第4話
そこでジュールさんが戻ってきた。
アクセルとシュリアを窺うと首を横に振られたので、今の話は彼にしてはいけない、ということなんだろう。
「お一人にしてしまって申し訳ございません……」
「急な来客は仕方がないわ。それより、ジュールさん……ええっと。そうね。話をしましょう」
「? はい、喜んで」
ジュールさんは向かい側の席に戻った。アクセルがお茶を給仕する。
……回りくどいのは好きじゃないのよね。
「ジュールさん、何か私にしてほしいことはあるかしら?」
「えっ!? い、いいえ、初めに申し上げたとおり、当店の魔宝石を常日頃から身につけていただくこと以外、求めることはありません」
「そういう感じのことではなくて……。そう、そうね、私が何をしたら、あなたは嬉しい? お店のためではなくて、あなたのために。ジュールさん自身が、私にしてほしいことはない?」
本人に直接聞くのが一番手っ取り早い。
そう思ったのだけど、ジュールさんはしばらく硬直した後、静かに首を振った。
「……私があなたに何かを望むなど、恐れ多いことです」
「あなたと私の間に遠慮は不要よ。たとえば不可能だと思うようなことでも、何でもいいの。実際に叶えられるかは別にして、ジュールさんは私に、何を望んでもいいわ。婚約者だもの。あなたが思っていることを聞かせて」
「い、いえ……だと、しても……」
「だめ?」
これでだめだと言われたら、仕方がないから諦めるつもりだった。
けれどジュールさんは、うっと言葉に詰まって、視線を泳がせる。そして苦渋の顔で、声を振り絞った。
「……わ、私に、だけ」
すごくすごく小さな声だったので、身を乗り出して耳を澄ます。
「――私にだけ、笑ってほし……いえやはり何でもありません行き過ぎた願いでした、聞かなかったことにしていただけませんか!?」
ジュールさんは顔を手で覆った。表情は窺い知れないが、耳まで真っ赤だ。
聞かなかったこと。……にする前に、まずは言われたことを呑み込ませてほしかった。
つい目を瞬かせながら、首をひねる。
「私に、あなたにだけ笑ってほしいの? 他の人には笑ってほしくないの?」
「いえ、あの、ちが……ちがいます、口が滑っただけで」
「口が滑ったということは、本心よね?」
「いえ!!」
「本心、よね?」
重ねて問えば、ジュールさんはうなだれて、「そうです」と掻き消えそうな声で肯定した。
「ですがこれはあなたのことが、す、好きだからというわけではなく、そのほうが、その、ええっと……せ、宣伝効果が増すはずですので! 決して好きではありませんので、どうかお気を悪くなさらず、ご安心いただければと……!!」
「……宣伝のために、あなたにだけ笑ってほしい、と」
「ぐっ……そう、です……」
理由はそれほど気にしていなかったのだけど、ジュールさんにとっては大きな問題らしい。さすがにその理由がでたらめだということはわかったけれど、表面上は納得してみせた。
納得してみせた、けれど。
「それは……」
呆然と閉口してしまう。
アクセルが憐みのこもった目でジュールさんを見ている。きっと私の後ろのシュリアもそうだろう。
……ジュールさんの願いを聞き出したのは私だ。私は責任を持って、彼に結論を告げる必要がある。
「それは、無理ね」
「はい」
端的に答えれば、ジュールさんは身を縮めた。
これからの生涯、彼にだけ笑顔を見せるなどできるはずもない。笑顔なんて、基本的に自然に出てしまうものなのだから。
常に表情をコントロールすることもできなくはないが、確実に両親に心配をかける。それに社交でも多々問題が起きるであろうことは目に見えていた。
「びっくりしたわ……。不可能だと思うことでも、と言ったのは私だけれど、本当に不可能なことを言うなんて」
「申し訳ありません……」
「謝る必要はないわ。私が聞きたいと言ったことに、あなたは素直に答えてくれただけ。本心を聞かせてくれてありがとう、とお礼を言うべきかしら」
「いえ、結構です……!」
――自分にだけ笑ってほしい。
宣伝のためだと彼は言ったけれど、果たしてそんなことが宣伝に繋がるだろうか。……つながらないだろう。理屈が通らない。
だからおそらく、この理解できない願いは、私に理解できない『恋』由来のもの。
お父様やお母様も、もしかしたらお互いに対してそういう感情があるのかしら。誰かの笑顔を独り占めしたいだなんて、私には思いもよらなかった考えだ。
そういうものが、恋。
(……なんて摩訶不思議な)
感心しながらも、落としどころを探す。無理だと答えて終わりでは、問い詰めた責任があまりにも果たせていない。
「……ジュールさん、あなたの願いは叶えられそうにもないけれど、代わりにこうするのはどうかしら」
「は、はい……?」
「まず、顔を上げて。手を顔から離して。あなたの顔を見ながら話したいことよ」
ぐぅ、と苦痛の声を出しながら、ジュールさんはおずおずと顔を上げて手を離した。……目がつぶられている。これくらいは許容しないとかわいそう、かしら。
とりあえずいったん待ってみると、彼は観念したように目を開けた。数瞬視線をさまよわせてから、私の顔を見てくれる。いつものように目が完全に合うことはないけれど、十分だ。
「あなたに対して笑うときには、あなたのことを魔宝石よりも愛している、と思い込むようにしてみるわ」
「あ、あい?」
「私にとって、魔宝石よりも大切なものはないの。……きっと、家族でさえも。私の中での一番は、昔からずっと魔宝石よ」
家族のことでさえ、きちんと愛せている自信がない。愛しているつもりなだけで、私の感情は愛とは程遠いのかもしれない。
だって、魔宝石のほうが好きなのだ。この世の何よりも、魔宝石を愛している。
人と物を同じ天秤に乗せて比べることは本来できないけど、それでも、魔宝石のほうが好きだと確信してしまうほどに。
私に、人を愛することなんてできない。
それでも、思い込むだけなら……思い込もうとするだけなら、できるかもしれないから。それが私に差し出せる精いっぱいだった。
「思い込めるかどうかは、私自身もわからないわ。だけど、私がそういう努力をしている、とあなたがわかっていることが重要だと思うの。どうかしら、この提案」
今のところ、ジュールさんのことはなんとも思っていない。少し面白いとは思うが、それだけだ。……というところまでは、さすがに本人の前で口にしないほうがいいとわきまえている。
家族ならまだしも、そんな相手のことを果たして『愛している』と思い込めるのか。
……おそらく、ほぼ確実に無理だろう。
そうわかってはいても、これ以上の提案は私には思いつけなかった。
ジュールさんはまたしばらく硬直していたが、勢いよくぶんぶんと首を振った。
「み、身が持ちません! 絶対にやめてください……!」
「……嫌なの?」
「嫌なわけがなっ、いえ、これ以上の醜態をさらすことになるのは嫌なのですが、そういうことではなく……!」
ジュールさんは小さく深呼吸をしてから、珍しく毅然とした態度で続けた。
「私たちの婚約の間に、愛は必要ありません。これ以上あなたに求めることは何もないので、存分にあなたらしく過ごされてください」
「……私らしく」
「はい、あなたらしく。……それが私の幸福なのです」
そんなことを無表情で言われたって、信じられるはずがなかった。
あなたは私のことが好きなはずでしょう。
どうして愛が必要ないなんて言えるの。なぜ私に何も求めないの。
……たとえ、愛せなくても。あなたを喜ばせてみたいと思うのは、『私らしく』ないことなのかしら。
――なんだか少し、腹が立ってきた。
私らしさなんてものを他者に決められるいわれはない。
私がやることはすべて私らしいに決まっている。
「……そう」
こくりとうなずいて、ジュールさんの目をまっすぐに見つめる。視線は、いまだ合わない。
「それなら、
何が何でも、喜ばせてみせる。
そんな私の内心も知らず、ジュールさんは「それは何よりです」と呑気に言った。
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