ウォルターに会ったら言うべき言葉を考えていた。けれどその言葉達よりも急いて動く車椅子も前のめりになった。残酷に狭まった時間、刻限の零時までは後数分に迫る。テティスの箱舟によって判明した発信装置の有る屋上まで向かうと、そこには肉弾となって戦う青年の姿があった。

「おや、姫様の登場だウォルター。ここで再会したと言う事はベルナルドの願いは前者に委ねられたのかな?」

 攻防の最中ですらも軽口を叩いた白銀の髪を持つ青年。ウォルターは赤を閃かせて駆ける。まるで私など意に介さぬように……。

「知ってるかい? ウォルター。今彼女の腹には貴族共の種が植えられている。彼女が君を守る為に自らに植え付けたんだ。排卵薬と共にね?」

 私はそれを即座に否定しようと声を紡ごうとして失敗した。油断した。音声入力のソフトウェアが破壊されたのだ。彼は私との攻防も用意周到に行っていた。こちらを絶望の瞳で観たウォルターに訂正を促す為に首を横に振るう。それがある意味での真実のように映り、激昂したウォルターによってジョンは完膚なきまで打撃を弄される。頬を打ち、鳩尾を拳がめり込ませる。そして額同士を打ち合わせると凄まじい破裂音が響きながらジョンは後退していく。

「良いよウォルター……、僕を間引くとしたら君のその手しか有り得ない。神に引導を渡されるのなら本望だ。僕の本懐は僕抜きで構わない。君と言う死神を目覚めさせたなら!」

 ジョンの恍惚とした獣のような情欲の訴えに、ウォルターは乗せられて首を掴む力を増やした。更に彼は発信機を取り出し、そこに親指を置いた。

 私はこれが彼の第二のプランだと考えた。ベルナルドの元から私が脱出したという事は、既に試みの一部が失敗に転じているという事実が明らかである。そうであるならば、彼は私を皇女と据えて再び戦火にこの国を見舞うという、悍ましい提案の中にあったウォルターの覚醒を急ぐだろう。

 きっと彼にとってそれが自らの命を賭したとしても、事実として完結するならば行動の源泉としては十分である。

「今これを押せば、少なくとも……、二百人の社員が、爆死するっ、どうする? 止めるしかないよねぇえっ!」

 やはりそうだ。ジョンはウォルターと言う唯一神への供物となるつもりだ!

「ジョンっ貴様ぁぁぁぁああっ!」

「彼女をっ、抱いたのかい?」

「うるさいッ! 黙れ黙れぇええ、殺してやる。あぁ、殺してやるよジョン・ミハエリ! テメェを殺して、この下らない世界に沈めてやる!」

 情けなかった。動けない自分、そして手出しできない自分の性根が……。私はどうしたいの? この事件が終わったら本当にウォルターに命を終わらせて欲しいの? 死に体の両足に声も出せない欠けた私、皇位とかそう言うのは後付けの理由……。本当は不安だった。育っていった想いを告げた時貴方がなんと答えるのか。私が既成事実を作りたかったのだって、怖かったんだ。

 どんなに貴方を知ったとしても、私と貴方は争いを起こした加害者の末裔と被害者の子ども達……。

 いつか、私の前から貴方が居なくなってしまうという想像……。それが現実となって訪れそうになった時、私は恐怖で彼に手を差し伸べられなかった。血で染まった彼を本当に救うべきは、私の何でもない余裕を伺わせる笑みに違い無かったのに。その徹頭徹尾が熟せなかった私、今なら出来るだろうか。

 声を出そうとして怖気づく。あぁ、やっぱり私の大切な人はいなくなってしまう。そう考えた方が楽だって思ってしまう。

 けれど、

「う、ぉる。たーっ」

 車椅子を捨てて地面を這いずりながら彼に寄る。赤く染まる瞳はジョンを穿ちこちらを見ない。

 声が掠れながらにまろび出て、即ちラインズフレニアが彼にも近く迫っている事を知る。氷漬けの中でしか歌えない人魚。けど、そんな事は関係ない! 今なら、まだウォルターを連れ戻せる。これまでの旅が私に告げる。私は絶望なんかしていなかった!

 だから叫べ! 声の限り叫べ! 命ある限りその意味を叫ぶのだ!

「ウォルターっ」

 嫌だ。もっと私を見て。もっと私に触れて! もっと私と一緒に居て! ここで終わりなんて許さない! だって貴方は私の相棒なんだ。ウォルター・アイズマンは、名探偵リリネル・フロンターゼの相棒なんだから!

「ウォルター、ウォルター!」

 もう一度だけ。後一度だけで良い。私を抱きしめて欲しい。

 体に蔓延るインプラント回路が皮膚を通して輝いた。氾濫する情報は決して私の味方はしない。それでもよかった。声を紡げたならば、たった一つの解を伝えたならば、この声が一生使えなくとも構わない。それが私の証明となるのだ。

「ウォルター! 私は生きたい。貴方、と。一緒に居たい。これからも生きていきたいの! 貴方は私の、死神なんかじゃない! 共に居ると嬉しくって心が弾んで、もっと貴方を、求めて」

 咳き込む私は血を吐いた。

「それでも足りない位貴方を欲している! だから、最後で良い。これで私の声が焼き切れても、それでも良いからこっちを見なさいよ! ウォルタァァァァァァアアアアアアアアアアッ!」

 彼の赤に光りが宿った。そして流れ落ちたのは涙だった。ジョンの首に掛かる力が弱まって行き離れる。私はその瞬間に情報の海で彼を攫った。潮が満ち、腰までその情報の海に浸かったジョン、ウォルターはそんな彼を抱擁して受け止めたのだ。

「ごめん、ごめんなジョン。俺は……お前を救う事はできない」

 ジョンは白い瞳を悲痛に歪ませて叫ぶ。

「違う、僕は、僕は許して欲しい訳じゃないっ!」

「俺は、お前に死んで欲しく無かった。いいや、他の誰にも、誰にも死んで欲しく無かったんだ」

「やめろ、やめてくれっ! それ以上は言うな!」

「俺はね、ジョン。誰も、誰も殺したくは無かった……、だからごめん、お前と一緒には行けない」

 宣告された言の葉を、ジョンは呆然と聞いていた。そしてウォルターは私の方へと歩いてくる。

「神はっ、僕の神は死んでない、嘘だ嘘だ嘘だ!」

 発信装置のボタンを押す。しかし、私は最初の接触の段階で既に状況を講じていた。バックドアを仕込んで彼の手に残った最後の一枚。争いの火種として成立する事実。

 きっと今頃は私が皇女である証明やダイラー社の隠蔽してきたラインズフレニアについての証拠ではなく、私立探偵アイドル、リリネル・フロンターゼとしてデビューするという嘘の広告が発表されるだろう。

 賑やかな楽曲と共に存分に公開された私の可愛らしいMVにジュレミントンの市民は酔いしれる筈だ。そしてその楽曲のタイトルは『ラインズフレニア』。

「なんだ、何なんだこれっ! ふざけんな! 結局アンタも大人達と一緒だ。都合の悪いことをひた隠しにして! 僕たちのように、本来救われるべき人々が報われない。君達は僕から神を奪い、飼いならすつもりか!」

 ジョンの言葉は確かだろう。けれども、私はラインによって起こる弊害と同義に起こるべき前向きな変化にこそ重点を置いた。だから、これは緩衝材なのだ。

 またたく間に私を検索する文字列達、確かな興味の羅列の海に私達は飲み込まれていく。その中に一匙のエッセンスを加えるのだ。それがブックマンレポートの中にあったライン潤滑剤の過剰投与による幻覚作用や脳機能障害についての論文だった。

 私はその論文をただ公開するわけではない。

 ラインを使う者達がこれらの弊害に関して〝元々〟知っていたという記憶を植え付けたのだ。それが私と言うアイドルの存在を介して今一度『炎上』という形で思い出されるのだ。

 軍事回線を余す事無く利用した。私にしか出来ない忘却と回帰。

〈貴方の成すべき事は血塗られた惨事ではなく、起こり得る弊害の一例としてこの世界に広めます。それが今変化の濁流の中に落とせる自浄作用の限界点です〉

 私は型落ちの音声入力ソフトで事実を告げた。迸る恨みや怨嗟の思念にジョンは絶叫した。ウォルターは膝を付く私に手を差し伸べる。私は喜んでその手を取る。

 だが、運命は私達を一発の銃弾によって引き裂いた。

 膝を落とし、腹部に滲んだ血を触るウォルター。

「僕の、神は、君じゃなかった! なら尽く否定してっ、新たな神をっ――」

 無意識、私は海洋する情報のクジラを彼に差し向けた。何もかもを飲み込む海の王者は人魚姫たる私の守護神、その苛烈な情報群は彼の意識を破壊した。

 ジョンが地面に伏すのとウォルターが私を抱きしめるのは同時だった。

「ウォルターっ」

 咳き込む私の事を強く抱擁する彼は言った。

「ありがとうリリネル。生きると言ってくれて」

 優しい声だった。

「俺が変われたのは君のお陰だ。一緒に旅してそこで学んだ事が俺を変えてくれたんだ」

〈これからも、そうしましょうよ。私は大歓迎なんだから〉

「あぁ、そうだったな。なんだか俺達って殺るとか殺さないとか、そういう事ばかり気にしてたな……。本当は楽しかった。リリネルと過ごし日々は、我儘を言われる度にムカついたけど、叶えた後に見せる君の笑顔に見惚れてた。そういや目玉焼きの件は悪かった。だし巻き卵作れなくってごめん、これだけはちゃんと言いたかった」

〈良いんです、喧嘩こそ仲睦まじい証明ですよ。ウォルター、直ぐに治療を……〉

 しかし、彼は微笑みを湛えて私に宣言する。

「リリネル、俺は君となら何処へでも行ける。何処へでも行きたい。色んな場所で色んな経験をして、そこで沢山の物に触れてこの世界をもっと好きになりたい」

 私の白の着物が赤に染まっていく。焦りと共に彼の身体が冷たくなった。

〈行きましょうよ。私、まだ貴方としたい事一杯あるの、美味しい物だって全然共有出来てないっ! だから貴方が生き残らなくてどうするんです〉

 彼はそうだなと、笑いながら更に私との結びつきを求めた。

「リリネル、俺は君が好きだ。生意気な所、可愛い所、切れ者だけど少し抜けている所、リリネルの匂いが好きだ。抱きしめた時の感触、恥じらった頬の赤さ。俺にだけ見せてくれる信頼みたいな視線。

 全部好きだ。

 だから、リリネル。

 これから先どんな事があっても、前を向いて生き続けてくれ。俺の為になんて事は言わない。君は君の為に、しぶとく咲き続ける花で居て欲しい。

 約束、してくれるか?」

 満開の笑みに彩られた青年の姿に、私は声にならない嗚咽を以て頷いて小指を絡めた。

 彼は最後に、私の同意を受け取ると唇にキスをしてから目を瞑った。

〈ウォルター?〉

 私は彼の事を抱きしめながら叫んだ。

 ふざけるな。私にそんな約束をさせといて、勝手に去り際を気取るな。

 私に微笑みに象られた憂い(キス)を残した癖に勝ち逃げなんて許さない。

 だって、微笑みは自分が居れば大丈夫と言う強い証でなければならない。

 そしてその微笑みは、名探偵である私の特権なんだ!

 どんな難事件も立ちはだかる障壁も、仏頂面が似合う貴方の心だって解決して大胆不敵に笑う最強の探偵の証なんだ! それ以外は成らない、何が有っても!

 だからっ! 死なせるものか!

 私の願い孕んだ歌声はテティスの方舟を揺らした。このジュレミントン中の医療ドローンの管制を乗っ取り、要求所中の機体以外を招集する。中にはジョンの残した岩礁に当たって惑う物、違法に蔓延った磁気干渉によって墜落する物もあった。

 だが、そのドローン達を誘導するように飛ぶ青い鳥の導きによって青い光の帯を引き連れて私達を包み込むのだ。

 その鳥に触れた私は囀った。

〈ようやく捕まえました。貴方なんでしょ? アイズマン。ならば彼を救いなさい。それが親としての責任です〉

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