清算

 南門橋梁補修の宴の余興も、好評の内に無事終わり、エラゴステスの商隊は翌朝にはハリングツを出立していた。

 工事終了の儀式はつつがなく済んだかに見えたが、宴に帝の弟ギングリン・クパレの姿がなく、翌日には城門前に首が晒されていた。

 隣にジョウルモ司祭の首も晒されており、帝をしいするために内通していたとの風聞がもっぱらであった。

 もっともあの帝の事である、適当に嫌疑をかけて鬱陶しい素っ首を刎ねたのやも知れぬ。

 いずれにせよ、行商人風情には関わりのない話である。

 出立のあわただしさも、貧民街を抜けると街道は広大な砂漠に接続し、人心地つく。

 それでもまだ慎重に、丘をいくつか超え、城塞都市が完全に見えなくなった昼頃である。

 いつになく草臥くたびれた顔のティグルが、精魂尽きた様子で言う。

「……変な男であった」

 誰とは言わない。

 言えば首が飛ぶ。

 前夜の宴で、帝に狩りの唄をせがまれ、なんと二刻もの間唄いつづけさせられた。

「あの唄、何をそこまで気に入ったのか……」

 その唄を、わざわざガタウたち砂漠の戦士から習った当人が言っているのだから、エラゴステスとしてもニヤつく以外に返事がない。

「あまり不平を言うな。貴人であらせられるぞ。なんの、余興に向いてはおらぬが、心の奥底の勇猛をかき立てる、なかなかの美声であったぞ」

「宮廷の唄なぞ、楽師か吟遊詩人に唄わせておけ」

 ノドの負担が大きかったのだろう、ティグルの声が枯れている。

「戦士が歌うから趣が出るのだ。楽師なんぞに唄わせて、何の勇壮さがあろう」

 ティグルがため息をつく。

「その唄、気に入った! また護衛共々宴に呼んでやるぞ醜き商人エラゴステス!」

 帝はまたも呵々大笑して言った物だ。

 一五〇日後このハリングツを訪れた際、また唄を求められたらと思うと、エラゴステスとの契約を清算したくなる。問題はまだ契約期間が三年と少し残っている事だ。

「……気づいていたか」

 帝の声を頭から追いだしたくて、ティグルが話題を変える。

「――何がだ」

「ヴィグラだ」

 その名を、周りに聞かれぬほど小さく言う。

「ふむ……」

 ヴィグラの姿を、無論エラゴステスも認めていた。

 捉えどころのない容姿で、どこにいてもなじんでしまう人物。

 まず謁見の間で、親衛隊の中にその姿を見た。

 上下をそろえた鎧兜姿は精強な親衛隊士そのもので、居合わせた者たちが見ても、あの夜と同じ人物とは気づかなかっただろう。

 宴でも、その姿を見た。

 今度は帝のそばで給仕をしていて、品を作る様は男娼にしか見えなかった。

 関わり合いになりたくなかったので知らぬふりをしたが、向こうもその辺り、察していたやも知れぬ。

 実は、今朝方一頭のラバが組合施設門前に括りつけられていた。

 エラゴステスは見習いに銘じて売り払い、内々に処理したが、あれはムノストリの裏切りの際にヴィグラに用意したラバの、返礼であろう。

「デルギンドリに、教えてやらずともよかったのか」

「宴ですら顔色に死相が浮きでていたあの男に、これ以上の心労を与える必要こそあるまい。なに、あの東の砦が、組合の選択の鍵と気づいた男だ、本当は知っていて見ぬ振りをしていたのやも知れぬぞ」

「どうであろうな」

 二人とも解答は保留した。

 世の中、曖昧に済ませておくべき事もある。

 さて、これ程までに手をかけた今回の事業だが、実は赤字である。

 商売が破綻する程ではないが、職人たちの生活一切合切を用意したのが、その大きな要因である。

 晴れて専売事業となったからには、今後は大っぴらに作っても、このハリングツでは盗まれぬ意匠という事になる。

 であれば製作費用は、ずっと抑えられよう。

 無論余所の都市でならば同じ意匠で段通を作っても、罪とはならない。

 ただし、この都市ほどの製品を作るのは容易ではない。

――われらが獣の段通こそ、真の最上級品である。

 帝が驚喜したという売り文句ならば、欲しがる貴人も数多あまたいよう。

――なに、贋作物がこちらよりも売れるならば、ハリングツとの専売を売り文句に、余所でも自分で拵えればよいのだ。

 いざとなれば、そんなしぶとい事業をも、エラゴステスは画策している。

 後方車両から手鐘が鳴らされた。

「最後尾。車輪の脱落だ」

「まったく、小さな不具合がひっきりなしに起きよるわ」

 馭者に荷車を停めさせ、二人が事故車に向かう。

「あの夜を越えた最後の一台だ。もう引退させてやってはどうだ」

 音のしない早歩きで、ティグルが言う。

「莫迦を言え。この身同様、使える物なら壊れるまで使うてくれるわ」

 広大な砂漠めがけて、エラゴステスがうそぶいた。



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獣の段通 ハシバミの花 @kaaki_iro

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