その万札をポケットの財布にしまい込むなり、シンは胸を張った。


「よし! トモヤにはいつも飯食わせてもらってばかりだから、今夜は俺が奢るわ」


 バカか、こいつ。

 オレの金でオレに奢るなんて発想がいかれてやがる。

 あいにくオレは新しいタバコに火をつけて口が塞がっていた。

 文句の一つも言えず、せいぜい目をむいて、唇の隙間から煙を短く吐き出し、不快感を訴えることしかできなかった。



 平日のバーは空いていた。

 シンは、しきりに左右に目を走らせる。

 バーに誘ったのはオレだ。

 あいつ御用達の居酒屋で下手に安酒をあおって具合悪くなるよりは、少ない酒を美味しく飲る方がオレの性に合う。

 カウンターのスツールに座ると、シンはメニューを眺めていた。

「一桁多くないか?」

 目をむくあいつには、オレは無反応を貫いた。

 あいつが黙りこんだところでオレは、何を頼むか決まったのかと訊いた。

「……レモンサワーはないのか?」と質問返ししてくる。

 オレが眉を浮かせて頷くと、シンは観念したかのように「お薦めは?」と言った。

「オレじゃなくバーテンダーに訊きな」

 意地悪したんじゃない。

 味の好みを伝えたら、自分に合うカクテルを紹介してくれるからだ。

 オレは酒が来るまでのあいだ、次のタバコに火をつけて待っていた。



 どうせ返ってこない金なら全部使わせようという頭で、オレは杯を重ねた。

 レイモンド・チャンドラーの「ロンググッドバイ」で有名なギムレットは、その作品の影響で心を許せる友人のいる場だけで口にする主義だ。

 ということで、それはまた愉しみに取っておくとして、オレはオーソドックスなテキーラベースのカクテルを続けて注文した。

 あいつは、飲みやすいウォッカやリキュールをジュースで割ったような甘いカクテルを飲んでいた。

 が、限度も知らないのか、スクリュードライバーを「こんなのジュースだ」と言って笑って一気飲みしたシンは、そのあとまもなくトイレに直行した。

 心配するバーテンダーに「あいつには、いい勉強になったろ」とオレは小さく言って、片目をつぶって見せた。

 

 が、シンがいつまでもトイレから出てこず、迎えに行ったオレが個室のドアを蹴り上げても反応がないため、店員を呼んだ。

 そして、その店員は救急車を呼んだ。


 結局支払いはオレになった。

 これなら、飲まずに馬券を買う方に回した方がましだった。


 店を出て、すっかり暗くなった街を歩いていると、オレの肌を湿った空気が包み込んだ。

 雨でも降るのか。

 オレは、星ひとつ見えない真っ黒な夜空を見上げた。

 もはや、道を急ぐ気にもならない。


「いいぜ。最近いろいろあるしな。どうせ来るなら、まとめて来やがれ」

 そう小さく独りごちると、オレの頬を撫でるように、なま温かい風が吹き抜けた。





(了) 

 

 


 

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星のない夜 悠真 @ST-ROCK

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