その2 多目的ラバーズ
「ねえ、カズナリくんって在間さんと付き合ってるの?」
そう声をかけられたのは、実習棟の生物室へ移動する途中のことだった。
実習棟は、僕たちの教室のある教室棟よりも年季が入った建物だ。なんでも元々は本校として使われていたのが実習棟で、教室棟は生徒数の増加に備えて後から建てられたらしい。
とは言っても教室棟も既に竣工から十年以上が経過していて、内壁の塗装がひび割れてたり、廊下のビニル床はところどころめくれ上がってたりするなど、あちこちにガタが出始めている。教室棟から実習棟へ渡れる連絡通路は各階にあるが、今僕がいるのは一階の職員室前の連絡通路近くだ。
なぜこんなところにいるのかというと、教室を移動中に「ちょっとお手洗い」と
声をかけてきた彼女――ここではA子さんと呼ぶようにしよう――は興味津々と言った風で僕の顔を覗き込んでくる。僕よりも頭一つ分くらい身長が低い。目がクリクリしていて小動物みたいな子だ。
A子さんはクラスメイトだが、教室でもほとんど会話を交わしたことがない。距離感を計りかねた僕は無意識に敬語口調になる。
「いや、ただの友達、です、けど……」
ちなみに僕の名前は「カズナリ」ではない。イッセーである。僕がクラスメイトに選挙ポスターに貼り出されてそうな名前で呼ばれることとなった原因を説明するためには新学期初日にまで遡る必要があるのだが、実に談長な話になってしまうので割愛する。
いずれにせよ、この学校で僕をイッセーと呼ぶのは、類ただ一人だけだ。
「へえ、付き合ってないんだ。本当に?」
「本当に。ただの友達だよ」
「でも二人ってお昼食べるときも下校する時もいっつも一緒じゃん。実は付き合ってるんじゃないの?」
やけに食い下がってくるA子さんの遠慮のない視線に晒され、思わず顔をそむけてしまう。
誰かに助けを求めたいが、類はまだ戻ってこない。そして僕が助けを呼べる相手は残念なことに類しかいない。
「おい待てって、A子、勝手に突っ走るなって」
A子さんの後ろから駆けてきたのは同じくクラスメイトの――K助だったか。
確かバレー部に所属していて身長が190センチある偉丈夫だが、人当たりの良い柔和な面立ちがスポーツマンが醸し出す威圧感を中和している。
「K助遅いわよ。こういうのは単刀直入に聞いた方が話が早いでしょ」
「だとしても、もっと段階を踏むべきで……あ、はい、スマン」
A子さんはK助にキッとした視線を向け発言を無力化する。大きな体が委縮する。
そのわかりやすい力関係に僕は内心
そして二人の特殊な距離感について、指摘していいものか少し逡巡する。
――まあ、先手を打ってきたのはあちら側だから、これくらい踏み込んでもいいだろう。
「もしかして、お二人は付き合ってる感じ……?」
僕の発言にK助はソワソワし始め、それとは対照的にA子さんは気持ちのいいくらいのリアクションで食いついてきた。
「やっぱりそう見える? あなたなら気づいてもらえると思ってたわ」
A子さんは腰に手を当て、慎まやかな胸を張った。立ち上がったげっ歯類みたいだ。
「そうよ、私とK助はね――付き合ってるの!」
「て言っても一週間前からだけどな」
「そこ、うるさい」
K助の補足事項に容赦なく噛みつくA子さん。目の前の凸凹カップルは見ている分にはなかなか面白い。
しかし、彼女たちが付き合ってることと僕と類の関係が、どう繋がるのか。
そのことを聞いてみると、さっきまで自信満々だったA子さんから太陽のようなオーラが消え失せ、身長相応にまで存在感が縮小してしまった。心なしか、僕らの立っている廊下もどんよりとした薄暗さが増した気がする。
「――ためよ」
「え?」
なぜか小声になって口ごもっている彼女を見て僕は聞き返した。
今なんて言った?
するとA子さんは、今度は僕に向かってキッとした視線を向けてきた。
「――私が、ナメられないようになるためよ」
思わずのけぞってしまいそうな圧だった。
A子さんに輝きが戻る。ただし、先ほどのような眩い光ではなく、情け容赦ない直射日光のようなギラギラ具合だ。
彼女はコホンと咳払いし、語り始めた。
「私ね、成熟児だったのよ。生まれたときに四千グラムもあって、この病院じゃこれまでで一番体重が重い赤ちゃんだってちょっとした騒動になったくらい。その後も私はどんどん成長していったの。同年代の中では一番やんちゃで力が強くて、幼稚園で一番手を付けられない子って言われていたくらいにね。でもね、小学校中学年くらいから身長が伸びにくくなって、六年生の頃からピタッと成長が止まったの。あの時から私の身長は三センチも伸びてない。それから今日に至るまでは困難の連続だったわ。昔はかけっこも一位の常連だったのに、今じゃ手足も短いせいでタイムも縮まないし、見下ろしてた連中に逆に小っちゃくてかわいいと愛でられる始末。こないだも駅員にね、子ども料金の切符を案内されたの。もう私は高校生なのによ! ホントに屈辱なの。
でもね、どうやっても伸びないものは伸びない。で、気づいたの。身体が成長しないなら、心を成長させればいいって。そう、恋愛の話。恋愛って大人への第一歩みたいな感じがするじゃない。で、とりあえずK助と付き合ってみることにしたの。こいつは保育園からの付き合いで昔は泣き虫で私の後ろによくくっついてたのよ。
……こいつを選んだ理由?背が高くて、温厚で、私に逆らわないから。好都合でしょ。でもね、付き合ってみたのはいいものの、恋愛って具体的にどうすればいいかよく分からなくて。そこであなたたちってワケ。カズナリくんと在間さんって何やらただならぬ関係に見えたから、声をかけようと思ったの。これが私がK助と付き合った経緯と、カズナリくんに声をかけた理由よ」
話の途中から、僕は「類、早く戻ってきてくれ」ということしか考えられなくなっていた。K助もずっと虫の居所か悪そうな顔をしていて、見ていていたたまれない。
情報を整理しよう。彼女たちは付き合い始めたばかりのカップルである。しかし恋愛経験の浅さ(あるいは付き合いの長さというべきか)故に付き合うということがよく分からない。そんな時に僕と類が目に留まり、その親しげな様子から自分たちと同じ境遇の者と推測し、「恋愛とは何ぞや?」と聞き込もうという腹積もりのようだ。
そんな僕の考えを伝えるとA子さんは神妙に頷く。ここまではよし。
しかし、というか、二人は僕に対して大きな思い違いをしている、と言いたいところだが、えーと、なんだ、これに関して二人ではなく僕自身も含めて三人、なのかもしれないだが。
つまり、どういうことなのかというと。
「ていうかさ、そもそも僕も知らないんだ、類が
「は?」
「え?」
喧騒が遠ざかり、空気が凍りついた。ような気がした。
廊下の気温がグッと下がった。気がした。
「いやいや、いやいやいや……」
「さすがにないだろ、お前……」
異口同音をまくしたてる凸凹カップル。
いつの間にかお前呼ばわりもされてる。スポーツマンの距離の詰め方怖い。
――頬を伝ってきた冷や汗を拭いながら、類の今日の格好を思い浮かべてみることにする。
フォルムは少年らしい野暮ったさがあるものの、毛先がまとまっていて艶のあるショートヘア。
女子にしては背は高いが男子としては小柄な体躯。
肌は、まあ確かに男子としては白い。あまりじろじろみることはないが、むだ毛的なものも全然なかった気がする。だけど、今どきは男子も身だしなみの一環として肌ケアをする時代だ。
立ち振る舞いに女性らしさはないのは断言できる。女の子らしいきゃぴきゃぴした仕草は類とは無縁だ。かといってガサツさも一切ないし、気配りに関しては僕よりもはるかに気が利く。
そして制服姿は清潔感のあるワイシャツにすらりとしたスラックス。
ちなみにズボンをはいているから男子である、という従来の定説はこの学校では通用しなくなっている。女子制服にスラックスが導入されて幾年か経過し、パンツスタイルの女子も目新しいものではなくなりつつあるからだ。掲示板に貼り出されているアンケートでも『動きやすい』『冬でも寒くない』『時代的に先進感があってイケてる』など評判も上々らしい。
そんな中性的なルックスで唯一調和を乱すのが、頭のサイズに合っていない黒縁のセルフレーム眼鏡だった。これはこれで類の個性ではあるのだが。
思い返してみても、出会った頃から類の姿は変わっていない。
解答が間違っていることを承知しながら教卓に答案用紙を提出する気持ちになりつつ、僕は言い訳がましく告解する。
「類とは二年に上がってからの仲だけど、話しかけてきたのは向こうからだったわけで。当時の僕はクラスの誰とも親しくなくてぼっち状態。そんな僕のところへ近づいてきたのがまず驚きなんだよ。で、ぼっちだった僕はそもそも女子に話しかけられる謂れはない。付き合ってるとかでもなければ男子は男子、女子は女子で固まるのがセオリーだろう? ということは類は僕と同じく男子だ、というのがその時の率直な考えだった。
だったんだけど……しばらくしたら、もしかしたら僕はとてつもない勘違いをしているような気がして、でも今さら性別を聞くのは失礼だよなって思ってたら、こう、ずるずる月日が経って、今に至るという」
「信じられない!そんな曖昧に人に合わせてる人、初めて見た!」
「人付き合いのやり方、考え直した方がいいぞ」
まことにおっしゃる通りです、はい。
「てゆうか、そんなの簡単にわかることじゃない!」
我が意を得たりという風に、そう言い切ったのはA子さん。
「在間さんお手洗いに行ってるんでしょ? じゃあ男子と女子、どっちのトイレから出てきたか見てればいいのよ!」
ああ、そんなことか。
彼女は勝ち誇った顔で宣言してくれたが、残念ながらそうは問屋が卸さない。
「類はいつも職員室すぐ隣の多目的トイレを使ってるんだ。あそこは男女共用だから判別は不可能だ」
なんですって、とA子さんは目を大きく見開いた。
よりによってなんで多目的トイレなのよ、ともこぼした。喜怒哀楽が常にせわしない。
トイレ判別法が使えるのならとっくの昔に僕は類の性別を知ることになっていたはずである。多目的トイレしか使おうとしない類に疑問を抱いたことはなくはないが、他人のトイレ事情には首を突っ込みにくい。
「俺も在間のことはあんまり女子としては見てなかったけどな。あくまで一クラスメイトとしてだが」
K助が顎を撫でながら言う。
「男子女子の前に在間は在間って感じだし、それを言うならお前もそうだ」
お前らはクラスで浮いていると遠回しに言われてる気がする。まあ、本当のことだけど。
僕らは二人とも男子や女子のグループに積極的に関わろうとはしていない。僕の場合は人見知りの陰キャなせいだが、類はあれで普通に話し上手で聴き上手なのだ。本来なら僕よりもっと華やかな場所にいても不思議はない。
「体育の時間!」
A子さんの鋭い声が思考を遮った。早押しクイズじゃないんだが。
「何で気づかなかったのかしら! 在間さんが女の子なら女子体育にいるに、決まって……」
しかし彼女の口から勇みでた言葉は、尻すぼみになって消えていく。
「類って体育の時は眼鏡を外すらしいんだけど、外してるトコを見たことないんだよね。類が体育に参加してるのを見たことある?」
ちなみに体育の時は、僕は常にぼっちである。少なくとも類は僕の隣にはいない。
二人から返事は返ってこない。ついにA子さんもK助も押し黙ってしまった。二人とも体育で類を見た記憶がないらしい。沈黙がやや気まずい。
「やあ、珍しいね。イッセーが誰かとしゃべってるなんて」
ようやく戻ってた類の姿を見て、僕は安堵の息を漏らした。
「在間さん、ちょうどいいところに来たわね!」
「やあA子さん。面と向かって話すのはなんか久々だね。どうしたの」
教科書一式を受け取りながら類は怪訝な顔をする。
「ええ、在間さん、実はお話があるんだけど――」
やあ類、ちょうど今君のミステリを解こうとしていたところなんだ。なんでもこちらのお二人が君が男子なのか女子なのか知りたがっていてね、かくいう僕も実は類がどっちなのか確証がなくて――とは口が裂けても言えない。僕らの関係に致命的なヒビを入れかねないから。
しかしA子さんの突っ走りトークを止める手立ては僕にはない。戦々恐々としていると、意外な言葉が彼女の口から飛び出した。
「こんどの土曜日に私たち四人でどっか遊びに行かない?」
僕にとっても、そして類にとってもそれは想定外の提案だった。
「君たちといっしょに、ってこと?」
A子さんとK助を交互に見ると、類はちらりとこちらに視線を送る。
「在間さんたちとは初めてクラス一緒になったし、私たちお互いのことをより深く知るべきだと思うの!」
「イッセーがいいのなら、ぼくは全然かまわないよ」
そう言うと類は笑顔をほころばせた。同時にA子さんの獲物を狙うような顔が僕の方を向く。
「う、うん。類がいやじゃなければ僕も問題ない、かな」
「なら決まりね!」
そういうことになった。らしい。
自然と四人で生物室へ移動する足運びになった。二人で並んで予定を話し始める二人と、それを少し離れた後ろからついていく二人。後者である僕とK助の間には微妙な空気が流れる。
「なんかすまんな、色々と」
「いや、こっちこそ。A子さん、いい人だね」
「ああ、いいやつだ。一人で突っ走り気味なのが玉に瑕だが」
「いつも大変そうだ」
「腐れ縁だしな。慣れてるさ」
曖昧な僕の返事にさらりと言ってのける。これがデキる男の受け答えか。
そういえば、A子さんのことを彼はどう思っているのかは聞いていない。彼女の話だと、一方的に関係を迫ったみたいな言い方だったけど。
「んー、まあ俺も断る理由がなかったというか、A子といてもそういう雰囲気にならないのは確信してるっていうか。正直、俺も距離を掴みかねててな」
そう言うとK助は頭を掻く。僕へ向けている視線に期待と好奇の色が混じってるのは気のせいと思いたい。陰の者に恋愛指南は務まらないんだ。
「本当に在間のこと知らないのか? それで今までどうやって付き合ってきたんだ?」
ああ、ここでいう付き合うっていうのはそういう意味ではなくてだな、と付け加えるK助に思わず苦笑する。小さいころからA子さんに振り回されてきたのだろう。
「別に、特別なことはなにもしてないよ。それに僕らも知り合って2ヶ月かそこらな訳だし。お互いに知らないことだらけだ」
「羨ましいかぎりだ、俺たちは良いところも悪いところもかなり知ってしまってるからな」
そう呟くK助は僕よりもずっと年上の人間に見えた。
だが正直なところ、僕にとっては類が男か女かなんて割とどうでもいいのである。
僕の友達をやってくれる在間類は、ただ一人だから。
そんな僕の気持ちとは裏腹に、二人はチラチラと振り返ってはクスクスと笑ってくる。A子さんは眩しい笑顔で、類は目を細め口角を少し上げて。
「ところで、お前の名前ってカズナリじゃないのか? 在間はイッセー?って呼んでるけど」
「……ああ、カズナリで合ってるよ」
放課後の習作 アジタロ @azitarou
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