記憶の中のマイカ

Φland

記憶の中のマイカ

 気が付いたら私は、僕が自殺しているのを見ていた。拳銃をこめかみに押し付けて、一思いに引き金を引いた。睨みつけるように私を見ていた目は、一瞬にしてがらんどうになり、今では虚空を見つめている。火薬の匂い。大量の血。

 私が目覚めたのは半年前。コールドスリープで50年間、眠っていたらしい。断定できないのは、そのときの私は一切の記憶を失っていたから。頼りは医者と、唯一の家族だという彼だけだった。私の名前はマイカだと教えてくれた。

 未来の世界は、案外悪くなかった。好きだったものがなくなっていたりして寂しい思いもしたけど、なぜ好きだったか思い出せないからあんまりダメージもない。記憶喪失も悪いことばかりじゃないんだ。私は努めて前向きだった。

 でも、なかなか運動能力は改善しなかった。なんだか自分の体が自分のじゃない気がして、居心地が悪かった。無理もないと医者は言った。50年も眠っていたのだから、長い目で見て少しずつ良くなっていけばいいと。あの時はそれを何よりの励ましと信じていた。

 初対面の夫とも、中々上手くやっていた。ぎこちない会話が多かったけど、昔の私が彼に惚れたのも無理はないとすぐに分かった。彼はすごくハンサムで紳士だったから。彼は私のために仕事をしばらく休み、まだ未来の世界に馴染めない私に付き添ってくれた。

 彼は私が不治の病に侵されており、未来に治療法を求めてコールドスリープを使ったのだと説明した。彼自身も私のためにコールドスリープを使っていた。私の目覚める一年前に彼は目覚めたそうだ。私が未来に居場所をつくれるように。自分の生きた時代を捨てて、私のためにそうしたのだ。私を愛しているから。知らない自分に男が惚れてるって変な気分。

 彼の家に住まわせてもらっているという感覚が次第に薄れ、ここは私の家になった。別々にしてもらっていたベッドを一つにしてもいいと言ったとき、彼のはにかむような笑顔がとってもチャーミングだった。

 それが一通の手紙で一変する。未来の世界に手紙はない。完全にないわけじゃないけど、使うひとなんて存在しない。だからずいぶん古風な人なのだと最初は思った。彼あての手紙だったが、私は気にせず開封した。夫婦の間に隠し事はなし。

 彼の元カノからの手紙だった。やった。面白い秘密ゲット!でも、楽しいのはそこまで。そのあとに私を襲った記憶の大波はとても言葉じゃ表せないくらい巨大だった。波が過ぎ去り、凪いだころにはここ半年の間に抱いた感情が全てなぎ倒されていた。私の記憶は嘘だった。

 冒頭に戻る。僕は自殺した。正確に言うと、マイカが乗り移った僕が自殺した。どんなSFだよと思うけど、それが真実。私と彼女はコールドスリープを使って入れ替わっていたのだ。

「マイカはあなたに執着していたの。ストーカーって言ってしまえばそれまでだけど、ここまでするんだから彼女の執念は本物ね」

 手紙の差出人は静かに語った。安楽椅子に深く腰掛けた白髪の老婆だった。私はその老婆のはす向かいに座って、話を聞いていた。

「コールドスリープは肉体を長期保存できても、精神の方は中々上手くはいかなかったの」老婆は言った。「だから別々に保存するやり方が、中東のある国で試されていたの。危険だからすぐに禁止になったけど。マイカはそこに目を付けたのね。全くの盲点だったわ」

「体と精神を別々?」

 あまりに突飛な話に思わず声が漏れた。老婆は微笑んで続きを聞きなさいと目で諭してきた。その表情は昔のまんまで、私は泣きそうになる。

「そう難しい話じゃないのよ。精神は粘土みたいなものなの。それ自体にはほとんど差異はないと言っていい。粘土を型に込めれば、その形になる。それが人間なの。だから、精神と体を入れ替えるのだってわけないのよ」

「とてもじゃないけど信じられない。私は私だし」

「あなた、『私』なんて昔は言わなかったじゃない」老婆はニヤリと悪戯っぽく笑った。「精神は記憶を保存するメモリにすぎないのよ。肉体はそのフィードバックを受けて、精神があるようにふるまっているに過ぎない。あなたが記憶を失って目覚めたのも、メモリに蓋をされていたからね、きっと」

「じゃあ、私、僕は存在してないも同然ってこと?」

「あなたはここにいるじゃない。わたしの目の前に」

「でも」

「でもも、すもももないのよ。お馬鹿さん。あなたはここにいて、わたしもここにいる。それでいいじゃない。もう一度あなたに会えた。頑張って長生きした甲斐があったわ」

 不意に老婆の声が震える。深く顔に刻まれた皺に、涙が染み出していく。つられて私も泣きそうになる。しばらく二人してしんみり泣いた。

「彼女、マイカはなんで自殺したんだろう」私が言った。

「分からないわ。でも、あなたを完全に支配するのがあの子の目的だった。これは一つの到達点でしょうね」

「マイカにまんまとはめられたってわけ?」

「さぁ、それはあなたの今後の人生が決めることね。もう行きなさい。これ以上ここにいてはだめよ」

 私は私を突き放そうとする彼女にある提案をした。未来には若返りの技術があるかもしれないと。それを聞いた彼女は最後にもう一度あの懐かしい表情でこう言った。

「お断りよ。必死こいて年を重ねたんですもの。誰にも奪わせはしないわ」

 彼女の気高さが嬉しかった。同時にここで別れたらもう二度と会えなくなる気がして悲しかった。私はまた顔を涙で濡らした。

「しっかりしなさい。不本意でしょうけど、あなたは母になるのよ!」

「できちゃった婚みたいに言うな!」

 泣きながら私はおちゃらけた。

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