エピローグ
泡沫の中に歌う少女がいた。彼女は俺が目を覚ますと直ぐ様に俺の腹に伸し掛かった。
そして白い着物姿で鼻水を垂らして泣きわめくのだ。
「うぉ、うぉるたぁぁぁぁぁあああぁぁぁあ!」
俺は彼女の白くていい匂いの髪に顔を押し付けて、自分が生きている事に驚く。彼女背後には医師であろう旭国特有の黒髪の壮年男性がおり、俺からリリネルを引き剥がそうと必死なベレッタの姿もあった。
俺はその後、腹の傷が塞がるまで深海魚の揺蕩う施設のベッドで過ごす。どうやらここがテティスの方舟らしい。リリネルが十歳まで育った場所でフィーネの故郷だ。外面的な名称をイシマツ理化学研究所と呼ばれ、俺の執刀医がそのイシマツ教授らしい。
俺は身体の状態が良くなって、何故かリリネルの車椅子を押せる位になってから施設を案内すると彼女にせがまれて早速こき使われ始めた。
〈ジョンやベルナルドは無事、逮捕されました。元々潤滑剤に混入していた膨張性ナノマシンはあの時の物が全てだったようです〉
「膨張性? そうなのか……」
〈北部帝政復古派閥は実質解体。ベールリッヒは今回の件についての関与は否定、まぁ当然でしょうね。そしてダイラー社は再び注目が集まったラインズフレニアと言う疾患に関して、その所見と昨今の事件との因果関係は明確に否定しました〉
「結局悪党はのさばったと言う訳か」
彼女はフフッと笑って俺の前にデジタルペーパーを広げた。
〈それがそうという訳ではなく、ブックマンレポートの公開によって中央紛争時からのライン潤滑剤の過剰投与と言う弊害の認知は、研究医等からダイラー社へ上っていた事を示す報告書も同様に公開されています。これで安全神話と言う見せかけのハリボテでは無く、マイナス面の臨床実験も同様に進む事でしょう。喜ばしい変化です〉
「お前の仕業だろ?」
〈無論です。それによってダイラー社の株価は一時半値以下に下落、不買を訴える声と共に販売戦略部門の部長による隠蔽やパワハラ、また王の一手との癒着が問題視され第三者機関による調査が決定したとのこと、これにて一件落着です!〉
「いいや……俺の中では……、その、リリネルの身体の」
俺が気に掛けると彼女は何かに気付いたように頬を染める。だから俺は最悪の事を覚悟したが、やがて俺の頬を押した指先によって真実が明かされた。
〈貴方が優しくした野良犬さんによって、無事、私の貞操は貴方の元へ戻りました。喜んでください〉
「別に……、俺のものでは……」
〈あら、好きと言ったじゃないですか! 信じられない! あの愛の告白は未だに音声データとして保存して、毎夜毎夜垂涎滴らせながら聞き舐っていると言うのに!〉
「ふざけんな! 消せ! 今直ぐに!」
やいのやいの言う俺達はその内に扉の前に行き着いた。その部屋の扉を開けた先、一台のカプセルが部屋の中には置いてあり、そこには成人男性が閉じ込められていた。
「アイズマン?」
〈ジョンによって撃たれたアイズマンは、この施設の者達によって確保されました。外傷の具合はほぼ完治に等しい、しかし、彼は未だに目を覚まさないのです〉
リリネルは彼の眠るカプセルの分厚いアクリルパネルを叩いた。小さな拳が彼を刺激する。俺は咎めようとしたが、彼女に語った俺の願いを思い出して俺も自分の分を彼に振り降ろした。これで積年は覚めない。けれども……一定の納得は……。
「出来る訳無いだろっ! 何だよ、急に居なくなってやっぱり生きてたと思って喜んだらこれかよ! オイクソ野郎! 何寝てんだよ。アンタの代わりに事件を解決してやったんだ。さっさと目を覚ませよ!」
俺の叫び、溢れた涙がパネルの上を流れていく。
『おいおい、久しぶりの再会なのにご挨拶じゃないか』
その声はスピーカーから流れた。俺は驚いたがリリネルは相変わらずに仕方ない人と言う面持ちを湛えている。
〈アイズマン、貴方はいつでも私達を見守っていた。あらゆる手段を以て、そうでしょ?〉
『叶わんなリーシャの娘には……。まぁそういう事だ。悪かったなウォルター、お前を一人にしちまって』
「どういう事だ? 話せるのか? なんで?」
『俺はそこのリリネルと同じインライン手術の被験者一号。都市伝説の作業員だからだ』
「けど、歩けてたし……」
〈私のような可愛らしい小娘ではなく、彼はゴリマッチョですよ。だから一緒にされるのは憤慨物です。だけど、説明する義務は同時に感じます〉
俺もリリネルに同意する。
『そうだったな。俺はお前らの解決したダイラー社が隠蔽したラインズフレニアという疾患を調査していた。その中で王の一手を担ったかつての友レベッカがその隠蔽と、それに関わる者の暗殺を企んでいる事が分かった。だが、俺に出来たのはブックマンを国外へ逃がす手続きと、これまでの調査状況をクラウドにアップロードする事だけだった。予想以上に彼女は狡猾だった』
〈ウォルターを人質にジョンを動かしていたようですが、相手が悪かった。彼が北部帝政復古派閥すらも飲み込んで事を起こすとは思わなかったのでしょう〉
『彼女にとってこの件に至る存在を抹消する為には、ウォルターの狂気だと思われていた物に縋るしか無かったのさ』
「あの戦場で俺の中に有ったのは……」
言い淀む俺に手を差し出したリリネル。
〈貴方の中に有ったのは守りたい者達への慈愛。それを履き違えたからこそジョンは敗北し、レベッカの野望は潰えた。だから今私達は二人並んで此処に居る〉
総括する彼女の言葉にアイズマンは満足げに唸った。
『リリネル、お前はフィーネやクラリス、そしてウォルター達によって生に希望を見出した。それが俺の息子を救ってくれた……礼を言う』
〈いえいえ、貴方の為ではありません。私が選んだ最高の相棒だから愛おしく何もかもを託せこちらも応えるのです〉
『そうだな……。ウォルター、俺はこんな成りだがあの時答えられなかった事に答えを出しても良いか?』
「ったく……ふざけんな……アホ。――――俺の家族になってくれないか?」
『あぁ、ウォルター。喜んで』
俺の双眸から滴る涙にリリネルは手を叩いた。
〈素晴らしい親子愛です。ならば二人共、次にすることは決まっています〉
『なんだって?』
「親父、アンタの身体をどんな事があっても電脳世界から取り戻す」
息を詰まらせた俺の親父に今度はリリネルが胸を張って宣言した。
〈テティスの方舟を自在に泳ぎ大洋を御するは電脳人魚、リリネル・フロンターゼが此処に居るんですよ? 大船をビッチャビチャに沈めても目的地にはたどり着いて見せます〉
「だそうだ……。任せろよこの名探偵に、いいや俺達に」
新たな人生の幕開けにはまだ早いかも知れない。
だけど、俺は断言出来る。
この電脳人魚と一緒にならば、この深く青い大洋の電脳を、迷いなく進める筈なのだ。
そうだろうリリネル。
彼女は俺に微笑みを返した。
ラインズフレニア‐電脳人魚は凍てつく海で推理を唄う‐ AF @aliceF
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