第3話

 ジュールさんとは週に一度、一緒に食事や外出をするようになった。

 顔色が変わったり固まったりすることは減ってきたけれど、たまに不意打ちで、約束をしていない日にも会いに行くと非常に動揺される。早く慣れてほしい気持ちと、このままでも面白いな、という気持ちが拮抗していた。


 今日も食事の約束をしていたので、私はジュールさんの家を訪れた。店舗の近くにある住居用の屋敷だ。

 テーブルの向かいに座って食事をしつつ、ジュールさんがそっと私に話しかけてくる。


「レディ・ベルナデット」

「そろそろベルと呼んでくれてもいいのだけど」

「レ、レディ・ベルナデット……」


 しょんぼりと眉を下げつつ、ジュールさんはなおも同じ呼び方をした。出会ってからもうすぐ三か月が経つというのに。

 私がそのまま続きを促せば、ジュールさんはほっとしたように口を開いた。


「婚約パーティーのようなものは、開かないのですか」

「……私たちの婚約は、もう社交界中が知っているわ。今更わざわざ開く意義があるかしら?」


 婚約した当初、両親からも同じことは訊かれたが、私が嫌がれば無理は言われなかった。

 婚約パーティーをしなければ家の面目が潰れる、なんてことがあるのなら喜んで開く。けれど誰もが婚約パーティーをするわけでもないし、我が伯爵家にそんな些細なことで潰れるような面目はない。


(……単純に、面倒なのよね)


 そもそも社交があまり好きではない。

 招かれて参加するのならともかく、自分の家で開催する気にはなれなかった。他のパーティーにはジュールさんと連れ立って参加しているし、婚約のアピールとしては十分だろう。


 ……ああでも。

 気づいたことがあって、そのまま言葉を重ねる。


「もしもジュールさんが、どなたか繋がりを持ちたい方がいるなら開くわ。私の婚約パーティーだったら、きっとどなたも喜んで参加してくださるでしょうし」

「いえ、そういったことは求めていません。もしもパーティーを開くのであれば、もっと……その、早急に態度を改善するための行動を起こさなければならないと思ったのです」


 それだと一貫性がないような気がして、こっそりと小さく首を傾げる。

 この婚約におけるジュールさんにとってのメリットは、店の宣伝ができることだ。実際に宣伝効果があるのかどうかは別として、婚約してからというもの、常日頃から彼の店の宝石を必ず身につけるようにしている。

 婚約指輪に加工したトルマリンも普段から身につけたいところだったが、彼はなぜか私がその指輪をはめていると固まってしまう。残念だが、パーティーのたびに身につける、というわけにはいかなかった。


 ともかく、商売のことを考えるなら、社交界でのパイプ作りは重要だ。失礼ながら、歴史の浅い男爵家では、貴族との付き合いにも限度がある。それこそ私を利用すべきことでしょうに……。

 ――私との婚約には、他の目的がある?


「あなたが乗り気でないのでしたら、婚約パーティーについてはかしこまりました。では、結婚式は? そろそろ日取りも考えたほうがいいのではないでしょうか」


 思考を遮られる。結婚式のことを気にかけるジュールさんは真面目な顔をしていた。

 結婚式の準備は膨大だ。するのなら当然、早めに行動したほうがいい……のだけど。


「結婚したら、一緒に暮らすようになるのよ? ジュールさんに耐えられる?」

「………………はい」

「嘘ね」


 ふっと笑ってしまう。

 結婚は、焦るようなことでもないと思っている。この歳ともなれば婚約からそう経たずに結婚する貴族もいるが、私たちの場合、お互いの目的は婚約した時点で一定以上果たしているのだ。

 すぐにでも結婚しなければならないような切迫した事情もないのだから、少なくとも一、二年はこのままで問題ないだろう。


 ……というより、早く結婚したほうが問題があるのよね。交流を始めて三か月目でこれとなると、すぐに結婚したところで夫婦生活に支障が出るだろう。

 本当に何もしないお飾りの関係でもいいけれど……それでも食事くらいは一緒に取りたい。ずっとこんな調子では、ジュールさんの精神的負担が重すぎる。


 ――そもそも。


「……ねえジュールさん」

「は、はい。何でしょうか」

「あなた、笑える?」


 今日に至るまで、私は彼の笑顔を見たことがなかった。動揺して様子がおかしくなることはあれど、基本的にはずっと不愛想。表情は動かず、声音も淡々としている。

 元から笑えない人間であれば仕方ない、けど。

「ええっと……」と戸惑いながら作り笑いを浮かべるジュールさん。その後ろに控えているアクセルに視線を送れば、諦念を滲ませた表情で首を横に振られた。これは、どういう意味の諦めかしら。


 たとえ心の伴わない結婚だとしても、一緒にいて笑顔も見せられない相手はだめだろう。

 つまりジュールさんにとって、私はまだ結婚相手にふさわしいとは言えないのだ。それをどうにかできるまで、こちらから結婚に進める気はなかった。


「ジュールさんって、作り笑顔が下手くそね」

「い、至らず申し訳ございません」

「謝るようなことじゃないのよ、もう……。私といるの、少しも楽しくないかしら?」

「いえっ、滅相もありません!」


 それが本当なのだとしたら、もっと楽しそうな顔をしてほしいものだわ。

 小さくため息をついたところで、にわかに部屋の外が慌ただしくなる。そう経たずやってきた使用人によると、どうやら急な来客らしい。ジュールさんは謝りつつもその対応に向かったので、一人残された部屋で、食後の紅茶を楽しむことになった。


 ……一人、と言ってもアクセルは残っているし、私の後ろにもシュリアが控えている。アクセルは屋敷の使用人ではなく、宝石商としての秘書。こういうときに出番はないのだ。

 本来なら私との食事のときにもいなくていいのだけど……おそらくジュールさんは、相棒的存在が傍にいると安心できるのだろう。

 ちらっとアクセルを見やれば、彼は心得たように口を開いた。


「ベルナデット様。いい加減に暴露させていただきますが……」


 雑な前置きに、とりあえず神妙な顔でうなずく。この人、雇い主に対して本当に雑なのよね。これはこれでいい関係性なのだろうけど。

 そしてアクセルは、ためらうことなく続けた。


「あの方は、ベルナデット様に恋をされているのです」

「――恋?」


 思いもしなかった言葉に、目を丸くする。

 恋。……恋? 私のことが好きということ? お父様とお母様の間にあるような感情?


 それを、ジュールさんが、私に……?


「……一度も笑ったことすらないのに?」

「あの方の不愛想は普段からのものですが、ベルナデット様の前では本当に、本当に駄目人間になってしまいまして……。表情を動かしている余裕などないのです。あなたが婚約指輪をつけてらっしゃると固まるのも、嬉しすぎて思考が止まるからなんです。本当に」


 なかなかに辛辣なことと、衝撃的事実を口にするアクセル。

 ……あれが、『嬉しすぎて』。なるほど。……なるほど?

 いえ、まったく納得できないわ。


「私、恋をしたことはないけれど、されたことはあるの。だからわかるのだけど……ジュールさんのいつものおかしな様子が恋によるものだとしたら、明らかに異常よ」

「異常なんです」


 アクセルは深く深くうなずいた。

 お嬢様、と後ろからシュリアも声をかけてくる。


「僭越ながら申し上げますと、サニエ卿はわたくしの目から見ても、お嬢様に恋をされています。あれほど……その、恋をした相手の前でおかしな振る舞いをされる方というのは、今まで見たこともございませんが。だとしてもあのお振る舞いは、お嬢様に恋をされている以外、考えられません」


 非常に自信に満ちあふれた断言だった。二人からここまで言われてしまえば、恋の何たるかを知らない私に否定できるはずもない。認めるしかないのだろう。

 恋。恋を、している?

 ジュールさんが、私に……?


(あれが、恋?)


 今までのジュールさんの姿が頭の中に次々浮かんでは消える。おかしな様子ばかりが記憶に残っていた。

 いくら私が美しいからといって、緊張であんなことになるなんて、と思っていたけれど……恋心によるものだったのだとしたら。


「……面白いわね」


 まったく理解の範疇になくて、興味深かった。

 つぶやいた私に、アクセルとシュリアはなぜか顔を見合わせ、苦笑いを交わした。この二人、なんだかちょっと仲いいのよね。


 ジュールさんの態度の理由が何であれ、あの人が私に対して笑わないという事実に変わりはない。

 不愛想なのは元々なのだとしても、さすがに恋をしている相手の前でもというのは……どうなのかしら。表情を動かす余裕がないといったって、もうそろそろ三か月の付き合いになるというのに。

 笑わせられない自分がほんの少し不甲斐なくなる。

 満面の笑みは期待できないだろうけれど、せめて少しでも嬉しそうな顔が見られたら――


「……ねぇ。あの方が喜びそうなことって何かしら」


 アクセルとシュリアはまたも顔を見合わせて、「「ベルナデット様/お嬢様が存在しているだけでお喜びになります」」と答えてきた。どうしよう、まったく参考にならないわ。


 ジュールさんはいつも、珍しい魔宝石を見せてくれる。それが一番私が喜ぶことだと知っているからだ。魔宝石に見惚れる私に声もかけず、ただ一緒の空間にいるだけということも多い。

 もちろん会話だってしてきた。婚約者だもの。大抵どんな会話も、魔宝石にまつわる話に誘導されてしまうけれど。……きっとそれが一番、私の喜ぶ話題だと思っているから。



 私は、あの方が喜びそうなことなんて、一つも思いつかないのに。



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