第六話 紬
ズビッと鼻を啜る彼。
「ところで君はなんでそこまで事件のこと覚えてるの?」
きっともう振り返らないと決めたんだろう。
弱い弱いと自分を追い詰めた彼なりの覚悟が見えた。
「ああ。実は...」と俺の身に起きた不可解なことを全て伝えた。
「不思議なこともあるもんだね。」
奇々怪界な物語を頷きながら聴いた彼はそう笑った。
「ここ自体不思議な場所だけどね。」
また彼は笑ってくれた。
幸せな時間が流れていく。
「あっち」では感じれない。
誰も見ず、聞かず、ただ、2人の「同じ人」が交わるだけの場所。
それでも少しずつ、暗闇が消え、花畑が広がる。
その度「彼」という存在が薄れていく。
そんな錯覚に陥った。
じっと彼を見ていると気づいてしまった。
「あ、ね。消えてるみたいだ。」
「やっぱり、なんだ。」
「そりゃそうだろう。僕は既に死んでるしね。」
俺は彼が死んでるとは、何故か思えなかった。
目の前にいてしっかりと気配を感じているのに、消えていって。
その感覚が寂しかった。
「でもね?僕は今、幸せだよ。」
「俺もだよ。ちゃんと喋れて嬉しいよ。」
「ははっ。それもあるけどね。もっと嬉しいんだよ。」
にこりと笑う彼は言う。
「僕が僕じゃなくなる前に、君に会えて、友達になれてさ。嬉しいんだよ。」
数秒の沈黙が流れた後、彼はどんどん顔を赤くしていく。
「あ、あれ。友達だと思ってたの僕だけかな。恥ずい...。」
そこでハッとして、ようやく分かった。
俺は初めてこんなに面と面を合わせてそんなこと言われたもんだからびっくりしていたんだ。
「いや、俺も友達だと思う。ふふっ。」
そう笑うと彼はホッとした表情をしていた。
なぜだろうか。彼は心地よい。
無限に幸せに包まれる。
ああ。コレは一縷の望みでも、少したりの慈悲でもない。
ただただ心の中で思ってしまった。
もっと早く生まれていれば。
もっと早く会えていれば。
君と、一緒にいれたのになあ。
「「離れたくないなあ。」」
同時にそう呟いた。
ふふっ、ははっ。また笑い声が響く。
よく見れば彼はもう「ここ」に留めることができなくなっていた。
「さあ、行ってこい。もう大丈夫だから。」
彼は笑みを浮かべながらも俺をしっかりと見つめていた。
灯が点る。
彼の目は清いビードロの様に輝いていた。
「最後に、教えてくれないか。」
「何を?」
「君の名前を。」
もうお別れの時だ。
親友が遠くへ行ってしまう時よりも、飼っていた犬が亡くなった時よりも、ずっと、ずっと、深く、辛かった。
「......俺の名前は、『
「かっこいい名前だ。カナデ...。」
「君は?」
「そうだった。君に言ってもらったんだから僕も言わなきゃ。」
「僕の名前は『
八重?
八重?!
「ふふふっ、あははっ!」
突然笑い出す俺に、奇怪な目を向けるマコト。
「ごめん、ごめん。名前に笑ったんじゃないんだ。」
「じゃ、じゃあなんだって言うんだよ。」
ちょっと拗ねてる彼は新鮮だった。
「いや、マコトに似てるなあって思ってた人、八重って名前だったから。ふふっ。」
「……親戚?」
「どんな奇跡?」
また笑いが起きた。
それでも大事なものは息をするたび消えていく。
瞬きの内に全て消えるかも知れない。
だから生きるのだ。
「そろそろ行かなきゃ。」
「……そっか。」
どうやら俺は気づかない内に悲しい表情をしていた様で。
彼はそれを見越したのか、それともハナから言うつもりだったのか。俺に最後の「後悔」を告げた。
「カナデは僕の分まで、たっくさん後悔して欲しい。」
「え。そういうのって『笑って欲しい』とかじゃないんだ。」
「そう言おうとも思ったんだけど、急に母の言葉を思い出したんだ。」
『生きるために
「僕が小学生の頃とかに言ってたかな。」
「大分深いね。」
「でしょ?小学生に言うセリフではないよね。」
「でも、うん。分かったよ。」
最後だ。
ちゃんと笑えているかなっていつも別れの時は考えてしまう。
でも今はどうだっていい。
きっと笑っているさ。
だって、君が笑っている。
それだけで、いいよ。
ここは花畑。
広くもなく、狭くもない。
ただ、そこには花の美しい香りだけが、あった。
ふと気がつくと俺は掌になにかを握りしめている。
左の手には空気の抜け切った風船を。
右の手には、一輪の花を。
俺は再び握りしめる。
今度は優しく、それでも失わないように。ぎゅっと。
そして踏みしめる。
君がいた、ここを。
生きるために。
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