と

巡世 式

栄光、それは俺にとってとても甘美なもので、そして思い出したくない物の象徴でもある。


8月のある昼下がり、一つのブレーキ音が辺り一帯のアスファルトのかべに反射し響く。それは人が編み出した文明の利器が人を害したことをいともたやすく想像させるものだった。

多くの人が音の正体を探ろうとぞろぞろと現れる。

そして一般的な軽自動車が角度をつけてアパートの壁にぶつかっているのを確認するだろう。

そしてある者は車に駆け寄り、ある者は119番に電話をかけ、またある者はスマホでその惨状をカメラに収めるだろう。


そして俺は薄れゆく意識の中車の影で潰れた足の痛みを感じながら腕を上に上げ助けを求めていた。


「はぁっ!!」

ベットから飛び起きる。

額には汗がびっしりと流れており、ズボンは寝ている時動いていたのか半分脱げていた。

エアコンが効いているはずなのに初夏のトイレのようなジメッとした空気が体から抜けない。

視線をかけている布団に落とす。

起きた勢いで捲れた布団。それの中に膨らみは半分も無い。

「あぁ~クソクソクソッ!」

同仕様も無いこの現実に嫌気が差す。

人生が一生幸せだなんて思ってないし、一生不幸ではないとわかっている。

だからこの不幸もいつかは感じなくなると、頭ではわかっている。

分かってはいるんだ…


ベットから降りて下に用意されいる車椅子に座り、左手側にあるスティックを倒して食卓へと移動する。

着くとそこには皿いっぱいの焼きそばと一つの置き手紙があった。


『颯稀(さつき)へ

 お母さんはパートにいってきます。お昼に焼きそばを作っておいてのでそれを食べてください。もし多かったら残しても構いません』

母の字は忙しかったのかやや走り書きでありそれを見るだけで心が痛めつけられる。

キリキリとトゲが入ったように痛む胃を抑え、箸を持ち冷めた焼きそばを摂取しる。

二十分ほどして食べ終わり、皿を膝の上に乗せ食卓を離れ台所の食洗機にそれをいれた。


車椅子を動かし部屋に帰ろうとするとふと玄関が目に入ってしまう。

そこには昼下がりの光を本来陰る所まで届けているトロフィーがいくつか飾られていた。

あれは俺の生涯の記録であり、もう更新されるものの無い栄光そのものだ。

ついそれを受け取った時を思い出してしまう。

喜び?安心?興奮?それを表す言葉はわからないがただそれを思い出してしまっては最後、今の感情と混ざり取り返しはつかなくなる。

「あーやだやだ」

誰も居ないのに口で平然を装い部屋へ逃げ帰る。


部屋はいい。

【今】の俺の私物に囲まてて

趣味の無い部屋で何も考えずただ部屋の窓から見える庭に植えた名前も知らない樹を惰性で見続ける。


樹は葉で見繕うのができず痩せほっそている。

その姿がどうしてもいたたまれなく、どうしてみているのか俺自身でも解らない。

ただ、意味もなく見ている。

人間微動だにしなければ触覚が必要としなくなり別の感覚が冴えてくるもので樹をみて一時間ほど経った時、かさりと窓の隅の方から小さな物音が聞こえてくる。

眼を向けてみればそこには少し大きな蜘蛛が寒さからか、窓から伝わる熱を求めているのか窓に張り付いていた。

「そんなに外は寒いんだな」そう言うと蜘蛛はその言葉に反応したように体を小刻みに動かし存在を俺にアピールする。


世の中には蜘蛛を苦手とする人がいるようだが幸い俺は蜘蛛はそうではない。

なんだったら蜘蛛は好きな方だ、だからこそ俺はこの蜘蛛に可愛さを感じていた。


「そうか、ならお前は蜘蛛だからスパイダーだ。」

その言葉に蜘蛛、いやスパイダーは反応しなかった。


それから毎日俺はスパイダーを動向を見ていた。

特に意味は無かったがただあの時言葉に反応してくれた事を嬉しく思っただけだ。

毎日見ているとスパイダーは日に日に窓の隅で巣を形成している。

毎日毎日せこせこと休まず働き巣を形成している。

餌を捕まえてはそれを大事そうに3日から5日ほどかけて食す。

時に風が強いのか巣の奥深くに潜りピクリとも動かず生きている。

そして有る比較的温かいの冬の日、スパイダーは寒い日と同じ様に巣の奥でピクリとも動かず居る。

次の日もピクリとも動かず居る

次の日も動かず居る

次の日も居る

居る



いや、もう居ない。

そこにあの可愛らしい蜘蛛は居ない。

そこに有る蜘蛛は抜け殻だ。

そこには居ない。

そんな現実を受け入れる。

許容する。

たかだか虫一匹死んだだけ、今まで何匹も殺してきたじゃないか。

自分にそう言い聞かせる。


「あぁ、こりゃ無理だ」


思わず口にでてしまった。

あまりにも受け入れられない。それほどスパイダーは俺の心に巣を張っていた、いや俺がスパイダーを巣の中に入れたいたんだ。

きつい、あったものが消えた。その喪失感は二度と味わうことは無いと思って居たのだというのにだ。

改めてスパイダーに眼をやる。

動きはしない、魂はそこにはない。


ふと、思う。

俺はどうだろうか。

俺は今少し前までのスパイダーの様に魂はあったのだろうか、今のスパイダーの様に抜け殻じゃ無いだろうか。

そう思うといまあるスパイダーだったものがスパイダーが作った栄光に包まれているように見えてきた。


アレは俺だ。

あのスパイダーの栄光に包まれ、満足そうに寝ているのは俺だ。

理性では嫌っていても本能では俺はあの状態を愛してしまっている。

あの抜け殻は暫くは自然の法則に反し、土に戻らず栄光に包まれ続けるだろう。

だがいつかその栄光は腐り、落ち、中途半端な抜け殻は惨めに雨風にさらされ結局土に変えるだろう。

結果は変わらないだけど、なぜか俺はそれを醜いと感じてしまう。

きっとこの感性は変わっているのだう。

だけど、そう感じてしまった。

ならばそうならないようにしなくちゃいけない。


俺は部屋の隅にあった小物入れから一振りのトンカチを手に取り玄関に向かう。

玄関には未だに誇り一つ無いトロフィーがいくつか有る。

それにたいし手に持っているトンカチを腕の力をほぼ使わず振り下ろす。

甲高い音と鈍い音が同時に響き俺への最大限の和音を響かせている。

何度も何度も和音を響かせる。

家には誰もおらず俺を止めるものは居ない。

楽器がなくなったので部屋に戻ってトンカチを元あった場所に直しておく。


もう一度窓を見る。

そこには葉でか細い身を取り繕う樹が立っていた。





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