第8話 夢の予感

 6月の空は低い。それが曇りの日であったら尚更だ。今にも落ちてきそうな灰色が一面に広がっている金曜日。


 数ある民家が並ぶ中、ぽつんと暖色の明かりがついているところが一つ。その通りに人の気配はなく、鳥の声すら聞こえない。ゆっくりと動く雲だけが時間の経過を示しているようだ。


 ガラス張りの引き戸の前には看板が置いてあった。「cafeユーニ 営業中」と書かれたそれの下には、シルバーグレーと黒が混じったもふもふが丸まっている。時折聞こえる風の音に耳を動かしながら、それはすやすやと寝息を立てていた。


 がらがらと引き戸を開け、コーヒーの香りと共に詩季が近づいても起きる気配はない。お腹が上下に動いているから生きていることは確かなのだが、心配に思った詩季はそっと触れて体温を感じた。

 何の用? とでも言いたげに、もふもふはもそもそと動く。


一茶いっさくん、そろそろ閉店の時間だよ」

「な〜ん」


 詩季の言葉に返事をしたもふもふ——子猫は、前足を伸ばし、背中をそらせて伸びをした。シルバーグレーと黒が混じった頭と背中、しっぽ、白いお腹は毛並みが整っており、触り心地が良い。黄色がかった薄い茶色の瞳は真っ直ぐ詩季を見つめている。

 その純粋な瞳を見た詩季はふと思った。cafeユーニうちに猫なんていたっけ、と——。



「——っていう夢を見たんだよね」

「リアルな夢ですね」


 話を聞いた暁斗は引き戸のほど近くから外を見て言った。視線の先には落ちてきそうな灰色の空。猫はもとより、詩季の夢と違うのは今の時間くらいだろうか。時計の針は12を指そうとしている。開店してから1時間が経とうとしているが、今日はまだ客が来ていない。のんびりな日だろうとあたりを付けた詩季は、暁斗との雑談に花を咲かせていた。


「本当にね。それにしてもあの猫、一茶くんすごく可愛かったなぁ……」


(あの毛並み、もっともふもふしたい……。あわよくばすりすりされたい……。僕の膝の上ですやすや眠ってる姿を見てみたい……)


「……現実にいないかなぁ。ふと見てみたら看板の下にいたりして」


 引き戸越しに看板の下を見てみるが、子猫はいない。詩季はいつの間にか力が入っていた肩を下げた。


「さすがにいませんね」

「そうだね……」


(いないって分かってたけどさ、ちょっと悲しいよね。……いないって分かってたけど)


「あの、俺がこの前撮った猫の写真でも見ます?」

「ありがとう、見る……」


 詩季たちはカウンターの前に戻り、暁斗のスマホで猫の写真を見始める。画面に映し出されたのは金色の瞳でこちらをじっと見ている黒猫。その猫の背景にはcafeユーニから徒歩数分のところにある駅が写っていた。


「この子、この辺に居るんだね」

「そうですね、ときどき駅の近くで見かけます。会った時は何をするわけでもなく俺の方をじっと見て、しばらくすると去っていくんですよ」


(わざわざ足を止めてまで黒猫と見つめ合う暁斗くんが想像できてしまった。とても、微笑ましい)


「何か面白いことありました?」

「いいや、平和だなって思っただけだよ」

「そうなんですね……?」


 怪訝な顔をしている暁斗に対し、詩季は先ほどの悲しそうな表情から一転して微笑んでいる。詩季を元気付けようと猫の写真を見せた暁斗だったが、本人の思わぬところで元気付けることに成功したようだ。


 からんからん。


 二人が雑談をしている中、引き戸を開けて客がやってくる。


「いらっしゃいませ。空いているお席へどうぞ——」



 のんびりと時間は過ぎ、夕方。最後にいた客が帰り、閉店まで残り15分となった。


「ちょっと早いけど閉めようか」

「そうですね。では片付けます」


 今から来る客はいないだろうし、来たとしても注文されたものは用意できない。そんな考えから閉店を決めた詩季に、暁斗は頷いた。二人は慣れた様子で片付けを始める。


 オープンしてちょうど7日目、暁斗の肩からほど良く力が抜けていた。自然体で調理や片付けをすることができている。一方の詩季は、開店当初から良い意味で変わっていないようだ。初日は緊張していたとSecondgramで語っていたが、その性格からなのか、これまでの経験からなのか、初日と今日の様子の違いは特に見当たらない。どうやったらそうなったのかは、本人ですら分からないのだろう。


 看板を片付けに外へ出た詩季は、目に飛び込んできた光景にフリーズした。今にも落ちてきそうな灰色の空、看板の下にはシルバーグレーと黒が混じったもふもふが丸まっている。

 夢と現実の光景が重なり、どちらにいるのかが分からなくなる。目の前にはあの夢で「一茶くん」と呼んだ子猫が眠っているのだ。時折聞こえる風の音に耳を動かしながら、すやすやと寝息を立てるそれは「一茶くん」であった。大きさも、丸まっている姿勢も、その毛の色と模様の位置も全てが一致している。

 とうとう現実にいるという自信がなくなってきた詩季は、おもむろに頬を引っ張る。


(……痛い。え、夢? いや痛かったし夢ではないか。……ということは、現実!?)


 当たり前の結論に辿り着いた詩季は、当たり前の事実に驚いた。いや、この状況は事実だが当たり前ではないのかもしれない。

 そんな詩季を見て、暁斗はどうしたのかと声をかけた。


「何かあったんですか?」


 その問いに詩季からの返事はない。ただ子猫を見ているだけ。暁斗は詩季の視線を追い、それを発見した。ここで、引き戸を閉めるのも忘れ、呆然と子猫を見る成人男性二人の絵が完成してしまう。先に我に帰ったのは暁斗だった。


「あの、マスター、この猫ってもしかして」

「……そう、夢の中に出てきた一茶くんにそっくりなんだよね」


(あれってただの夢じゃなかったのかな……本当に、一茶くんにそっくり)


「今日の夢、いわゆる予知夢だったのかな」

「この状況からしてそういうことなのでは?」

「やっぱりそうだよね。……暁斗くん、予知夢って見たことある?」

「俺はないですね」

「奇遇だね、僕もなかったよ」


 事実を事実として受け止め始めた時、子猫はもぞもぞと動き出した。前足を伸ばし、背中をそらせて伸びをする。ぱっと顔を上げた子猫は黄色がかった薄い茶色の瞳で詩季を見つめた。


「……一茶くん?」

「な〜ん」

「か、可愛い……」


(か、可愛い……)


 考えたことがぽろりと口に出てしまうくらいに、詩季はその可愛さに衝撃を受けた。口には出さないが、暁斗も同じくらいの衝撃を受けている。口元をにまにまとさせているのが丸わかりだ。

 子猫はその反応を楽しむように、詩季の足元にすりすりとした。


「か、可愛い……」

「……マスター、もしかしたらこの子は誰かの家に住んでいる子なのかもしれません」


 またまた一足先に我に帰った暁斗が言った。


「確かにそうかもね……とりあえず、片付けの続きをしようか」

「そうですね」


(名残惜しいけど、……とても名残惜しいけどさ)


 ちらちらと子猫を見ながらも、二人は片付けを再開した。


***


【Secondgram 6月7日19時01分 cafeユーニ の投稿】


〈茜色に染まった空を背景にcafeユーニの看板を撮った写真〉



 6月7日(金)こんばんは!

 本日もご来店ありがとうございました!


 突然ですが皆様、夢での出来事が実際に起こったことはありますか? 僕は今日、そんな出来事が起こりましたよ。

 というのも、ユーニの看板の下に子猫がいるという夢を見たのですが、なんと閉店直後に夢で見たままの子猫が現れまして。夢の続きではないかと疑ってしまいました。まあ、調理担当の子も一緒に子猫を見たので夢ではないはずですが。

 片付けをした後に見てみたらいなくなっており、やはり夢だったのではないか、と考えてしまいました……笑


 さて、閉店の頃まではどんよりな天気でしたが、いつの間にか雲がどこかにいっていました。

 明日は晴れのち雨だそうです。最近は忙しい天気が多いですね。でもこれも、梅雨が来たら落ち着くのでしょうか。


 何はともあれ、明日も営業いたします。


 では、また。『cafeユーニ』でお待ちしております。


 〒×××-××××

 〇〇県△△町□□×-×

 営業時間 11時 - 17時

 定休日 火曜日、水曜日


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cafeユーニの六月〜変わり者が集まるカフェは、今日も賑やか営業中〜 色葉みと @mitohano

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