第6話

 数日後、私はエマと共にジュールさんの店を訪れた。もう一つの指輪をいよいよ今日見ることができる。

 事前連絡はエマに任せていたが、どうやら私も一緒に行くということは秘密にしていたらしい。応接室に入った私を見た途端、ジュールさんは固まり、見る見るうちに首や耳まで赤くなっていった。


「あの人、私に会うってわかってる日はさすがにこんな反応しないけど、不意打ちで会うといっつもこうなのよ。面白いでしょう?」


 くすりと笑いながら言えば、エマは曖昧に微笑むだけで済ませた。

 ジュールさんの向かいに座ると、アクセルが紅茶とケーキを出してくれる。ジュールさんはいまだ固まったまま。……ここまで復活しないのは珍しいかも。

 ジュールさんの様子を見かねて、アクセルがわざとらしく首を傾げた。


「雇い主の代わりに確認させていただきたいのですが、なぜエマ様だけでなく、ベルナデット様もご一緒なのでしょうか?」

「あら、白々しい質問。でもいいわ、その雇い主がおしゃべりできる状態じゃないものね」

「情けない雇い主で申し訳ないです」

「別に気にしないわ」


 ……情けない、というのなら、私だって十分そうだった。

 アクセルに訊かれたことだし、さっそく本題に入っていいだろう。ジュールさんに向き直って、「さて、ジュールさん」と名前を呼ぶ。


「あなたに渡したいものがあるのだけど、受け取ってくれるかしら」

「…………わ、渡したい、もの?」

「ええ。といっても、贈る私自身、実物をまだ見られていないのよね。その辺り、そろそろ説明してくれるのかしら?」


 エマに視線を向ける。

 彼女はこくりとうなずき、テーブルへ二つのケースを置いた。そしてコニャックダイヤモンドの指輪のほうを開けて、ジュールさんへと差し出した。


「こちらは、ベルナデット様よりご注文いただいた婚約指輪です」

「……こ?」


 またかちんと固まってしまった。エマが不安そうな顔で口を閉ざす。

 意外とこの状態でも話は聞こえているものなのだ。続けていいわよ、とエマに目で訴えれば、彼女はおずおずと繰り返した。


「婚約指輪です。ペアリングの片方で、こちらはサニエ卿の瞳の色に合わせ、ベルナデット様用にお仕立ていたしました」

「ペアリング」

「はい。見ておわかりかとは存じますが、サニエ卿のことを想ったベルナデット様の魔力が込められております」


 ジュールさんは、信じられない、という表情でコニャックダイヤモンドを凝視した。

 ……そんなに見つめられると、少し居心地が悪い。照れる、とまではいかないけれど、だってそれは、私の気持ちの証明なのだから。


「さらにこちらは、ベルナデット様にご注文いただいた婚約指輪のもう一つ、兼――サニエ卿にご注文いただいた指輪です」


 …………兼?

 何を言われたのかすぐには理解できず、思わず目を瞬いて、いまだ開けられていないケースを見る。これがもう一つの指輪。……それで、ジュールさんが注文した指輪でもある?

 ジュールさんがエマに指輪を注文した、というのも初耳だった。そしてその指輪が、どうして私の注文した指輪と同じものなのか。


 ――道理で、珍しく踏み込んだ提案をしてくると思った。

 エマ、陰で何か画策していたのね。私を……私たちを、喜ばせるために。


「……サニエ卿、私の声が聞こえますか?」


 何も反応を示さないジュールさんに、エマがそっと声をかける。それを合図にしたかのように、アクセルが思いきりジュールさんの背中を叩いた。ついにこんなことまで……。いえ、もしかしたら普段のやりとりなのかもしれない。

 ジュールさんはそれで正気に返ったのか、アクセルを睨みつけてからエマへと向き直った。


「ああ、聞こえる」

「ベルナデット様もよろしいですか?」

「ええ、もちろんよ」

「では続けさせていただきますね。……こちらの指輪は、サニエ卿秘蔵の魔宝石をいただいて作成いたしました。ベルナデット様はケースを、サニエ卿はベルナデット様をどうかご覧ください」


 ジュールさん秘蔵の、魔宝石。……そんなものがあるのなら、とっくに私に見せていそうなものだけど。

 怪訝に思いながらも、言われたとおりにエマの手元を見る。エマはゆっくりと、ケースを開けた。


 ――中に入っていたのは、グリーンダイヤモンドの指輪。

 見慣れた色だった。驚くほどに見慣れた……私の瞳の色にそっくりな、鮮やかな翠。グリーンダイヤモンドを見る機会がそもそも少ないけれど、それでも今まで見た中で一番美しい色だった。

 そこからあふれ出る魔力は、この世のすべてに祝福を受けたかのような、まばゆい輝きを放っていた。

 ほうっとため息が漏れる。


「まるで鏡を見ているみたい。本当に私の瞳の色にそっくり……」


 とはいっても、そっくりなのは色だけで、美しさは比べようにもならない。魔宝石の美しさに人が敵うことなどありえないのだから。


「こんなに鮮やかな色と魔力を持つグリーンダイヤモンド、初めて見たわ。これがジュールさんの『秘蔵の魔宝石』?」

「はい。ベルナデット様には一生隠すおつもりだったようですが、そこをなんとかアクセルさんと私で説き伏せ、こうして指輪としてお見せすることができました」

「あなたたちがいなければ、こんなに素晴らしいグリーンダイヤモンドを見られなかった可能性があるの……? なんて恐ろしいのかしら」


 思わず体を震わせてしまう。

 これほど最高に美しい魔宝石、見られずに死んだら後悔してもしきれない。そもそも存在を知らなければ後悔のしようもないけれど……。

 ぞっとしていると、エマが何やら必死な様子で私を見てきた。何かを伝えたいようだ。

 少し考えて、気づく。


「……ああ」


 どうして、なんて、気にも留めていなかったけれど。


「私のことが好きだから手に入れて、私のことが好きだから隠そうとしていた石ってことね」

「ぐッ……」


 ジュールさんが小さく声を漏らす。いつの間にか、彼は顔を両手で覆っていた。


 私に恋していることを、ジュールさんは隠したがっている。それはあのでたらめな理由からもわかることだ。

 きっとそれは私が最初に、お飾りの婚約者だということを『好都合』と言ったからだ。恋愛にまったく興味がない、と言ったからだ。

 私が面倒に思わないために、私の都合がいいように、ジュールさんはできる限り恋心を隠してきた。


 だけどこのグリーンダイヤモンドを見たところで、どうせ私は気づけなかっただろう。そもそも彼の恋心は、お節介な秘書からすでに教わっている。

 はっきり言ってしまえば、隠そうとしたジュールさんの努力は無駄極まりなく――それでも。私のために、私を想って隠そうとしていたのだと思うと、なんだか嬉しい。


「ジュールさん、安心して」


 演技でなくてもこれほど甘い声が出せることに、自分でも驚く。


「――私、あなたのことが結構好きみたいなの」

「ひ、」

「その指輪を見ればわかるでしょう?」

「わ……わかり、ます、が」

「だから私、あなたに好かれているって思うと気分がいいのよ。この魔宝石を隠したままにしないで、見せてくれてありがとう」


 本心を聞かせてもらったとき、お礼は受け取ってもらえなかった。だから今回は、断ろうと思われないように笑顔で言い切る。

 ジュールさんはソファーに座ったまま、なぜかふらりと倒れかけた。すかさずアクセルが支える。アクセルからいつもみたいな視線を向けられたので、たぶんこれも……私のことが好きすぎて? みたいな感じなのかしら。


 せっかくなので、ジュールさんにお願いしてグリーンダイヤモンドに彼の魔力を込めてもらうことにした。

 当然のように輝きが増すのを見て、ふふっと笑みがこぼれる。


 ――ジュールさんは、私のことが好き。

 私も、ジュールさんのことが好き。


 頭ではまだ理解しきれていないけれど、目の前にあるこれが証明だ。そう思うとふわふわと胸が躍って、温かい気持ちでいっぱいになる。

 なんだかとても、とても幸福だと感じて、私はジュールさんにキスを贈りたくなった。たぶん倒れるどころでは済まなそうなので、そんな衝動は私の胸にだけ秘めておく。だってただでさえ、今も呼吸すら危うく見えるんだもの。

 だから代わりに、私はこのサプライズの仕掛け人を見た。


「あなたに頼んでよかった。ありがとう、エマ」


 ……後でまた、ジュールさんにもお礼を言おう。この幸せな気持ちは、何度だって伝えなければもったいないわ。

 そんなことを考えてジュールさんのほうに視線を戻せば――目が、合った。まっすぐと。間違いなく。

 ぽかんとしている間に、すぐさま勢いよく逸らされてしまった。


 ……これからは、視線を合わせたまま話せることも増えるのかしら。

 今日は結局笑顔は見られなかったけど、見られるようになったり?


 うきうきと、心が弾む。まるで魔宝石を見ているときのようで――でもそれとは、少しだけ違う。

 その違いをはっきりと理解できるのは、きっとまだまだ先。


 ……少しずつ確かめていけるのだと思うと、今から楽しみだった。


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変わり者の伯爵令嬢は、魔宝石を愛している 藤崎珠里 @shuri_sakihata

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