第5話

 ジュールさんを喜ばせる。


 そのために何をするか数日考えて――婚約指輪を私からも贈ることにした。それもせっかくならペアリングを。

 婚約指輪は男性から女性に贈るものだけど、女性から贈っていけない決まりも、お揃いでつけてはいけない決まりもない。

 結婚できるのがまだまだ先ということは、結婚指輪を持てるのもまだまだ先。その前にペアリングを持っていたっていいだろう。婚約者なのだから。


 思いついてすぐ、贔屓にしている宝石店にオーダーメイドで注文をした。

 私の指輪は、コニャックダイヤモンドという茶色いダイヤの魔宝石で作ってもらうことにした。ちょうどコレクションの中に、ジュールさんの瞳の色そっくりのものがあったから。

 ジュールさんのほうの指輪は、上質な石であればなんでもいいと依頼した。それ以外の指定はしていないから、出来上がりが楽しみだ。



 そうして待つこと数週間。

 注文の品が準備できたと連絡を受け、私は宝石店アステリズムを訪れた。


「お待ちしておりました、ベルナデット様。こちらへどうぞ」


 応接室に案内をしてくれたのは、店長のエマ。この国では見かけない顔立ちの、純朴な女性だ。愛称呼びの許可を断ってきた一人目こそ、彼女である。

 エマとはもう数年の付き合いになる。

 アステリズムは、彼女の両親が営む宝石店の二号店にあたる。エマは一号店でも働いていて、そのときからの付き合いだった。店頭に常時出るようになったのは二年前からだけど、私相手にはその前から接客してくれていたのだ。そして今年、彼女は自分の店を持った。


 エマは、私に負けず劣らず魔宝石を愛している。自然と話が合って、彼女の接客を受けるのは楽しかった。彼女自身もいつも楽しんでいるように見える。

 店員と客という関係性ではあるけれど、きっとエマのような存在を友人と言うのだろう。


 応接室のソファーに座ると、他の従業員がすぐさま紅茶を給仕する。

 そしてさっそく、エマはテーブルにリングケースを置いた。中が見える状態で――一つだけ。置かれた指輪は、コニャックダイヤモンドの指輪だった。


「もう一つの指輪には、何かサプライズがある……というところかしら?」


 半ば確信を持って微笑むと、エマはこくりとうなずいた。


「ええ、どうかもう一つの指輪は、サニエ卿の前でご覧になっていただければと思います」


 ふぅん……どんなサプライズかは想像もつかないけれど、面白いことを考えるものだ。

 つい口元が緩んでしまう。こういう試みは好きだ。どの道エマが用意するのなら、素晴らしい品に決まっている。


「期待しておいてあげるわ。デザイン画は見ているけれど、魔宝石の美しさの神髄は実物を見なければわからないものね」

「ぜひご期待くださいませ。素晴らしい石をご用意いたしました」


 エマはにっこりと笑い、自信満々に胸を張った。でしょうね、とうなずきを返す。

 デザイン画を見たときにグリーンダイヤモンドを使うことも説明をされたけれど、さて、どんなものが出来上がっているのかしら。


 そういうことなら、ここにない魔宝石よりも今ここにある魔宝石だ。ケースを手に取って、そこに収まる指輪をうっとりと見つめる。

 使っているルースは私のコレクションだったものだから、当然美しい。他の宝石を使わないシンプルなデザインだった。

 私の好みとしては、わざわざジュエリーにするのであればもう少し華美なほうが好きだ。けれど今回に限っては、見れば見るほどこのデザインしかない、という気になってくる。


「このデザイン、私の好みとはずれていると思っていたけれど……こうして見ると、なんだかあの人のイメージにぴったり。婚約指輪としては大正解のデザインね。エマに任せてよかったわ」

「恐縮です。ですがこちら、まだ仕上げが残っておりまして……」


 ……仕上げ。

 この指輪はすでに完成している。そのうえでさらに何かできること、となると、嫌な予感しかしなかった。

 リングケースを静かにテーブルに置く。


「……もしもそれが、私の魔力を込める、という話だったらお断りしたいのだけど?」


 ――魔宝石には、魔力を込めることができる。

 そしてその際、『強く深い感情』を込めれば魔宝石の輝きはより増す、らしい。愛情とか、友情とか、そういったもの。

 私は今まで、魔宝石に魔力を込めたことはない。魔宝石本来の輝きをそのまま愛しているから、というのも理由の一つ。

 他の理由としては、


 強く深い感情というのは、物に対しての感情ではだめだと言う。人、あるいは他の生き物への感情。

 ……そんなの、魔宝石以外愛せない私には、絶対に無理だ。


「残念ながらそのお話でございます。説明に少々お時間をいただけますか?」


 心底嫌でたまらないが、詳しい話も聞かずに突っぱねるわけにもいかない。

 しぶしぶと了承すれば、エマはどこか慎重な様子で説明を始めた。


「サニエ卿は常日頃から魔宝石にふれてらっしゃいます。誰かが魔力を込めたとして、その事実は一目でおわかりになるでしょう。魔力がどなたのものか、についても」

「……私の魔力を込めれば、さらに喜ばせることができると言いたいのね。確かに婚約指輪にふさわしいし、私の目的としては最適な方法、ではあるけれど」


 お母様も、お父様の魔力が込められた指輪を持っている。

 恋人、婚約者、夫婦。そんな関係性であれば、プレゼントにぴったりだ。どういう理屈か、その想いが強くも深くもない場合、あるいはたとえば、別人を想った感情で偽装しようと魔力を込めた場合には、魔宝石の中に魔力は留まらない。だから愛情を証明する手段としても有効なのだ。

 けれどそれは、証明できるものがあれば、の話。


「……魔力を込めて、魔宝石がより美しくなるのは。その魔力に宿る感情が本当に深く、純粋な場合だけでしょう?」

「おっしゃるとおりです」

「だとしたら……」


 あまり、言いたいことではない。

 理由は言いたくないわ、とにかく嫌なの。とでも言えば、エマは深く尋ねてこないだろう。もともと、彼女の境界線ははっきりしている。今まで店員としての領分を超えてきたことはない。こんな提案をしてくること自体、初めてのことだった。

 ……そう、初めて。

 エマが、


 それなら、理由も言わずにこの提案を退けるわけにはいかない。


「――私があの人を想って魔力を込めたところで何も変わらないわ。私、魔宝石しか愛せないもの。……家族のことだって愛しているつもりだけれど、それでも、魔宝石が美しくなるほどじゃないと思うわ」


 魔宝石にしか興味がないと公言してはいるけれど、まさかここまでとは思われていないだろう。

 エマの顔を見られなくて、ついうつむいてしまう。


「私はね、あなたのことも好きなつもりよ。でも、魔宝石のほうがもっと好き。この世のすべてのものの中で、魔宝石が一番好きなの」


 私の人を想う気持ちは、まったく強くも深くもない。

 ――それを思い知るのが、怖かった。だから一度も、魔力を込めようとは思わなかった。


「あの人のことは、なんとも思っていないの。まあ少し、面白い人だとは思うけれど……その程度。絶対に、魔宝石は何も変わらない。試してみなくてもわかるんだから、試したくなんてないわ」


 家族への想いを確かめる気にもなれないのだから、ジュールさん相手であればなおさらだった。

 出会ってからたった三、四か月。いつまで経っても態度がおかしな、面白いひと。笑顔だって見たことがなくて、でも私に恋をしているらしくて、私が私らしく過ごすことが幸福なのだと言うようなひと。


 ……私は彼のことを、なんとも思っていない。


「――だから試したくない、と思うこと自体、彼に対するなんらかの想いが存在することの証ではないでしょうか?」


 顔を上げる。エマは真剣な表情でこちらを見つめていた。


(……証? これが?)


 ありえない、と思って、けれどすぐにその思いを捨て去る。確かに……確かに、一理ある、かもしれない。

 そっと続きを促すと、エマは淀みなく言葉を紡いでいく。


「ここで試して失敗したところで、サニエ卿がそれを知ることはありません。そしてサニエ卿であれば、ベルナデット様が魔宝石本来の輝きを愛していることをご存知でしょうし、魔宝石に魔力が込められていないことを残念に思うこともないでしょう」

「……そうね」

「ですから、ベルナデット様がサニエ卿のことを本当になんとも思っていないのなら――やはりだめだった、で終わる話です。がっかりすることも、悲しむこともありません。ベルナデット様に不利益なことは一つもないはずです。それでも試したくないのなら、それは、今確かにある気持ちを否定されたくない、ということなのではないでしょうか」


 ――本当に?


 唇に指を当て、考える。

 エマの話はもっともだった。試したところで私に不利益は何もない。だというのに、私は……ためらうどころか、はっきりと。試したくないと思っている。

 今確かに、私の中に、気持ちがあるから? それを否定されたくないから?


 ……あの人のことを好きという気持ちが、少しでもあるから?


 ――そもそも。

 私の目的は、ジュールさんを喜ばせることだ。そのために試せることがあって、どうしてやろうとしないの? それこそ私らしくない。

 この目的の前に、私の……臆病、な気持ちなんて、何の関係もない。


「……うん、いいでしょう。これって、ただ魔力を出せば石に入っていくの?」

「……いいのですか?」


 エマが呆けたように訊いてくる。あまりにも私の返答があっさりとしていたからだろう。

 少々ばつが悪くて、私は彼女から視線を逸らした。


「喜んでもらいたいのは本当なんだもの。そのためにできることを試しもしないのは、ただの怠慢でしょう?」


 ここで試せなければ、ジュールさんと向き合う資格はない。魔宝石を愛する資格だって。……私がやろうとしたことって、要するに魔宝石への愛を言い訳にした逃げだもの。

 やると決めても、やっぱり怖いものは怖い。ちらりとエマを見て、情けないお願いごとを口にする。


「失敗したって何も思わないはずだけど……もし、もしも私が落ち込んだら、あなたが慰めてちょうだいね。具体的には、とっておきの魔宝石を見せなさい。私に見せていない珍しい魔宝石の一つや二つや百個、あなたなら持っているんじゃないかしら?」

「ひゃ、っこは……さすがにありませんが」


 私の無茶な要求に、エマの声が裏返る。

 けれど彼女は、仕方のない子どもを見るような、慈愛に満ちた顔で微笑んだ。


「一つや二つなら、確実に喜んでいただけるものをお見せできます」

「……じゃあ、約束ね。絶対よ。慰めてね」

「はい、必ず」


 エマの店で注文してよかった、と思う。指輪の上質さはもとより、彼女が相手でなければ、こんなに情けないところは見せられなかった。

 こっそりと深呼吸で緊張を紛らわせてから、指輪に視線を落とす。


「でもこれって、私の指輪よね? せっかく魔力を込めるなら、あの人の指輪に込めたほうがいいんじゃないかしら」

「それが一般的ではありますが、今回はそうできない事情があるというのと……自分の瞳の石に、自分を想って魔力を込められ、あまつさえ身につけられるというのも、確かに幸福なことだと思うのです」


 幸福。


「……ええ、そうね。きっと。幸せなことだわ」


 私にはあの人の幸福も、恋にまつわる幸福もわからないけれど。きっと、そうなのだろう。

 どうしてか、なんとなく想像できた。


 魔力の込め方を教わって、指輪を手に取る。もしもだめだったときのことを考えると、目を開けていられなかった。瞼を閉じていたほうが集中もできるのだから、どちらにしても都合がいい。

 そっとそっと、指輪に魔力を込めていく。ジュールさんのことを想いながら。喜んでほしいと、笑ってほしいと思いながら。

 ……そろそろいいころなんじゃないかしら。エマが何も言わないということは、失敗しているということ?


「や、やっぱり失敗してる?」


 ぎゅっと、ますます強く目をつぶってしまう。


「成功しています」


 微かな笑いが空気を揺らした。優しい声は、嘘をついているようには聞こえない。そもそも目を開ければすぐわかることに嘘をつく必要もないのに、すぐには信じられなかった。


「……ほんとう?」

「ええ、大成功です。ご自身でご覧になってください。……美しいですよ」


 息を吐く。

 今まで、これほど恐怖を感じたことはあっただろうか。恐怖とは、私から一番遠い感情のようにも思っていたのに。

 目を、ゆっくりと開く。



 ――ぱちん、ぱちんと、鮮やかな魔力の輝きが弾け、ダイヤモンドの輝きをいっそう引き立てていた。きらきらと光るそれは、夢の中にいるような心地を味わわせてくれる。

 変化は、小さい。けれど確かに……魔力を込める前よりも、美しくなっていた。


 その輝きは、私が人を愛せることの証明だった。



「……私、あの人のこと結構好きだったのね」


 そう。……そうなのね。なんとも思っていないなんてこと、なかったんだわ。

 嬉しくて、目の前のダイヤモンドがますます愛おしく見えた。


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