八番街で逢いましょう
ふうふうと息を切らしながら、ずり落ちてきたバッグを右肩に架けなおす。坂の街だとは聞いていたけれど、ここまで登り道が続くとは予想外だった。足を止めれば心臓の鼓動がドクドクと、まるで全身で鳴っているかのように音をたてる。僕はしばらくそのまま立ち止まってハンカチで汗を拭うと、視線の先に見える坂の上の建物を見上げた。
遠めに見える白壁と青い屋根。その屋根の真ん中から突き出た十字架が、空に向かって真っすぐに伸びている。
ここまで駅から歩いてやってくる物好きは僕ぐらいだろう。バス代をケチった訳じゃないけど、最寄駅に着いた僕はバス停の時刻表と腕時計を交互に見て、逸る気持ちを押さえられずに腕まくりをしてそのまま歩き出した。
今はバスを待つ時間すらも惜しい。あと少し、もうあとほんの少しでアミカに逢える。僕は二つ折りにしてジーンズの後ろポケットに突っこんでいた絵葉書を取り出した。
薄い鉛筆で書かれたスケッチ。そこに、いま僕が見ている古い教会が描かれている。
差出人はもちろん彼女。住所はH県K市C区八番街。アミカから届いたその絵葉書を手掛かりに、僕は今日彼女に逢いに、遠い雪の街から夜行列車に乗ってやってきたのだ。
絵葉書を片手に実物と見比べる。
「ここだ!間違いない。とうとう着いたんだ!」
僕はバックを下ろすと開け放たれた教会の扉に、まるで吸い込まれるようにして入っていった。
「こんにちは」
「ええ、こんにちは」
入口にいた老齢のシスターが柔和な笑顔で応えてくれた。
僕はきょろきょろと辺りを見回して正面に据えられたマリア像をしばらく眺めた後、彼女に尋ねた。
「ここに、アミカはいるのでしょうか?」
不躾な僕の質問にもシスターは穏やかな姿勢を崩さなかった。
「さあ、どうでしょうか?なにせここはたくさんの人がいらっしゃいますから。今日のような日曜日などは特にそうです」
シスターが言うように、僕の他に沢山の老若男女が教会には溢れていた。
僕は黙って頷くと、空いていた硬い木椅子に腰を下ろし、ふうと息をついて、しばし瞑目した。教会内を満たしている木漏れ日のような優しさに僕は、旅の疲れもあってかついウトウトと意識を失った。
ステンドグラスから差し込む光にふと我に返ると、時刻はもうお昼をとっくに回っていた。僕は慌ててすっかり僕の体温で暖められた椅子から立ち上がると、教会の入り口で聖書を開いていたシスターに会釈をして外へと出た。
「なに、まだアテが無い訳じゃないさ」
そんな風に呟いて、僕はまたジーンズの後ろポケットから一枚、絵葉書を取り出した。
描かれているのは海の見える丘に建つこじんまりとした二階建てのホテル。そのデザインから築年数は相当な物だと思われるが、決して古めかしい感じではなく、伝統と格式の高さを感じさせた。
「アミカ、僕のアミカ。君は今どこにいるんだい」
教会を後にした僕は、バックを背負いなおして、海に向かって歩き出した。
海鳥の暢気な声と、シャツを捲る潮風が心地よい。片手で日除けを作って眺めたエメラルドグリーンの海の眩しさに、何だか寂しい気持ちになった僕は見えてきたホテルへと足早に向かった。
ホテルは近づけば、より品格が漂って見えた。
ドア付近にいたポーターは僕を見つけるとすぐに駆け寄って来た。
「申し訳ございませんお客様。当ホテルはただいま満室でございます」
「ありがとう。だけど僕は宿泊に来たわけじゃないんだ。このホテルにアミカが来ているはずだ。アミカをここに呼んできてくれないか」
「えっ?ああ、はあ。少しお待ちを」
ポーターはすぐにフロントめがけて走り出し、しばらくの間をおいて急ぎ足で戻って来た。
「お客様!お客様!アミカ様は数日前にすでに旅立たれたそうです」
「ああ、なんてことだ。ここまで来てまだアミカに会えないなんて」
僕は思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「お役に立てませんで」
心底申し訳なさそうな顔をするポーターに僕も申し訳ない気持ちになった。
「いや、君のせいじゃない。すまなかったね。ありがとう」
ポーターに礼を述べると、僕はなんとかよろよろと立ち上がった。
そこへ恰幅の良い上等な背広を着た初老の男が玄関から飛び出してきた。
「あなたですか?アミカ様を訪ねて来られたというのは?実はアミカ様から伝言を言付かっております」
「なんだって?伝言?」
「ええ、左様でございます。アミカ様から、もし誰かが私を訪ねてくることがあったらと……」
「そ、それでアミカはいったい何と、何と言ったのですか?」
「はあ、えー、八番街にあるアトリエで待つと。ええ、そう言付かっております、はい」
「アトリエ?」
「八番街のアトリエなら僕も行ったことがあります。確かお店の名前はアキーマと言ったかな?港の倉庫街の近くですよ」
ポーターは先程とは打って変わって、嬉々とした表情で答えた。
「二人とも親切にしてくれてありがとう。僕は行かなければ」
「ええ、どうかお気をつけて。幸運を」
僕は彼らにハグをして、港へ向かって飛び出していった。
港に着くと潮風の匂いはより一層強くなって、僕の鼻を刺激した。防波堤から見える倉庫の群れを通り抜け、僕は黙って赤レンガの道を歩いていく。夕暮れにはまだ早いが、通りにあるダイナーからはエキゾチックな料理の匂いと、賑やかな声が楽し気に響く。よく考えれば朝から何も口にしていないのに、何故だか僕の体は空腹を覚えなかった。
「アミカ、アミカ、アミカ……」
僕は彼女の名前を何度も呟いて、アトリエへと向かう。
目を凝らしてポーターに教えてもらった「アキーマ」の看板を探し、とうとう八番街の最後の通りで、僕はそのアトリエを見つけた。
風に揺れるサビた金メッキの看板には確かにローマ字で「AKIMA」と書かれていた。僕は一つ大きく深呼吸をしてから、白いペンキの剥げかけたアトリエの扉を押した。
「ごめんください」
小さな出入り口の扉とは裏腹に、だだっ広いアトリエの中を僕の声だけが響く。クリーム色のタイルの壁に数点、前衛的なデザインの絵画が掛けられている他は人っ子一人見当たらず、部屋の真ん中には茶色いテーブルの上に「来場者は記帳をお願いします」ただそう書かれた紙切れが一枚、ポツンと置かれていた。
「……アミカ?」
僕はそう声に出してみた。
だけど、だだっ広い部屋のどこからも彼女の声が返ってくることは無かった。
僕はただただ疲れ果てて、その場にドカッと腰を下ろした。僕はしばらく項垂れたたまま、何も考えることが出来なかった。
どれほどの時間が経ったのか。月明かりが天井の窓から差し込んだその時、アトリエの奥にもう一つ、小さな部屋があるのを僕はみつけた。
僕はまるでその月明かりに導かれるように、ふらふらとその部屋に向かって歩き出した。
「あっ!」
僕は思わず声を上げた。
その部屋に掛けられた大きな額の中に、黒いワンピースを着た華奢な女性が一人、真っ白な背景の中、微笑んでいた。
「ああ、アミカ!アミカ!そこにいたのか!」
僕は這いずるように彼女の前まで来ると、額縁を両手で強く掴んだ。
「アミカ、僕のアミカ……逢いに来たよ。ようやく、ようやく逢えたね……」
僕はアミカに向かって小さくそう呟いた。
涙が一滴こぼれ落ちて、あとはただ、ボタボタ、ボタボタと際限なく溢れては僕の頬を伝って床を濡らした。
僕はもう一度まじまじとアミカを観た。
アミカ、僕の愛しい人。
この世界でただ一人、僕が愛したのは君しかいない。
その時、彼女の薄い唇が微かに動いた。
「……そんな顔しないで」
アミカの笑顔はまるで僕に向かって、そう語りかけているようだった。
Panier de collations(おやつカゴ) @zawa-ryu
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