放課後の習作

アジタロ

その1 お昼休みデイドリーム

 たった今目にしている景色が夢であることが分かったものの、その夢から覚める手段がなく夢の中で手持ちぶさたになることほど気まずさを覚えることはないだろう。

 例えばそれが悪夢であったのなら、なおのことだ。


 例を挙げるとしよう。直近では昨晩がそれだった。その時見た夢では、ブラック企業に就職していたらしい僕が上司と思しき男性から厳しい𠮟責を受けるという状況に置かれており、その叱責が半ば罵詈雑言に差し掛かり始めた途中で電源スイッチがバチンと切り替わったかのように、これが夢であることを僕は自覚したのだった。

 そもそも僕はいたいけな高校二年生であり社会に出た経験は一切ない。ということは、この夢の状況は僕が経験がないなりに想像の中で練り上げた妄想ということになる。

 そうなると緊迫していた気持ちもぐんにゃりするもので、目の前の男は自身が僕の夢の中の住人であることもいざ知らず喚き散らしているのだが、これが夢だと自覚した僕が彼に向ける視線はもはや昆虫観察も同然のものであり、ある種のいたたまれなさすら覚える始末だった。


「そうするとアレだね。夢であることに気づいた途端に存在しない上司に怒られ続けるよりも、いつ終わるとも知れない夢の中に取り残されることこそが悪夢になるわけだ」

 寸評もほどほどに、在間ありまるいはずり落ちかけていた眼鏡を左手薬指でぐいと押し上げた。

 デカいセルフレームの眼鏡の奥から、いたずらっぽく細められた目でこちらを見つめてくる。

「でも夢の中だとわかっていても、その顔面にパンチをくれてやったり、あるいは叱責を無視してオフィスデスクの引き出しを片っ端から開けて回るような突拍子のない行動に出れないんだよな。いや、正確に言うと出ようという考えが浮かばないというか」

「それは恐らくねえ、あんまりめちゃくちゃなことをやられるとイッセーの脳が夢の処理速度に追い付かなくなるから、無意識に行動をセーブしてるんだよ、きっと」

 ゲームで例えるなら、フィールドの外に出ようとしたら読み込み時間が発生して強制的にロード状態になるのと同じってことか。

 類は同意するように頷くと、イッセー自身が波を立てたくない性分だからそれも影響あるんじゃない、と付け足した。なるほど一理ある。成績は中の中、身長も高すぎず低すぎず、そして顔が良いとか悪いみたいな議題に上がったこともない。僕はただのしがない男子高校生なことだけが僕ことイッセーの特長なき特徴なのだから。

「で、どうやって目が覚めたん?」

「んー、なんか変な犬が乱入してきてそこらじゅうのものに嚙みついて振り回してたら、なんかこう、ベリベリーって世界が破けて、そんな感じで」

「意味わかんね~」

 ケラケラ笑いながら類はそう言うと、弁当サイズのコロッケを口の中に放り込みむしゃむしゃと咀嚼する。

 ごくんとコロッケを嚥下した類は、頭のサイズに合っていない眼鏡をもう一度押し上げて定位置に戻した。

 昼休みのたわいのない会話の一幕だ。

 僕らは一つの机を共有して各自の弁当をつつき合っている。


 他のクラスメイトはというと、少人数の仲良し集団で複数に分かれる女子に対して、男子は机という机を合体させ教室を分断する規模の巨大船団を形成するのが常となっていた。

つまり、ユーラシア大陸が如き男子一団、ヨーロッパ諸国のように分かたれた女子グループ、そしてポツンと島国のように浮いている僕たちというのがここ2-B教室の勢力の内訳となる。

 僕としては円滑な人間関係を構築するために男子グループに取り込まれるのもやぶさかではないのだが、僕が鞄から弁当を取り出すよりも類が椅子を引っ張ってやってくる方のが早い上に、こいつが男子グループと僕の間に楔を打ち込むが如く目の前に陣取るため本流への合流が果たされたことはないのだった。


 そんな僕の密かな考えをさっぱり読み取ろうともしない友人は、指揮棒のように箸を振りながら話を続ける。

「夢の中で意識が覚醒することがあるのならその逆もありえるのかな。現実なのに夢を見ている感覚みたいな」

「それは寝ぼけてるだけだろ」

「そっか、違いないわ。んーじゃあ発想を変えよう。ここはシミュレーション上の仮想世界で、ぼくらはほんの五分前に偽りの記憶を植え付けられて生成されたデータ存在にすぎないとしたら……?」


 世界五分前仮説か。

 家族、友人、クラスメイトはあらかじめそう在るように設定された存在で。

 僕らの十数年にわたる人生で培った知識や経験も偽の記憶で。

 つまるところ、世界というのは薄氷の上に成り立っているものだという仮説。

 僕らを結ぶ関係の糸なんて、いつぷっつり切れてもおかしくないという孤独の理論。

「何万年も昔の化石が見つかってるじゃないか」という反論も「その化石も五分前にそのような状態で創造されたものなのだ」という無茶苦茶な反論で言いくるめられる、言いがかりのような暴論。

 証明不可能、ゆえに反証不可能。

 ただ残念なことに、一定の年齢の少年少女の琴線に触れるワードすぎてあらゆるエンタメに擦られまくり風化したせいで、今日びでは陰暴論に片足突っ込んだ俗説の域を出ないものになってしまった。

 聡明な詩人や小説家ならもっと気の利いた創作の題材に出来るだろうけど、学の足りない現役高校生の身ではただただ毒にも薬にもならないゴシップのような話であり、ディベートの題材としても失笑ものだ。

 ゆえに――。


「SF映画の観すぎ。恥ずかしいから僕以外の誰にもそんな話するなよ」

「ひっで、切って捨てられた」

 しかし類はめげずに食い下がってきた。

「でもさあ、ロマンがあるじゃん。こうやってイッセーとご飯食べてる場面だけ、誰かの頭の中で、あぶくのように湧き出たイマジネーションなんだ。泡の外にはなんにもない。弾けてしまえばそれでおしまい。ぼくらは昼休みのチャイムが鳴るまでの儚い存在なんだよ」

「そんな馬鹿な話があるか。第一、誰がそんなこと証明できるんだ」

「もちろん、世界の外側から観測する誰かがいるからさ。さながら本物の惑星を、地球儀のように回すようにしてね」

「メン・イン・ブラックのラストシーンかよ」

「なーんだ、知ってたか」

「知ってるも何もこの前一緒に観たばっかだろ」

 やっぱこいつ、SF映画の観すぎだ。


 しかしまあ、胡蝶の夢とか世界五分前仮説とか、そういうのに惹かれる気持ちはわかる。ほら、ずっと昔にノストラダムスやマヤの予言もあっただろう。ああいう、世界があっけなく始まったりあっけなく終わったりする話というものには不思議な魅力がある。世界というものは、電源を引っこ抜く程度のことで全てがめちゃくちゃになってしまうような、その程度の存在であってほしいという。そしてそれは、きっと思春期ニキビのように一過性のものなのだ。

 しかし残念なことに、僕らがモラトリアムを謳歌している間にそんなワンダーなことなど起きるはずもなく、高尚な哲学者でも非凡な物理科学者でもないティーンエイジャーにとっては昼休みの時間を擦り減らすだけのバカ話以上のものにはなりえないのだ。

 生き生きとした表情を浮かべる類を無視して、残ったラストのソーセージに箸を突き刺す。ぷつりといい感触。どうでもいい僕の夢の話題を振っただけなのに、受け取った話を変な方向に増幅して返してくるのはこいつの悪いクセだ。


 局所的なエコーチェンバー現象に想いを馳せているうちにガタガタと辺りが騒がしくなっているのに気付いた。時計を見ればいつの間にか予鈴の時刻が近い。気付いたら男子の船団も解体されている。

 先に弁当を食べ終えていた類は、おもむろに席を立った。

 僕もまたソーセージを口に放り込んで昼食を完食する。午後一発目の授業は古典だ。睡魔との戦いになるだろう。正直、訓読なんていう回りくどい翻訳なんて覚えても将来活用できるビジョンがまったく見えてこない。それなら現代語訳された書籍を読んだ方が遥かにタメになると思うのだが――。


 突然、夜の帳が下りたかのように視界が真っ暗になった。


 顔を触ると、普段はそこにあるはずもない感触があるのが分かる。

「……なにコレ」

 外してみると、それはメン・イン・ブラックみたいな真っ黒なサングラスだった。

 しかしレンズ部分から向こう側を透し見れなくなっている。視力検査の目隠し棒みたいになっている。

「超低反射塗料でレンズを塗ってみたんだ。世界の電源が落ちたみたいだったろ?」

 得意げに胸を張る類。そのまま自席に戻るのかと思った類は、こっそり後ろに回り込んでこのサングラスを僕にかけたらしい。

「視界だけな」

 実際は音も聞こえるし匂いも嗅げるし体も動かせるのだから、世界の終わりには程遠い。

「ではこの世界遮断サングラス、一回の使用料は500円です」

 たっか。というかボッタクリだ。

「ツケにしてもいいけど?」

「じゃあ次のレンタルビデオおごるから、それでチャラで」

「やたっ」

頭のサイズに合っていない眼鏡が特徴的で特長的な、中性的な面立ちの友人は無邪気に笑う。


――まあ、なんでもいいか。


 実際のところ、話している内容なんかはどうでもよくて、類のそういう表情を見れただけで満足なのだ。人間なんて生き物はつまらない顔をしているよりも楽しそうな顔の方がずっといい。

 それに、例えこの景色が白昼夢デイドリームであってもそれなりに満ち足りた気持ちで終わるのであれば悪くない。マトリックスのようなオチは勘弁願いたいが。

 類はセルフレーム眼鏡を外し、代わりに僕から取り上げたサングラスをかけた。

「うわ、ホントに真っ暗。何にも見えないねえ」

 ジョークグッズではしゃぐ姿を眺めながら、しかし夢の話をすることを見越したかのような類の用意周到さに、僕は一瞬だけ訝しむ。

 まさか、な。


そうこうしていくうちに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、この話は打ち切りになった。



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