梟ノ首

湖城マコト

梟ノ首

 明治十一年七月一日の正午。外回りに出ていた穂村ほむら高之助たかのすけ警部補が警察署へと戻ってくると、署内が妙に慌ただしかった。穂村は行き交う署員の中に、部下の斎木さいき正巳まさみ巡査の姿を見つけて声をかける。


「斎木。何かあったのか?」

「良かった。戻られたんですね。たった今通報がありまして、刑場で窃盗が起きたようなのですが……」

「刑場? そういえば今日は、お多鶴たづの斬首刑執行の日だったはずだが、刑場で一体何が盗まれるというんだ?」

「生首ですよ。斬首後、梟示きょうじされるはずだったお多鶴の首が、忽然と姿を消したそうです。河原に首を晒すまでが刑ですから、首はどこへ行ったと現場は大騒ぎになってます。怪談話じゃあるまいし、まさか首が一人で歩いてどこかへ行くはずはありませんからね」


 梟示とは斬首後、ねた首を獄門台ごくもんだいに乗せ、三日間見せしめとしてさらす刑罰を指す。江戸時代までは獄門ごくもんと呼ばれていたが、明治に入ってからは梟示と名を改めている。梟示されるはずの生首が行方不明となる。前代未聞の事件であった。


「何者かによる窃盗か。よりにもよってお多鶴の首とは」


 思わぬ展開に、穂村は大きく溜息をついた。世間を騒がせる凄惨な殺人事件を起こした、お多鶴という一人の若い女。絶世の美女でもあった彼女にまつわる逸話いつわ枚挙まいきょに暇がないが、まさか斬首されてもなお、このような事件が起ころうとは。お多鶴の存在感には魔性を感じずにはいられない。


「俺たちも現場に向かうぞ。詳しい話は道すがら聞く」

「分かりました」


 穂村は斎木を連れて警察署を出た。外回りから戻って、ものの数分でのことだった。


「死体を確認しても?」

「もちろんです。生首が行方不明になってからは手をつけておりません」


 斬首されたお多鶴の遺体はその場に横たわらせ、編まれた藁が被せられていた。斬首から間もないので、生々しい血の跡もそのまま残されている。刑場の人間の許可を取り、穂村は藁を捲り上げた。


「首はしっかりと両断されているが……まあ、こんなものか」


 そもそも疑う余地などないが、体格や両方の鎖骨の上に位置する印象的なほくろなどの特徴から、遺体がお多鶴本人であることは間違いない。斬首の切断面は斜めに見えるが、首の骨までしっかりと一撃で両断されている。生首が行方不明となったことを除けば、斬首自体は問題なく執行されたようだ。


「お多鶴はどのような死相を?」

「刎ねられた首は、眠るように静かに目を閉じていましたよ。まるで人形のようにね。罪人ながら天晴というか」


 死相は死の恐怖に歪むのが常だが、言葉の通りだとすれば、お多鶴はその美しさを堅持したまま死んでいったともいえる。生前、自らの美貌には絶対の自信を持っていたそうだし、死の瞬間までそれを貫いたというのなら相当な精神力だ。狂気的と言い換えてもいいかもしれない。


「斬首は鈴屋すずや先生が?」

「はい。今回も鈴屋先生ですよ」


 斬首刑の執行人として長年活躍してきた剣術の達人、鈴屋すずや巌枩いわまつ。老齢だが、罪人の首を一刀両断する技量は未だに健在だ。


「鈴屋先生はまだこちらに?」

「少し前に、お弟子の綱彦つなひこさんと一緒にお帰りになられました。先生もお年ですし、お体の調子があまりよろしくないそうで」

「そうですか。それは心配だ」


 出来ればこの場で話を聞きたかったが、鈴屋巌枩の年齢を考えれば無理もないことだった。鈴屋巌枩がこの事件に関与しているとは思えないが、斬首を行った執行人として、何か現場で気になることはなかったか、後で自宅を訪ねて確認しておきたい。


「それにしても警部補。刑場から生首を盗むだなんて異常かつ大胆不敵だ。犯人は狂人のたぐいでしょうか?」

「奇怪な事件であることは間違いないが、首を盗むという点だけを見れば、刑場から盗むという行為は意外と理にかなっているのかもしれない。刑場から生首が盗まれたという一報を聞き誰もが驚いたが、裏を返せばそういう事態を想定していなかったということでもある。そんな油断を突かれたのかもしれない。実際、晒された後の首を盗むのには苦労するだろうからな」

「確かに、河原で獄門台に乗せられた首には四六時中見張りがつくし、日中は衆人環視の目にも晒されている。そうなれば窃盗はまず困難だ。存外、利口な犯人のようですね」

「狂人であることに変わりはないがな。一体どんな目的でお多鶴の首を盗んだのか」

「一番疑わしいのはやはり、お多鶴に恋慕していた連中ではないでしょうか。彼女の死罪をくつがえそうと、多くの嘆願たんがんが寄せられたのは有名な話ですから」


 お多鶴は三人の男性を殺害した重罪人だった。商人である夫の善一郎ぜんいちろうと何不自由のない生活を送りながらも性に対して奔放で、夫以外にもその二人の弟、金次郎きんじろう新三郎しんざぶろうに対しても自ら積極的に関係を迫り、三兄弟と男女の関係にあったという。しかしお多鶴はそのような生活に飽き飽きとし、心は徐々に、自分よりも若い出入り業者の若者、平太へいたへと移っていく。三兄弟との関係にしがらみを感じたお多鶴は新たな恋人と一緒になるために、三兄弟の殺害を計画。宴の席の酒に毒を盛り、一網打尽とした。当初は商売仇しょうばいがたきによる犯行の線も疑われたが、捜査を進めていく中でお多鶴と三兄弟の関係性が明らかとなっていき、最終的にはお多鶴も犯行を自供したためお縄となった。死罪の中でも、主に身内殺しに適用される梟示が言い渡されたのは当然の流れだ。


 一度に三人を殺害した毒婦として世間を震撼させた一方で、絶世の美女であったお多鶴に横恋慕よこれんぼしていた者も少なくなく、犯行の凶悪さを省みずに、あのような美人を殺すのは惜しいというとんでもない理由で、有志一同よる嘆願書が関係各所に連日届けられるという珍事が連発した。当然それは警察署にも届き、自身も対応に当たっていた斎木は、今回の生首盗難事件もその延長線上にあるのではと勘繰っていた。


「凶悪犯とはいえ、恋慕した女の首を公衆の面前に晒されるのが耐えられなかったのか。あるいは首だけでもお多鶴を手に入れたいという独占欲か。彼女に恋慕していた人間の誰かが、嘆願叶わずそのような凶行に走った可能性は確かに考えられるな」

「重複や偽名も含まれるでしょうが、嘆願は山ほど届きました。その数だけ容疑者がいるとすれば、途方もない話ですね」


 警察署に届いた嘆願書が机にうず高く積まれた光景は思い出し、斎木は堪らず苦笑した。着任早々の出来事だったこともあり、強く印象に残っている。役所や刑場にも大量に嘆願書が届いていたというし、文字通り容疑者は数えきれない。


「動機が恋慕というのはあくまでも可能性の一つに過ぎない。怨恨という線も十分に考えられるからな。直接殺すことは出来なくとも、例えば、首を盗み、お多鶴の美貌の象徴であった顔を傷つけるといったような」

「一種の敵討かたきうちということですか?」

「敵討禁止令が発布された反動もあるのかもしれない。もちろん、これもあくまで可能性に過ぎないが」


 明治期に入ると司法制度の整備が行われた。五年前の明治六年二月七日に政府から敵討禁止令が発布され、現在敵討は禁止されている。そういった背景もあり、行き場を失ったお多鶴に対する復讐心が、今回の事件へと繋がった可能性も十分に考えられる。


「怨恨の線の方が、動機としては洗いやすいな。殺害された三兄弟の関係者はもちろん、出入り業者だった平太の関係者にもお多鶴を恨む理由はある」

「三兄弟は分かりますが、平太の関係者もですか? 確かお多鶴の恋慕の相手で、そのことが事件のきっかけになったのでしたよね」

「そういえば当時、君はまだ着任前だったな。あれは、お多鶴の一方的な恋愛感情だ。平太は出入りの業者として、商人の善一郎と接する機会こそ多かったが、妻であるお多鶴とはせいぜい、挨拶を交わす程度の間柄だった。二人の間に男女の関係はなかったと聞いている。だが周囲は、お多鶴の起こした犯罪の大きさが故に、お多鶴と平太の間に男女の関係が無かったとは、俄かには信じられなかったようだ。お多鶴と平太の共犯を疑う声も根強かった。実際はお多鶴の狂気が引き起こした単独での犯行だったわけだが、やってもいない罪で周囲の冷ややかな視線に晒され続けた平太は次第に心を壊し、最後は自死を選んだ」

「平太はすでに死んでいたのですか……惨い話だ」

「三兄弟だけではなく、平太もまた、お多鶴の狂気に飲み込まれて命を落とした犠牲者の一人だ。彼らの親族や友人知人からしたら、お多鶴という女はどれだけ憎んでも足りないだろうな……流石に、お多鶴の死後の苦しみを願って、生首を呪術か何かに使うなんてことはないとは思うが」


 口ではそう言いながらも、お多鶴の凶行を思えばそれぐらいのことが起きてもおかしくはないと穂村は思った。商人である善一郎とその兄弟が亡くなった影響で商売は暗礁に乗り上げ、雇われていた人間はもちろん、大口の商売相手を失った取引先にもその余波が広がっている。被害者の親族だけではなく、関係者にもお多鶴を恨んでいる者は多いことだろう。


「恋慕にしろ怨恨にしろ。動機と容疑者は多岐にわたる。厄介な事件になりそうですね」

「動機が何であれ、地道に捜査するしかない。梟示されるはずの首を行方不明のままにはしておけないからな」


 どのような動機であれ、警察官としては生首の窃盗事件を厳粛げんしゅくに捜査するのみだ。お多鶴の遺体の確認を終えた穂村は遺体に藁を掛け直した。


 ※※※


「警察官の穂村と申します。刑場での事件についてお尋ねしたいのですが」


 刑場での現場検証を終えた穂村と斎木は、関係者として事情を聞くため、斬首刑の執行人を務めた鈴屋巌枩の屋敷を訪れていた。門扉越しに呼び掛けると、家主の鈴屋ではなく、彼の弟子の大亀おおがめ綱彦つなひこが姿を現した。


「申し訳ありませんが、鈴屋先生はお体の調子が優れず眠っておられます。日を改めてはいただけませんか?」

「お弟子の大亀さんですね。それでしたら代わりに、あなたから事情を伺ってもよろしいでしょうか? 鈴屋先生と一緒に刑場におられましたよね」

「お話出来るようなことは何もありませんよ。鈴屋先生による斬首は滞りなく行われました。そこから先は生首を盗んだ犯人と、管理を怠った刑場の問題でしょう」


 綱彦は早口で、どことなく突き放すような態度だった。やり取りが床に伏せる師匠の耳に入り、気を揉ませてしまうことを憂慮しているのかもしれないが、斬首が滞りなく行われたのだとすれば、鈴屋と綱彦には何の落ち度もない。もう少し協力的でも良さそうなものだし、何よりも感情的だ。


「まあまあ。そう仰らずに。何が解決の糸口になるか分かりませんから。斬首の様子や、斬首直後のお多鶴の首について、何か気づいたことはありませんか?」

「知りませんよ。あんな醜い首のことなんて。先生の様子が気になるので、そろそろ戻らせていただいても?」

「分かりました。また後日、お伺いいたします」


 穂村は無理には引き留めようとはしなかった。網彦は無言で一礼してから、屋敷の中へと戻っていった。


「穂村警部補。もっと話を聞かなくてもよかったんですか?」


 話せることはないと突き放されても一度は食い下がったのに、二度目はあっさりと引いた。警察官としての正当な捜査なのだから、もっと強気でも許されるのに、どうして穂村はそうしなかったのか。斎木には疑問だった。


「興味深い発言を聞き出せたし、今はそれで十分だ。斬首自体が滞りなく行われたのは、刑場の人間の証言からも明らかだしな」

「発言とは?」

「斬首直後のお多鶴の首について、大亀は醜い首と言ったが、刑場での証言によると、お多鶴の死相は、眠るように目を閉じていたそうだ。これを醜い首と評するのには、少し違和感を覚えるな。もちろん見え方というのは人それぞれだろうが」

「大亀綱彦にとっては、お多鶴の首は醜いものだったと?」

「咄嗟に出た言葉のようだし、だからこそ本心のように思えた。外見を指した言葉ではなく、憎悪の発露はつろだとすれば、意味合いは一気に変わってくる。罪人そのものが許せないという可能性もあるが、それがお多鶴個人に対しての感情ならば、彼にも動機が存在することになるな」

「大亀綱彦にもしも動機が存在していたら、一気に怪しくなりますね」

「あらゆる可能性を考慮しつつも、大亀綱彦の存在は注視しておいた方がよさそうだ。彼とお多鶴、あるいは被害者との間に何か接点がないか、調べてみることにしよう」


 動機がお多鶴に対する恋慕にしろ、怨恨にしろ、容疑者は数えきれないが、それは全て外部の人間だ。だが大亀綱彦に動機が存在していたら、刑に立ち会った内部の人間の犯行である可能性が出てくる。捜査対象としての優先順位は高い。


 ※※※


「大亀綱彦は無関係なのか?」


 警察署の机で煙管キセルを吹かしながら、穂村は大亀綱彦について思考を巡らせていた。二日かけて大亀綱彦の周辺を入念に洗ったが、お多鶴や被害者との間には一切の接点が見つからなかった。現状では怨恨の線は薄そうだ。人海戦術で多くの警察官を投入し、被害者の関係者の動向もくまなく調べたが、事件当日に怪しい行動を取った者はいなかった。こうなるといよいよ、お多鶴に恋慕していた人間の犯行という線が濃くなるが、不特定多数の中から個人を特定することは困難を極める。捜査は暗礁あんしょうに乗り上げたかに思われたが、この日大きな動きがあった。


「穂村警部補! たった今通報があり、川に女の首が浮かんでいるのが発見されたそうです!」

「お多鶴か?」

「まだ確認中ですが、時期が時期ですから恐らくは」


 新たに女の首が行方不明となる事件が発生したという情報はない。この時期に首が見つかるならそれは、お多鶴である可能性は高い。


「俺たちも現場に向かうぞ」


 本当にお多鶴の首ならば、犯人に迫る数少ない重要な手掛かりとなる。穂村と斎木は現場へと急いだ。


 川に浮かんでいた女の首は河原へと引き上げられ、警察官たちが首の状況を確認していた。奇しくもこの河原は、予定通りならお多鶴の生首が梟示されるはずだった場所だ。


「顔の大きさや黒子の特徴から、お多鶴と見て間違いなさそうだな」


 お多鶴の首は酷く損傷していたが、損傷せずに残っていた特徴的な黒子や顔の大きさなどの複合的な特徴から、お多鶴本人であると判断された。川を流されたことや腐敗による影響は最小限で、お多鶴の顔の損傷はそれよりも前に、鉈のような刃物を叩きつけられ、意図して傷つけられていたことが分かった。斬首されてもなお、人形のようだと評されたその美貌はもはや見る影もない。


「……酷い有様ですね」


 まだ経験の浅い斎木は凄惨な光景に目を細めていたが、穂村は一切心を乱さず、冷静にお多鶴の首を観察している。


「盗んだ首をこれだけ痛めつけているとなると、やはり怨恨なのか?」


 現状で最も疑わしいのは、お多鶴に恋慕していた人間による犯行だったが、盗んだ生首を手元に置いておくならばともかく、激しく痛めつけてゴミのように川に捨てるような真似をするだろうか? お多鶴に恨みを持つ者の犯行ならば理解出来るが、捜査した限り、被害者の遺族や関係者に怪しい行動をした人間はいなかった。重要な手掛かりが見つかったと思ったのも束の間、さらなる混乱が生じてしている。


「どうして斬首の切断面まで傷つける必要がある?」


 全体を確認してみると、顔面だけではなく、斬首された切断面にも入念に刃物を打ち込み、傷つけられていることが分かった。美貌の象徴であった顔面を傷つけるのは分かるが、言うなればすでに損傷している首の切断面までどうして傷つける必要があるのだろうか? 頭頂部や後頭部など、それ以外の場所はそこまで傷つけられていないので、首の損傷が一際浮いて見える。


「首の切断面……そういえばあの時」


 首が盗まれた件と直接的な関係はないだろうと考えていたが、思えば斬首されて首を失ったお多鶴の遺体を始めて目の当たりにした時から、小さな違和感は覚えていたのだ。そのことが今になって大きな意味を持ち始めている。


「醜い首か」


 絶世の美女にして凶悪な事件を起こした下手人。それ故に、生首が盗まれた時、動機の中心にお多鶴を据えたが、それがそもそも間違いだったのだ。もしも穂村が想像している通りだとすれば、動機は怨恨でも、ましてや恋慕などではない。


 ※※※


「何の用ですか? お話し出来ることは全て話しましたよ」


 確信を深めた穂村は斎木を連れて、再び鈴屋巌枩の屋敷を訪れた。応対したのは今日も、弟子の大亀綱彦だった。


「先程、川から女の首が引き上げられました。酷く損傷していましたが、総合的な特徴から刑場で盗まれたお多鶴の首とみて間違いないでしょう」

「首が見つかったのなら何よりですね。態々ご報告にきてくださったのですか?」

「そんなところです。報告ついでに確認しますが、お多鶴の生首を盗み、川へと遺棄したのはお前じゃないのか?」


 首発見の一報を聞いても動揺しなかった綱彦が目を見開く。穂村の温厚な語り口は一瞬で切れ味鋭い鋭利な刃物へと変わる。綱彦からすれば完全に不意打ちだった。同僚であるはずの斎木までもが思わぬ展開に動揺しているのだから尚更だ。


「穂村警部補。突然何を? 彼には動機が無かったはずでは?」


 穂村からは、改めて綱彦からも意見を聞くつもりだと言われただけで、まさか犯人として狙いを定めてるとは思ってもみなかった。不穏な発言もあり、確かに大亀綱彦は捜査線上に一度浮上したが、お多鶴や被害者との間に接点が見つからず、犯行動機が存在しない。現状、彼よりも疑わしい容疑者はいくらでもいる。穂村は何をきっかけに、再び大亀綱彦に疑念を抱いたのだろう。


「そ、その通りだ。そっちの警察官の言う通りだ。僕には生首を盗む動機がない」


 綱彦は声に震えが伴い、これまでよりも感情的になっている。この方が本音を引き出しやすい。あえて同僚の斎木にも事情を知らせず、綱彦に完全な不意打ちを仕掛けるという穂村の狙いは成功した。


「前提として、外部の人間が刑場に侵入して生首を盗み出すよりも、内部の人間が外に生首を持ち出す方が簡単だ。内部に動機を持つ者がいれば、疑いは一気に濃厚となる」

「だから僕にはその動機が無いと言っている。刑場にいたというだけで疑われたら堪らない」

「確かにお前の身辺を洗っても、怨恨に繋がるような動機は見つからなかっ。だけど俺はずっと、お前の発した『醜い首』という言葉が気になっていてな。川から上がったお多鶴の首を見て、ようやくその意味を理解出来たよ。お多鶴の首は顔面だけではなく、首の切断面までもが執拗に傷つけられていた。もしかして本命は切断面を傷つけることであって、顔面を傷つけたのは本当の動機を悟られないための目くらましだったんじゃないか? 美貌の持ち主が顔面を傷つけられていれば、どうしてもそちらに意識が向くからな」

「どういうことですか、穂村警部補」


 疑問を口にしたのは綱彦ではなく斎木の方だった。綱彦はすでに反論をする余裕さえなく、穂村の視線に搦め取られている。


「思えば最初から違和感はあったんだ。刑場で見たお多鶴の体は、首の切断面が僅かに斜めだった。斬首自体は問題なく成功しているが、どんな罪人の首でも綺麗に一刀両断してきたこれまでの鈴屋巌枩と比べると見劣りする」

「違う! 鈴屋先生は体調が優れなかっただけで、剣技の腕はまだ衰えてなどいない! あの時は偶然――」


 沈黙を破り、綱彦が感情的に声を荒げる。ふと我に返ったが時すでに遅し。動機に繋がる事実を自ら口にしてしまっていた。


「今回の斬首刑はこれまでの鈴屋巌枩の仕事と比べると精細を欠いており、それは斬首された首にも表れる。醜い首が梟示され、公衆の面前に晒されることが、お前は許せなかったんだろう。だからお前は刑場から首を盗み出し、斬首の跡が分からなくなるよう執拗に切断面を傷つけた。それを誤魔化すために顔面も傷つけ、お多鶴による怨恨であるかのように誘導した。そうすれば動機のないお前には疑いの目が向かないと考えたのだろう」

「怨恨でも恋慕でもない、第三の動機が存在していたということですか」

「ああ、それも斬首直後という、あまりにも突発的に発生した動機だ。そういう意味では、罪人がお多鶴でなくとも起こり得た可能性はあるな」


 大勢から恨まれる凶悪犯にして、大勢から恋慕される美貌の持ち主、お多鶴。彼女の魔性が事件の焦点を大きく狂わせたが、そもそも、お多鶴の存在は動機には何ら関与していない。たまたまその時の罪人がお多鶴だったというだけの話なのだ。


「……今回はたまたまだ。次の機会には鈴屋先生はまた見事な斬首を」


 もう逃げられないと観念したのだろう。綱彦は膝から崩れ落ちた。


「次の機会がある保証なんてないぞ」

「な、何てことを! 先生はきっと回復してまた斬首の執行人として再起を」


 鈴屋巌枩は老い先短いと言わんばかりの穂村の言葉に綱彦は憤慨ふんがいしたが、穂村そんな心ない言葉を吐く人間ではない。言葉の真意は別のところにある。


「そういう意味じゃない。六月に梟示の廃止について元老院げんろういん会議が行われ、すでに刑の廃止が決定している。正式は布告はまだだが、そう遠からず梟示、果てには斬首刑の時代は終わり迎えることになるだろう」

「……そんな。だって先生は、僕には何も」


 瞳孔が開き、汗を浮かべたその表情から、綱彦がこのことを知らなかったのは本当のようだった。そんな綱彦の胸ぐらを、穂村は容赦なく掴み上げた。


「知らずとはいえ、お前は最後かもしれない師匠の仕事に泥を塗ったんだよ。いや、そもそもお前は本当の意味で師匠を敬ってなどいない。お前はただ、自分の中の鈴屋巌枩像に固執していただけだ。そうでなければそもそもこのような犯罪は犯さないし、仮にも師匠が跳ねた首を醜い首などと評しはしまい。これは師弟愛などではない。独りよがりの身勝手な犯行だ」

「ち、違う……僕は先生を尊敬して……」


 本質を見抜かれたことで虚勢さえも張れず、綱彦はただそう繰り返すだけであった。


「斎木。署まで連行しろ。俺も直ぐに行く」

「分かりました」


 綱彦の身柄を斎木に預けると、穂村は鈴屋巌枩の屋敷へと入った。


 ※※※


「以上がこの事件の顛末となります。先生としてはお辛い話でしょうが」


 穂村は床に伏せる鈴屋巌枩に、事件の真相を包み隠さず伝えた。体調を崩していた巌枩は布団から上体を起こし、穂村の説明の全てを受け止めていた。弟子の愚かな行為に落胆の色は隠せなかったが、動揺は最小限で、終始冷静だった。


「この度は弟子がご迷惑を。心からお詫び申し上げます」

「先生が謝れることでは。自分は警察官としての職務を果たしたまでのことです」


 穂村は謝罪する鈴屋の顔を上げさせた。師匠である鈴屋に責任を感じるなというのは無理な話だろうが、今回の事件は大亀綱彦の暴走であり、鈴屋を責めるつもりはない。だがそれでも、一つだけ気になっていることはある。


「決して大亀の肩を持つ気はありませんが、私も剣士の端くれ。お多鶴の首の切断面を見て、剣豪鈴屋巌枩らしくないと感じたことは事実です。体調を崩していたとはいえ、あなたの剣があそこまで乱れるでしょうか?」


 鈴屋巌枩の仕事にしては精細を欠いている。これが刑場でお多鶴の死体を見た際の穂村の第一印象だ。年齢を重ねても、病を患っていても、その衰えを経験と技術で補い、完璧な仕事を約束する。剣豪鈴屋巌枩とはそういう男だ。


「……あのお多鶴という女の顔が、亡くなった妻の若い頃によく似ていたのだ。これまで斬首に私情を持ち込んだことなど一度も無かったのに、あの一瞬だけ妻の顔が脳裏を過り、僅かに剣筋を鈍らせた……私が心を乱すことが無ければ、大亀くんとてあのような極端な行動には至らなかったかもしれない……全ては私の責任だ……」


 絞り出すような沈痛な告白に、穂村はただ静かに耳を傾け続けた。斬首自体は問題なく成功していた。鈴屋巌枩の心の乱れは本当に一瞬のことだったのだろう。しかし偶然故人と似ていたとはいえ、お多鶴は剣豪の心を乱し、生首の盗難という新たな事件が起きるきっかけを作ったとも言える。やはり最期の瞬間まで、お多鶴という女は魔性だったのかもしれない。


 翌年、明治十二年一月四日の太政官布告たいせいかんふこく第一号により梟示は廃止。明治十五年一月一日に施行された刑法により、斬首刑は廃止となった。




 了

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