第2話

 行動は早いほうがいい。

 両親への宣言を終えた後、私はすぐさま贈り主の住所を確認し、侍女のシュリアと共にそこへ向かった。気心の知れた侍女なので、「事前のお約束もなしに……」と堂々と渋い顔をされてしまったけれど、居ても立っても居られなかったのだ。


 贈り主の名前はジュール・サニエ。宝石商を営んでいる男爵らしい。寡聞にして、今まで知らなかった。

 あのトルマリンのことを考えれば、他の品揃えにも期待できるだろう。

 わくわくしながら向かった先には、こじんまりとした建物があった。おそらく住居ではなくて店舗だ。


 浮き足立つ心を抑えつつ、私はドアノッカーを鳴らした。少しして、ドアがガチャリと開く。


「はい、サニエ宝石店――」


 出てきた男性は、私を見て呆気に取られた顔をした。

 軽く礼を取る。


「お初にお目にかかります、ベルナデット・ミュラトールと申します。突然訪れるご無礼、どうかご容赦くださいませ。いただいた宝石の件で、サニエ卿にお話がございまして参りました」

「……ご丁寧に、ありがとうございます。店主を呼んでまいりますので、どうぞ中に入ってお待ちください」


 サニエ卿を店主と呼ぶのなら、この人は従業員か。

 応接室に通され、紅茶を飲みながら待つこと少し。


「――たっ、大変お待たせして申し訳ございません」


 慌てた様子で店主、サニエ卿が現れた。

 灰褐色の髪に、茶色い瞳。目に優しい色合いの人物だ。おそらく本来は白いのであろう肌は、今は真っ赤に染まっている。

 ……体調が悪いのかしら?

 向かいに座ってもそわそわと視線をあちこちに泳がせており、一向に目が合わない。何か気にかかることでもあるのだろうか。お忙しいときに訪ねてしまったのかもしれない。


「こちらこそ、いきなりお訪ねして申し訳ございません。ベルナデット・ミュラトールと申します」

「ジュール・サニエと申し、ます……!」


 一瞬だけ目が合ったのに、すぐにすさまじい勢いで逸らされる。私が戸惑っている間に、サニエ卿は早口で言葉を続けた。


「ほ、本日はどのようなご用件でしょうか。差し上げた魔宝石の件でしたら、私としましては、その、レディ・ベ、ベル……ナ……デッ、トに差し上げることができただけで幸せといいますか、そのままご放念いただけるのが何よりといいますか、え、ええっと」

「サニエ卿」

「ひゃい!」

「……体調が悪いのではなくて? 日を改めたほうがよろしいかしら」

「いえそんなお手数をおかけするわけにはまいりません元気です、ものしゅ、ものすごく。……申し訳ございません、一度退室させていただいてもよろしいでしょうか」


 いきなりどういうこと?

 了承すれば、彼はぎこちなく部屋を出ていった。……ええっと?


 斜め後ろに控えてくれていたシュリアをちらりと見やると、扉のほうをなぜか同情的に見ていた。

 首をかしげる私に、向かい側にいた従業員の人が小さく苦笑いする。何か知っている様子だけれど、自分から話し出すつもりはなさそうなので、こちらから声をかけることにする。


「私的な場ですから、好きに話していただいて構いませんわ。サニエ卿の今のご様子について、何かご存知なら教えてくださる? あと、あなたのお名前も」


 そう促すと、彼は深々と礼をした。


「ジュール・サニエの秘書を務めております、アクセルと申します。貴族ではございませんので、使用人のように接していただければ幸いです」

「じゃあ私も楽に話させてもらうわ。……あの方、本当に体調は大丈夫なの?」

「むしろいつもよりも元気だと思います」


 自信満々にうなずいてから、アクセルは声を潜めた。


「あれは、レディ・ベルナデットがあまりにお美しいので緊張しているだけです。今は気持ちを落ち着かせていると思うので、戻ってきたらもう少しマシになっていますよ」

「……緊張するにも限度がないかしら?」

「そういう方なんです」


 そうなのだ、と言われてしまったら、何も知らないこちらとしては納得するしかない。

 もっと詳しく聞きたいところだったが、意外と早くサニエ卿が戻ってきた。顔の赤みがおさまっている。

 彼は静かに私の向かいに座り、無表情で口を開いた。


「……先ほどはレディ・ベルナデットのお話も聞かず、一方的に捲し立ててしまい申し訳ございません。改めてご用件をお伺いしてもよろしいですか?」


 …………別人みたいで面白い。いえ、これは面白がってはいけないところかしら。

 相変わらず目が合わないこと以外、先ほどとはまるで態度が違った。目が合わないとは言ってもたぶん鼻の辺りを見られているので、先ほどよりも随分と普通だと言える。

 私もなんとなく姿勢を正して、本題を切り出した。


「本日は婚約を申し込みにまいりました」

「コッ」


 げほ、ごほ、と盛大に咳き込むサニエ卿。アクセルは見かねたように「レディ・ベルナデット、もう少し手心というものを……」と困った顔をした。シュリアにまで「お嬢様……」と窘めるように呼ばれる始末。

 私が悪いのかしら。性急すぎた?

 私の美しさに緊張している、という話だったけど、今までこんな人に出会ったことはない。対応方法がいまいち掴めなかった。


 とりあえずシュリアに例のトルマリンを出してもらって、テーブルの上に乗せる。


「私が、一番心惹かれる魔宝石を見せてくださった方と結婚する、と言っているという噂をご存知のはずです。私はこのトルマリンがとても、非常に、本当に気に入りました。ですからぜひ、あなたと婚約させていただきたいのですわ。私の両親はすでに承知しています」

「そ……」

「サニエ卿も私との結婚を望まれている、という認識でよろしいのでしょう?」

「……は。は、い」

「では後日、私の父から正式に申し入れがあると思うので、よろしくお願いいたします」

「…………はい」


 消え入りそうな声だった。

 ……私、強引すぎかしら。本当はちっとも私なんかと結婚したくなかったり? だとすると、このトルマリンを贈ってくださった意味がわからないけれど。

 これが初対面なのだから、実際に話してみて心変わりしたということはあるかもしれない。

 気の弱い方のようだから、こんなに一方的に話しておしまいというわけにはいかない。きちんと気持ちを確認しなければ。


「サニエ卿。私との結婚に何か思うところがあれば、遠慮なくおっしゃってください。まだ実際に婚約したわけでもないのですし、前言を撤回されてもなんの問題もございませんわ」


 次はこのトルマリンよりももっと心惹かれる魔宝石を見つければいいだけだ。両親に話してしまった手前、サニエ卿と婚約できたほうがありがたくはあるけれど、サニエ卿でなければいけない理由はない。

 じっと見つめると、サニエ卿は静かに小さく深呼吸をした。


「……前言は、撤回しません。もとより、あなたと結婚がしたくてそのトルマリンを贈ったのですから」

「実際に会ってみて嫌になったなら、そうおっしゃって構いません」

「…………」


 サニエ卿は思いきり顔をしかめた。人にこんな顔をされたのは初めてで新鮮だった。

 つい興味深く観察しそうになって、我慢する。この顔をさせた原因は私、つまり私が何か不快にさせることを言ったということだ。失礼を重ねるわけにはいかない。


「お気を悪くされたのなら申し訳ありません。なんでもはっきりおっしゃってください、ということを言いたかっただけなんです」

「気を……悪くしたわけでは、ありません。婚約のお話、謹んでお受けいたします。撤回は絶対にしません。ただ、」


 サニエ卿はこほんと咳払いをした。


「……ただ、一つだけ。あなたのほうこそ、私との結婚は本来望むところではないと思います。しかしご安心ください。当店の魔宝石を常日頃から身につけていただくこと以外、結婚相手としてあなたに求めることはありません」

「この店の魔宝石を? そんなことをして何の意味があるのですか?」


 私としては嬉しい限りの話だけれど、サニエ卿に何か利益があることとは思えない。

 訝しむ私に、サニエ卿は淡々と続ける。


「いわゆる広告塔になっていただきたいのです。あなたは大変美しい方です。あなたが当店の魔宝石を身につけてくだされば、瞬く間に当店の知名度は上がることでしょう」

「……身につける人間によってそれほど変わるものかしら? 魔宝石はむしろ、それだけで美しいものだと思うのですが」

「変わるものです」


 強く言い切られる。

 私は商売に明るくないので、ふぅん、と納得するしかなかった。心の底では納得できていないけれど、私の納得の有無はこの話に関係のないことだ。


「では、お飾りの婚約者ということですね。好都合ですわ。私、恋愛にまったく興味がございませんの」

「……存じております」

「とはいえ、私の両親は恋愛結婚を推奨しておりました。家族を安心させるためにも、人前では仲のいい夫婦を演じていただきたいのですが、よろしいかしら?」

「っ……!?」


 サニエ卿はぎょっと目を見開いて固まった。まったくよろしくなさそうな反応に、少し焦る。家族を安心させられないのだとしたら、結婚は私にとって何の意味もない。

 ……でも。もしサニエ卿が無理だと言うのなら、仕方がない。これはただの私の我儘なのだから。無理やり従わせるわけにはいかないし、だからといって、ではこの話はなかったことに、ということもできない。


 自分の言動の責任は自分で取るべきだ。人に平気で迷惑をかけるような人間に、魔宝石を愛する資格なんてないもの。


「無理に、とは申しません。お嫌でしたら、私の力だけでなんとかしてみせますわ。もちろん婚約を撤回することもございませんから、ご安心ください」

「…………いえ」


 ようやくサニエ卿が口を開く。


「これは対等な取引です。こちらの要求を一方的に吞んでいただくわけにはいきません」

「ふっ……ふふ、取引。ごめんなさい、笑ってしまって」


 彼にとって、これは取引だったのか。

 確かに言葉としては適しているけれど、何となく面白い。少なくとも、この場面で私から出てこない言葉であることは間違いなかった。

 さっきの渋面もそうだったけれど、これも『新鮮』だと表していいのかもしれない。


「失礼いたしました。どうぞ続けて」

「ぐっ…………」

「……心臓が痛いのですか? 大丈夫ですか?」

「も、問題、ありません……。こちらこそ失礼いたしました」


 急に胸を押さえたからびっくりしてしまった。

 何もないのならよかったけれど、この方本当に……なんというか、おかしな人だわ。


「レディ・ベルナデットがお望みでしたら、仲のいい夫婦も完璧に演じてみせます」

「ありがとうございます。……無理はなさらないでくださいね。私があなたのことを大好きなふりをすれば、きっとそれだけで十分ですから」

「だ、大好きな……ふりを?」

「ええ。たとえばこのように」


 立ち上がって、サニエ卿の隣にすとんと座り直す。少しはしたないかもしれないが、もう実質的に婚約者なのだから問題ないだろう。

 サニエ卿が身をこわばらせる気配がしたけれど、構わずに腕を組ませてもらう。ヒュッ、と息を呑むような音がした。


「――ジュールさん」


 にっこりと笑って、できる限り甘い声を出す。仲のいい両親の真似をすれば、結構簡単なことだった。

 サニエ卿の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。口をはくりと動かし、けれど声は出さないまま、彼は完全に固まってしまった。

 アクセルとシュリアがかわいそうなものを見る目でサニエ卿を見る。そしてそっと、二人して私を呼んだ。


「レディ・ベルナデット……」

「お嬢様……」

「婚約者だというのに何の問題があるの? お父様とお母様はいつもこのくらい仲がいいわ。婚約したばかりという設定なら、本来お二人よりも仲がいいくらいがちょうどいいはずでしょう?」


 黙って首を振られた。

 だめなの? でもこのくらいの仲を見せつけなければ、両親は安心してくれないと思うのだけど……。

 これは困ったことになってしまったわ、と内心で途方に暮れていると、サニエ卿がぎこちなく動きを再開した。


「す、少し、ずつ。慣らしていただければ。必ず対応してみせます」

「では、これから毎日お会いできますか?」

「……週に一度、からでお願いします」

「週に三度はいかが?」

「…………週に、二度……で……」

「……いえ、困らせてごめんなさい、週に一度から始めましょう」


 弱い者いじめはまったく趣味ではない。別にサニエ卿が弱い者だと思っているわけではないけれど、今にも亡くなりそうな顔をするものだから、気が引けてしまった。


「先ほどは許可もなく呼んでしまいましたが、ジュールさん、とお呼びしても?」

「も、問題ありません」

「では私のことはどうか、ベルと」

「無理ですすみません時間をください」


 ものすごく早口に断られてしまった。

 人に愛称を呼ぶ許可を出すことはほとんどない、というより今回で二人目なのだけど、一人目にも断られたことを思い出して少し笑いそうになる。

 一人目に断られた理由は、妹の愛称と被るから、だった。大真面目に申し訳なさそうにするのが面白くて、彼女のことをこれからも贔屓にしようと決めたのだ。彼女が勤める宝石店は、とても素敵な魔宝石を扱っている店だったし。


「口調くらいは崩していただけませんか?」

「……善処します」

「私も口調を崩してよろしいですか?」

「もちろんです」

「ありがとう。ジュールさん、これからよろしくね」


 微笑みかけたら、また真っ赤になって固まってしまった。

 ……この方、面白いかもしれない。





     ◆ ◆ ◆





「一目惚れだったと言えばよかったでしょうに」

「…………言えるわけがないだろう。そもそも先ほどのあれは、夢か幻覚ではないのか?」

「私にも見えていたので違いますね。ご本人です」

「そうか……相変わらず恐ろしいほどの可憐さだった……。笑われたときなんて、心臓が止まるかと思った」

「そう言えるほどにも直視できていないでしょう」


「それにしても、実際に会って嫌になるわけがないだろう。どうしてあんな発想になるんだ? お話ししてさらに好きになったというのに」

「変わった趣味ですよね」

「おい、僕にも彼女にも失礼だぞ」

「失礼しました。ま、一目惚れとはいえ、揺るぎない自分を持たれているところが一番好きなんですもんね」

「は!? なんで知ってるんだ!?」

「お酒弱いんですから、私の前じゃ一滴も飲まないほうがいいですよ」

「……忘れろ」


「そんな調子で、週に一度も会って精神が持ちますか?」

「ふん、舐めるなよ。彼女と会わない日にも、暇さえあれば彼女の写真を見るようにすれば、きっと大丈夫だ」

「ジュール様、それは気持ち悪いです。バレたらレディ・ベルナデットもドン引きですよ」

「なっ……じゃ、じゃあ、気合、気合だ。気合でどうにかする」

「……まあ、頑張ってください」


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