第七話 生きる


「忘れる」


 その言葉にはどんな意味があるのだろう。


 普段、使っているものに目を向ける。


 生きていて、死んでいく。


 そのあまりにも短い時間で、どれだけの「意味」に目を向けられるのだろう。


 そしていつかは「意味」さえ忘れていくのだろうか。


 最後には、「彼ら」のようになるのだろうか。


 俺には、わからない。


 それでもいつかは……。


 人生100年時代。


 あと80年と余り少し。


 どう生きるべきか、毎日をどう過ごすか。


 明日、俺も彼らの様になったら。


 別に考えなくてもいいかも知れない。


 未来や過去を見て。


 その隙に闇が迎えに来ると言うのなら。


 俺は、ここに立つ、今を、生きている証を、大切にしたい。


「忘れる」とは「生きる」こと。


 そう思う。


 いつの間にか、俺は踏切の前にいた。


 いつ戻ったのか、記憶はない。


 足取りは軽かった。


 スキップしてしまいたいような気持ち。


 彼と「生きた」時が記憶に刻まれる。


 その度「彼」が美化されていく様な、感覚。


 それでも「忘れないように」、「消えないように」、生きていく。


 カランカランとシンプルな装飾の扉を開け放つ。


 そこには1人のイケメンと陸奥さんがいた。


 彼氏か?と一瞬混乱した。


 が、よく見れば服装やテーブルに置いてある仮面から誰なのか理解した。


「八重?」


「……よかった。成功、したんですね。」


「ごめん。やっぱ誰?」


 近づかれるとより一層ハンサム男で、俺は妬みから突き放すふりをしてみた。


「や、八重でございます!」


 ほら、ほら、と能面を付けたり外したりして焦っていた。


「ふっ、ふはは。嘘だよ、分かってる。」


 急に笑い出すから、きっと驚いたんだろう。


 その顔に、彼を感じた。


 戻ってこない。


 分かってるから笑ってる。


 まだ疑問が浮かんでそうな八重は陸奥さんの方も向いている。


 陸奥さんはニヤニヤしながら「準備しますか」といい裏へ行ってしまった。


 「……ところで、彼はなんと?」


 「んーとね。」


 ゆっくりと思い出しながら彼の全てが頭の中を駆け巡る。


 鮮明。それでも淡く。


 「笑ってたよ、幸せそうに。」


 「良かった……。」


 俺こそ、良かった。そう思うよ。


 君の笑顔は、彼のように。


 美しい。


 「そうだった。」


 突如思い出した俺は、ポケットに入った「花」を取り出す。


 「これって、たぶん。」


 しかめっ面に変わった八重は俺の手のひらをじっと見つめた。


 「はい。これは「瓦楽多」です。」


 「これも能力がついているってこと?」


 「ええ。ですがどんな効果かは不明です。」


 シュンと悲しそうな顔をした。


「ところで、八重ってこの花の種類分かる?」


「申し訳ありませんが、私もそういったものは一切...。」


 2人して、うーんと頭を抱えた。


「エーデルワイスちゃう?」


 いつの間にかエプロンをつけた陸奥さんが顔を覗かせていた。


2人して目を合わせて驚く。


「よく知ってますね。」


 感嘆の声を上げると嬉しそうに陸奥さんは鼻歌を歌いながらキッチンへ戻った。


 スッと席を立つ俺。


 八重は怪訝そうに、それでもどこか行動の意味を理解している様だった。


「こちらを。」


 ついに察したようだった八重は俺の手に「切符」を置いた。


「切符?」


「はい。それを使えば奈楽から出ることができます。」


 その切符には「奈楽←→現世」と書かれていた。


「ありがとう、色々。」


「いえ、当たり前のことでございます。」


 嬉しそうにした八重は少しの沈黙を挟んだ。


「……東雲さま。その切符はこともできます。」


「そうなんだ。」


「ですから...。いえ、なんでもありません。」


 何か言いたげだった八重は黙ってしまった。


「大丈夫だよ、八重。」


 俺はどんな顔をしているのだろうか。


 いや、俺は笑っている。


「戻ってくるよ。絶対。」


 もしも、彼と同じ様な人がここにいるのなら。


 もしも、彼よりも酷い人がいるのなら。


 俺はちゃんと話したい。


 彼ら彼女らの流れていくストーリーを見て見たい。


 そして側にいてやりたい。


 たったのそれだけだ。



 行きとは逆方面のホームに足をつける。


 すると、ものの数秒で赤色の列車が到着した。


 乗り込むとこれまた一瞬でドアを閉めた。


 今度は1人で、ここにこよう。


 そう決意して窓を見る。


 帰りの電車から見えた、夕暮れに染まる奈楽はなぜだか暖かく感じた。



 目が覚めると、俺は地元の駅にいた。


 蛍光オレンジに彩られたベンチはザラザラしている。


 ポケットのスマホを取り出す。


 そこには16時20分と示されていた。


 俺は余韻に浸ることもなくさっさと駅を出た。


 行き先は決まっている。


 俺は使い古された自転車にキーを差し込んで、風を切る準備をしていく。


 10分ほど経っただろう。


 ここは古い花屋。


 店主と思わしき老人は「いらっしゃい」と優しい声で言った。


「すみません。この花って置いてありますか?」


 そう聞くと老人は首から下げた老眼鏡を除く様に花を見た。


「こりゃ美しい。よく育ててある。」


 魅入られたように花を見つめる。


 10秒ほどジッと見ていた老人だったが仕事中なことを思い出したかの様に、そそくさと背後に置いてある花たちを見比べた。


「やっぱり、エーデルワイスかねえ」


 差し出されたエーデルワイスの束は集まっている姿がまるでドレスのようだ。


 今度は俺が魅入られた感覚になった。


 君の母がこの花を好きになって、君自身も好きなった理由、なんとなく理解できる。


 それほどまでに美しかった。


「すみません、これ幾らですか?」


 俺は受け取った花束を自転車のカゴに入れる。


 普段はロードバイクなんかがカッコよくて仕方がなくて、ママチャリに乗る自分がダサい。なんて思ったりする。


 それでもこういう時は役に立つ。


 やはりママチャリは最高だ。


 前へ踏み込む。


 目の前を鋼鉄の塊が遮った。


 幸いしっかり踏み込んでいなかった為自転車は動いていなかった。


 こういう事故にならなかった事象をヒヤリハットと言うらしい。


 テレビかなんかで見た番組が頭を通り過ぎた。


 パッと死角になっていた電柱を覗き込む。


 立ち誇ったその電柱の足元には、枯れた花束と随分と懐かしいパッケージのジュースが置いてあった。


 みなまで言わなくたって、分かった。


 ここが終着点だった。


 また足を踏み込む。


 目的地は目の前。

 


 俺はコの字になった駐車場の片隅に自転車を置く。


 しっかりと花束を忘れずに。


 少し長めの階段を登る。


 その先に見えたのは巨大な本殿と、左端の墓達。


 俺は砂利の上を歩いていく。


 探しているのは、一つの名。


 しらみ潰しで一つずつ。


 井沢、漣、福岡、砂森、森。


「あった。」


 そこには「八重」と刻まれたシンプルな墓。


 錆びついた金でできた器には枯れた2個の花が刺してあった。


 俺は受け取ったエーデルワイスの花束を二つに分ける。


「これでよし。」


 少し溢れ出ているが、豪華でいいだろう。


 きっとエーデルワイスを飾ってある墓なんてここしかない。


「特別仕様だぞ。嬉しいか?」


 からかって言ってみる。


 残念なことに彼の声は聞こえたりしない。


 2度と聞こえない。


 また泣きそうになった。


 ここまで俺は彼に「喰われて」しまっていた。


 そう感じた。


 夕暮れ。


 焼け焦げた陽の集まりはこの街も世界も永久に照らしている。


 そして遠く深くどこかの底も照らしている。


 きっと彼も照らしてくれるだろう。


 そう思わせるほど輝いていた。


「ヒナコさん。もうちょっとですから、寝てても大丈夫ですよ。」


 背後から優しく話しかける声が聞こえた。


 振り向くと、車椅子を引く青色の服を着た女性とその車椅子に座ったお婆さんがいた。


 お婆さんはこちらをジッと見つめたまま車椅子に押されている。


 俺は会釈をした。体が勝手に動いていた。


 この人が何者なのか知っていて、俺にとって大切な人だ、と思ったから。


 その人は指を指して言う。


「真。マコト。」


 ゾワッ、鳥肌が体を支配する。


 途端にこの人の顔、声、その全てが一致していく。


「マコトのお母さん。」


 目を見開くマコトの母。


「はじめまして。」


 いろいろと急展開でついて行けてなさそうな青色の服の女性はやっと理解した様で車椅子を墓の方まで押してくれた。


「やっと、会えました。」


 彼と彼女に伝わるように言ってみる。


 すると彼女の目頭が水滴で一杯になっていく。


「思い出した。母さん全部思い出した。」


 車椅子に乗った彼女の伸ばした腕は細々としていた。


 それでも力強く、しっかりと墓を、まるで宥める様に撫でていた。


 後ろにいた青色の服の女性は同じ様に優しく見つめていた。


「ヒナコさん。日に日に忘れていっていたんです。」


 口を開いたその話はひどく辛いものだった。


「最近なんか箸の持ち方も、歩き方さえも忘れていたみたいに。」


「施設に来る時には、もう息子さんのことは覚えていませんでした。」


 きっと、ずっと彼女を守ってきたんだろう。


 だからこそこんなにも感情が出てしまう。


「でも、それじゃあ息子さんがあまりにも可哀想ではないですか。」


「だからよかった、よかった。」


 共に泣き出してしまった。


「浮かばれていればいいなあ。」


 その声はあの時あの場所で感じたものに近かった。


 私怨や憎悪、妬み嫉みも何もない、一つの愛。


「きっと笑ってますよ。」


 はっきり答えた。


「いや、笑ってますよ。絶対。」


 そこからずっと優しい沈黙だけが、流れた。


 少しの時間が経ち、陽は半分以上顔を隠してしまった。


 落ち着いてきた2人は、俺の方を向く。


「ねえ、あなたの名前、教えて欲しいの。」


 マコトの母はしっかりとした声で伝えてくれた。


「俺は東雲です。」


「東雲くん。ありがとう。」


 感謝された。


 何に感謝されたのか、よく分からなかった。


「マコトのこと大切に思ってくれてありがとう。」


 その瞬間俺は目頭が熱くなった。


 ぎゅっと目を瞑り堪える。


 泣いちゃだめだ。そう念じて。


 前を見た。


 そこには見たことのないはずの「母」がいた。


 あ、


「俺、は全然。なんも、してなくて。彼が、マコト、が。」


 口を開くたび涙が口に入る。


 どこかで傷ついた唇が沁みて痛みをつくりだす。


「もうちょっと、だけ。近くで、もっと。早く会えて、いればってずっと、ずっと。」


 溢れ出していく大粒の涙と一緒に思いも吐き出していく。


 俺は残念ながら彼の思惑通りになった。


 今、やるせない後悔だけが心に残ったまま。


 俺と共に溶けていく。


 だからこそちゃんと歩かなきゃ。


 マコトが笑って、泣いて、後悔して、その人生を。


「生きる」こと忘れないように。


 まだ涙は流れ続けている。


 それでも声が震えることはない。


「俺、ちゃんと生きます。」


「マコトがくれた。後悔も生きるってことも背負って。」


「いや、握りしめて、生きます。」


 そう言ってみると彼女の顔は色がついた。


 鮮やかな紅色。


 俺はお辞儀をする。


「ありがとう、ございます。」


 まだ分からないことばっかりだ。


 俺も、彼ら彼女らも全部、全部。


 分からない。だから導く。


 そんな時顔を照らしたのは、俺らの後ろから頭のてっぺんだけで街を照らす陽だけだった。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

 

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奈落夜行 @sanbashi0629

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