ねこと街路灯

凍花星

ねこの友達

 ゴミ捨て場に、一匹のねこが捨てられた。ねこは白い毛並みをしていたはずだったが、どんどん積み上がるゴミと共に、汚れていく。雨にも打たれて、泥にもまみれて、ねこは悲しかった。


 何がいけなかったのだろう。毎日、ご飯が欲しいと叫んでいたから? 帰ってきた君に泥まみれですり寄り添ったから? それとも、あの日、君が大切にしていた花瓶を壊してしまったからだろうか。なんでも直すから、あの家に居させて欲しい。またあの暖かい手で撫でて欲しい。寒いここから、いつになったら君はボクを連れ出してくれるの?


 ねこは待ち続けた。


 きちんと立っていなければ、きっと汚れたボクを君は見つけられない。


 背を伸ばして、目を大きく開けて、ねこは待っていた。だが、ねこに同情して、缶詰をくれる誰かがいても、君は現れなかった。何度目かの太陽がまた昇ってくる頃には、ねこはわかってしまった。君はきっともう来てくれないと。


 ねこは歩き出した。


 前までは君がいない間に散歩していた道だ。近所の黒ネコはボクが通るたびに威嚇してくる。噂によると、黒ネコが好きだった子が、ボクのことが好きだと言って、振ったかららしい。それで、ボクに当たるのはどうかと思うけど、ボクも負けじと鳴いていた。今は目の前を通り過ぎたって、もう気づいてくれもしないけど。


 あの公園にはいつも沢山のハトがいた。ベンチの下で、ボクは昼寝をするのが好きだったのに、あいつらはずっと話している。最近、ここの公園に引っ越してきたおじいさんは、優しい人だけど、ひどい匂いをしているのだとか。よく遊びにくる男の子に羽を引きちぎられ、少し飛びにくくなったとか。とにかくいろんな話をして、止まらない。うるさいから食べてしまうぞ、と脅したこともあった。だけど、効果はなかった。ほら、やっぱり、今日もあそこに集まっている。


 この窓の向こうには優しい女の子がいる。よく庭に迷い込んでいたボクに、イワシをくれた。女の子はずっとネコを飼いたいと思っている。でも、お母さんはネコに触れると、手が赤くなってしまうから、無理なのだそう。あんまりにも悲しい顔をしてそう言うから、ボクはいつも仕方なく撫でさせていた。ボクを撫でる女の子の手はとても優しくて、気持ちよかった。だけど、女の子の手からはいつも血の匂いがしていた。所々赤くなってたり、古くて丸い傷跡があったり、かわいそうな手。ボクを撫でていても、痛いだなんて顔はしていなかったけど、きっとすごく痛い。だから、毎日迷い込んで、撫でさせてあげていた。


 いつもと変わらない道のりだったけど、ねこは寂しかった。この道のりを巡った先には、いつも君がいたのに、今はもうそうではない。帰れる家すらなく、ひとりでここを彷徨い続けることしかできない。そう思うだけで、ねこは寂しくて死んでしまいそうだった。


 だんだんと辺りは暗くなっていく。


 ねこはいい匂いに誘われて、顔を紙袋に埋めた。道端に落ちているものを、食べるのは初めてだった。誰かがくれた缶詰だって、女の子がくれたイワシだって、ねこは食べていなかった。いけないことだと教われて、まだ一度として破ったことのない約束だったのだ。でも、ねこはもう迎えにきてくれない君に腹を立てた。もう君の言いつけを守って、いい子にしていても、撫でてくれないってわかっている。だから、ねこは必死になって食べた。


 夢中になって食べていると、バチバチッと、何かが鳴った。驚いたねこは顔を上げたが、周りには誰もいなかった。また顔を埋めると、音がした。かと思うと、ねこの周りは明るくなった。隣に立っていた街路灯が光だした。ねこはこんなもの初めて見た。いつもは暗くなる前に帰っていたから、外の夜を知らなかったのだ。


 ねこがまじまじと街路灯は見つめていると、パッと光が消えた。そしてしばらくすると、街路灯はまた光出して、ねこはピョンっと大きく後ろに跳ねた。街路灯は光っては消えを繰り返していた。ねこは驚いた自分を馬鹿にされているようで、シャーッと威嚇した。それでも街路灯は変わらず、バチバチっと音を立てて、光っていた。ねこは街路灯の明かりが懐かしいような気がして、今夜はここで寝ようと思った。街路灯の足元に丸くなろうとすると、音はもっと激しくなった。明かりもさらに光っては消えを繰り返して、まるでねこを追い出そうとしているようだった。ねこは街路灯が嫌いになった。ただ一晩だけここにいさせて欲しいだけなのに、なんてケチなやつなんだと思った。


 結局ねこは街路灯から離れ、見慣れたはずの町を明るくなるまで彷徨い続けた。力尽きたねこがもう一度顔を上げた先にはあの街路灯がいた。ねこは街路灯をキッと睨みつけ、力なく威嚇する。


 街路灯はパッと光った。もう辺りは明るいから昨晩ほど街路灯の光は明るくない。パッと光った先にはセミが落ちていた。もう死んでいるようでピクリとも動かない。ねこは力を振り絞って、その明かりの中まで歩いていく。セミの近くに鼻を持っていき、クンクンと嗅いでみる。今までこんなものを食べたことのないねこは街路灯を疑いの目で見る。街路灯はまたピカッピカッと光る。まるでねこを勇気づけているかのような光だから、ねこは大きく口を開けて、セミを食べようとする。すると、セミはいきなり激しく暴れ出し、ねこに突進してきた。驚いたねこはまたしてもピョンッと大きく跳ねた。呆気に取られていると、街路灯はまるで笑っているのかようにパチパチッと明滅した。ねこにはもう街路灯に威嚇し返す力もなかった。


 街路灯はそれをわかると、プツッと光るのをやめた。そして今度はさっきよりも弱々しく優しい光を発した。少し寂しそうに見えた街路灯にねこはゆっくり近づく。街路灯は何もしなかった。昨日のように暴れたように光るのでもなく、激しい音を出すのでもなく、ただ静かに見守る。


 きっとこいつはボクにあのセミを本当にプレゼントしようとしてたんだ。


 ねこはそんなことを思った。街路灯の足元に辿り着き、ねこは目を閉じる。いい夢が見られるかもしれない。そんな予感がした。


 次に目を開けた時、辺りはまた暗くなっていた。街路灯はまたバチバチッと音を立てながら、光っている。


 ねこの目の前には、いつの日か嗅いだことのある匂いがする缶詰が置かれていた。ねこが見上げると、まるで目を逸らしているかのように、街路灯はライトを横に捻った。


 ねこは缶詰を必死になって食べた。美味しかった。今までこんなに美味しい缶詰を食べたことがないとねこはそう思った。


 それからねこは街路灯のもとで暮らすようになった。街路灯の足元で寝たり、ライトのてっぺんで日向ぼっこしたり、もはや街路灯にねこが触れたことがない場所はなかった。街路灯の近くにはゴミ捨て場があり、ねこはよくそこから食料を咥えてきて、街路灯の足元で食べている。たまに街路灯のもとにもゴミが捨てられるため、ねこはその度にそれをゴミ捨て場に引きずっていった。


 ゴミ捨て場にはよく一匹のカラスが来ていた。ねこが初めてカラスに出会った時、カラスはゴミを漁っていた。カラスを恐れてなかなか近づかないねこに、カラスは自分が食べていたそれを分けてくれた。もうすでにカラスに色々突かれてぐちゃぐちゃになっていた。でも街路灯に辿り着く前のお腹の虫が鳴り続ける生活には戻りたくない。辛くて寂しい。ねこはお腹を空かせるとそんな気がするようになった。それならカラスがくれたそれを食べた方がマシだ。ねこは思いっきりがぶっと食べた。思ったよりも美味しくはなかった。やっぱりあの日食べた缶詰が一番だと思った。


 ねこは昼間の間、カラスについて回るようになった。カラスはこのゴミ捨て場を去ると、商店街へと飛んでいく。電柱にとまり、静かに人々を見下ろす。ねこも電柱に登ろうとしたが、すぐに怖くなってしまった。てっぺんに辿り着く前に下を見たのが悪かった。カラスはねこを助けるとも、嘲笑うともせず、ただそこからじっと見下ろしていた。ねこは、カラスのいる電柱の下でぼーっと行き交う人々を眺めた。


 あ、この人は今日、魚を食べるのかな。美味しそうなアユが一匹、二匹……。でもきっとあいつがくれた缶詰の方が美味しいに決まっている。ほら、あの緑の草も持ってる。きっとそれを細かく刻んで、アユと一緒に食べるんだ。どうして君もこの人もあの草が好きなんだろう。不味くて仕方がない。


 この女の人、すごく鼻がつーんとする匂いがする。君が夜中に帰ってくる時はいつもこんな匂いと、あともう一つの匂い。なんて言ったっけ? ああ、お酒だ。真っ赤な顔をした君はそういう時、ボクがどれだけ鳴いても撫でてはくれなくなる。それどころか、大声で怒鳴っては、ボクを追い出そうとしていた。怖かったし、少し悲しかった。だけど朝になるとまた撫でてくれるから、ボクはいつも仕方なく許していた。


 魚を売っている男の人は怖そうだった。怒った君よりも怖そうだ。でも残念ながら、それは見た目だけ。ボクは見てしまった。顔に大きなトラを飼っているこの人は、この前、美味しそうな缶詰を、あっちのボクよりも痩せ細った白ネコにあげていた。そして、怖くなって手を掻いてしまったボクにも、もう一度そっと手を伸ばしてくれた。だから、もし、この男がまた缶詰をくれた時は思いっきり食べてやるんだとボクは決心している。それにしても久しぶりに撫でられた。君の手よりも冷たかったけど、君よりも優しい撫で方だった。そういえばあの女の子をそうだ。もしかしたら君は撫でるのが下手だったのかもしれないと気づいてしまった。でも仕方がない。君は初めて誰かのご主人様になるんだって、あの日、嬉しそうだったから。


 首にリードをつけたイヌがボクに話しかけてきた。彼のご主人様が、どれだけ撫でるのが上手くて、毛を研がれるのがどれだけ気持ちいかとか。ボールをどれだけ遠くに飛ばせるだとか、沢山の種類のご飯が毎回とても美味しいだとか。聞いてもいないことをぺらぺら話し出して、ボクは本当に嫌だった。君は多分撫でるのが下手だったし、ボクの毛を研いでくれたことなんてない。ボールを遊ぶのはいつだってボク独りだったし、ボクが食べるご飯はいつだって同じメニューだ。羨ましくは思わなかった。ただ、このイヌが得意げな顔をして、リードを咥えて彼のご主人様に走って行ったのを見て、少し許せなかっただけだ。


 ねこは急に街路灯に会いたくなった。電柱を見上げると、カラスはもういなかった。ねこは独りで街路灯のもとへ歩いた。街路灯はある家の垣根の裏に位置している。後ろからは立派な木が伸びていて、そこはねこの大好きな場所だ。葉の上から垂れる朝露は美味しく、日向ぼっこにちょうどいいほどの日陰をを作ってくれるからだ。ねこは慣れた様子で、街路灯を登る。やっぱり一番は街路灯。晴れの日でも雨の日でも、ぴんと背筋伸ばして、光る街路灯にねこは憧れた。ねこは街路灯を大好きになっていたのだ。


 まだまだセミが鳴いている時期で、ねこは一生懸命セミを狩る練習をした。立派な木で鳴いていたセミを捕まえようと、勢いよく飛んだねこはそのまま、垣根から落ちてしまった。立派な木がある家はやっぱり立派だったことを知った。だけど、家は立派なだけで、どうやら人は住んでいない。家に近づくとだんだんと少し変な匂いがしてきた。大きな蜘蛛の巣が貼ってあり、大きなネズミもねこの前を走り去った。不気味な感じがして、ねこは急いで街路灯のもとへ戻る。街路灯はまたしても音を立てて、ピカピカッと光っていた。その反応はいつも通りのそれで、ねこは安心した。


 立派な木の葉は、だんだんと黄色になっていき、街路灯の前に落ちてきた。落ちてくる葉を追いかけて、キャッチする遊びはねこのお気に入りとなった。沢山ある葉を踏むのが楽しかった。葉を思いっきり引き裂くのも面白かった。そして何よりも街路灯が隣でずっと見守ってくれるのが嬉しかった。だけど、最近のねこには一つ悩みがあった。それは街路灯が光る回数が少なくなったことだ。黒いチョウを追いかけて垣根にぶつかった時や、大きな葉に二つ穴をくり抜いて顔にくっつけようとした時も、街路灯は光らなかった。多分セミに比べて、チョウと葉っぱがあまり好きじゃないのかもしれない。ねこはそう思った。


 ねこはまた商店街へと向かった。なかなか光らない街路灯に慣れなくて、ねこは初めて真っ暗な夜に、街路灯から離れた。夜の商店街はとても明るかった。立派に光っているのはあの街路灯だけじゃなかったとねこは知った。あの店この店、どこを見渡しても明かりは溢れていた。こんだけ沢山の明かりに囲まれてもねこは寂しいと思ってしまった。やっぱり街路灯に光って欲しい。街路灯の光だけが一番暖かくて、優しくて、どれよりも明るい。


 あの怖そうな男がねこを見つけた。彼はまた優しく手を伸ばしてくれて、今度は一匹のアジをくれた。また彼の手を傷つけてしまうかもしれないと思って、ねこは男にアジを地面に置くように促した。男がやっと地面にアジを置くと、ねこはそっとそれを咥えた。男はまたあの日のように優しく撫でてくれた。ねこは嬉しくなって、急いで街路灯のもとへ向かった。きっとこれなら街路灯もまた光ってくれるはず。ねこはそう期待を膨らませ、真っ暗な道を走った。


 街路灯はやっぱり光っていなかった。ねこは咥えていたアジを地面に置き、鼻先で街路灯のもとへ押した。街路灯は一瞬バチッと音を立てたが、光らなかった。立派な木からは一枚、大きな葉が落ちてきた。ひらひらと空中でゆっくり舞い、最後にはやっぱり地面に落ちてしまった。最後の一枚だった。立派な木にはもうすでに太い枝だけしか残っていない。ねこは何かをわかってしまったような気がした。ねこは街路灯に近づき、いつも寝ているそこで静かに目を瞑った。


 少し寒くなってきた頃、ねこのもとに沢山の人がやってきた。ねこが服を引っ張ろうとも、足を引っ掻こうとも彼らは動じなかった。街路灯のそばに梯子を置き、ライトに手を触れる。ねこは威嚇するのをやめた。もしかしたら、彼らは悪い奴じゃないのかもしれないと思ったからだ。そうして街路灯が彼らに囲まれ、何かされているのをねこはじっと見守っていた。


 しばらくして、街路灯は再び光出した。あの人たちはすっかり片付けを終え、どこかに行ってしまった。街路灯の光は前よりも明るかった。バチバチッと鳴る癖もなくなっていた。ねこがどれだけ鳴いても、鈍臭くても、昼間に光ることはなくなった。ただ毎日規則正しく、日が暮れると光出す。ねこが何をしようとも、街路灯はただの街路灯のままだった。


 ねこはそっと街路灯から離れ、独りっきりの街を歩き出した。

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ねこと街路灯 凍花星 @gsugaj816

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