後篇:「コロ助ROCK」



 その日から、私はYくんに誘われては、コロ助の制作を手伝うようになりました。

 一番最初の記憶は、Yくんの自宅に呼ばれたことです。

 洋風の立派な一軒家で、門構えまでありました。うち(当時)も家だけは大きかったのですが、洋風は初めてで驚いた記憶があります。内装もおしゃれで「金持ちなんだなあ」とか子供心に考えていました。

 その時は家の人はおらず、Yくんだけでした。


 Yくんの部屋はいかにも理系という感じでした。本棚には科学系の雑誌が並び、よくわからないスクラップの入った箱が幾つも置いてありました。梶野の幼馴染にも理系の子がいて、ラジオを自作したりしてましたが、その部屋を十倍濃くした感じ。散らかり具合がマッドサイエンティストの研究室を思わせます。


 最初にYくんが見せてきたのが、コロ助の設計図です。

 漫画に書かれた設計図をグラフ用紙に書き写したらしく、内容はそっくり同じでした。当時はコンビニもコピー機も身近になく、模写でここまで綺麗に写せることにまず驚きました。サイズはB4くらい。Yくんの本気度が伺えます。


 ただ、漫画の簡単な設計図の写しなので、内部構造なんかはスカスカです。

 それとなくその点に触れると、「これから埋めていくって」とやはり自信満々の返事。むしろそこが一番訊きたかったんですが、当時の私はコミュ症で、強く言い切られるとそれ以上突っ込めませんでした。

 今思えば、これが全ての元凶だったのかもしれません。


 さて、Yくんのコロ助再現計画ですが、最初の指示は「部品集め」でした。

 二人とも中学生で、お金は持っていません。なので集めるのは廃材からです。

 最初に二人で行ったのは、近所にある公団住宅でした。

 そこは何棟もある古いマンションで、大型ゴミを置いておく施設が幾つかあり、誰でも出入り自由でした。小学生の頃は格好の遊び場で、よくをしたものですが、中学に上がってから来たのは初めてです。


 ──何を探せばいい?

 素人丸出しの私の質問に、Yくんはすらすらと幾つかの部品名を挙げましたが、正直、まるで理解不能でした。多分、「コンデンサ」とか「トランジスタ」だったはず。今ならスマホで検索すれば済みますが、当時はスマホはおろか、携帯もネットもグーグルもない時代です。


 わからないなら訊けばいいんですが、それはできません。Yくんに「こいつ想像より頭悪いな」と思われるのだけは、絶対に嫌だったので。

 一つだけわかったのは、Yくんが本気ということでした。ラジコンやプラモではなく、本物のコロ助を作る気だったのです。


 そんなこんなで、ろくすっぽ理解しないまま、パーツ探しは始まりました。

 当然ですが、探すものがわかってないので作業は適当です。

 印象に残っているのは、私が見つけた掃除機ですね。

 「このホース部分は使える!」とYくんは興奮していました。多分伸縮する腕のパーツのことだったのではと。

 それ以外は……成果なし。

 まあYくんも成果がなかったのが救いでした。

 結局、「時々ここに来てパーツを漁ろう」という指示を最後に、この日は解散になりました。



        ※  ※  ※ 



 それからしばらくは、進展がありませんでした。

 というか、最後まで進展しませんでした。何一つとして。

 

 パーツ探しや、部屋で計画を練ることは何度もしました。

 そのたびにYくんはコロ助完成への情熱を饒舌に語り、私は大いに賛同します。

 ですが具体性はまるでなく、疑念は膨らむ一方でした。

 ただそれは、もしかすると自分が馬鹿で理解できないだけかもしれない。理系でない引け目もあり、もやもやする気持ちをおさえ続けました。

 

 一度、恥を覚悟で訊いたこともあります。どんな部品が必要か説明してくれと。

 Yくんは露骨に面倒そうな顔をして、


「使えそうなもの見つけたら持ってきてくれ。

 あとはオレが判断するから」と。


 いや、その使えそうなものがわからないから訊いてんだけど。

 ──と思いましたが、それ以上尋ねる勇気もなく。


 何度か話すうちにわかったことですが、Yくんは興味のあることには陽気で饒舌な反面、都合の悪い話には押し黙り、説明を求められると露骨に不機嫌になる性格でした。そうなると私はもう、それ以上のことを訊けません。

 最後は「Yくんがリーダーだから」と自分を納得させるしかありませんでした。



        ※  ※  ※



 私は、次第にYくんと距離を置くようになりました。

 誘われても適当な理由をつけて休みがちになったり。

 パーツ探しも「帰り道に一人で探すから」と行かなくなりました。

 それはまあ嘘ではなく、時々ゴミ置き場に寄ったりもしていましたが、成果は出ませんでした。そりゃそうです。何を探していいかわからないんですから。


 その頃にはもうすっかり、Yくんにつきあうのが嫌になっていましたが、はっきりと計画を降りるとは言い出せず。強い口調で呼び出されると家に行ったり。悩ましい交流は、それからずるずると何カ月も続いたのです。



 二人の最後の日は、唐突に訪れました。

 あれは確か、久しぶりに二人でゴミ置き場に行く途中のこと。私が何げなく発した一言が、Yくんの逆鱗に触れたのです。


「ほんとにできるのかなあ」


 私のこの言葉に、Yくんは血相を変えました。

 いきり立った犬のような表情。血走った目。今でも脳裏に刻まれています。

 そして、かつてない大声で、私に怒鳴ったんです。


「梶野ォォ!

 おまえ、って本気で信じてなかったのかよォ!!」



 ……その後のことは、まったく覚えていません。

 当時の私に口論とか無理でしょうから、必死で言い訳したり、取り繕ったんじゃないかと思います。


 ですが結局、その日からYくんに呼ばれることはなくなりました。

 私同様、Yくんも私に嫌気がさしていたのかもしれません。

 同じクラス(多分)なので気まずかったかというと、そんな記憶もなく。私は友達の輪にいなかったですし、Yくんともコロ助で繋がっていただけでしたから。

 それきりYくんと話すことはなく、中学を卒業。別々の高校に進学したので、二人の縁はそこで切れました。


 彼は本当にコロ助を作るつもりだったか?

 何故私に、どこまで本気で声をかけたのか?

 今となっては全てが謎のままです。

 ともあれあの体験は、私の人格形成になにがしか影響している気がしてならないのです。



        ※  ※  ※



 この話には後日談があります。

 大学時代、Yくんから一度だけ「会わないか」と連絡が来たのです。

 大学デビューした私はコミュ症も大分改善され、誘いにOKしました。

 流石に今更「コロ助を作ろうぜ」とは言い出さないだろうと。

 それに、中学以降の彼のその後も知りたかったですし。


 地元で再会したYくんはイメージ通りの青年になっていました。

 聞けば某有名大学に入ったとのこと。流石の一言です。

 「コロ助」の文字はタブーでしたが、私も近況を語り、旧交を温めた後、彼に誘われて、近所の施設に案内されました。


 ええ。まあ。後はご想像通りの展開ですよ。

 薄暗い部屋で、某宗教の集会に強制参加させられました。

 まったく覚えていませんが、必死で言い訳したり、取り繕ったりして退散したと思います。


 Yくんとはそれっきりです。

 もしかすると、今でもどこかの研究室で、コロ助を作っているかもしれません。


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Yくんとコロ助を作った話 梶野カメムシ @kamemushi_kazino

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