第五話 がらくた
正直、「救う」方法なんて分かりやしない。
失敗したっておかしくない。むしろ失敗する方が可能性的には高いだろう。
それでも。あの時の彼の感情と八重の顔を思い出せばなんとなく、できる気がする。
ここは深いトンネルの中。
目を瞑っているかの如く視界を遮る闇は心地よくて、少し不安で。
そこで気がつく。しっかりと踏みしめてた筈の地面が泥のように俺の足を奪っていく。
その泥は思考すら奪っていくように、俺はまた体が一回転したような感覚に陥る。
また深い深い深い底へと向かっていく。
これは...。
『すみません』
『いや、すみませんじゃなくて。金は?』
『...もう許してください。』
『あのさあ、俺らは相手してあげてるんだよ?ぼっちの君を!』
ボコッ
顔に熱い痛みが走る。
『すみません。』
『君さあ、そうやって謝ればいいと思ってんの?大人だよね?』
下げた頭の目の先には初めて作って提出した資料たちの残骸。
クスクスと周りからは煽ったような声が響く。
『はやく死ねばいいのに。』
どこかで、僕に向かってはっきりと、聞こえた。
ずっと反芻してる。
死ねばいいのに。
死ねばいいのに。
死ねばいいのに。
気づけば前にはちょうど良い大きさの輪。
手を伸ばす。
「母さん。⬜︎⬜︎の味方だから。ずっと。」
僕は歩く。
そこは色とりどりの花畑。
そこにいる人に頑張って話しかけて。
ちゃんと貰ったもの、ぎゅっと抱えて。
踏み出した先は、真っ暗闇。
これは。
きっと彼の、君の生か。
「...ザん。」
悪臭が鼻をつく。
気分どころか体調すら悪くするその臭いは害を成す「偶像」そのものだろう。
大分限界なのだとようやっと気づけた。
彼は四足歩行のようだ。
どちらかと言うと二足歩行だった生物が這いつくばっているようにも見える。
「よう。」
声を発した瞬間、彼は泣き叫んだ。
悲痛とも怒号とも捉えらる音だった。
鼓膜は震え、体は強張る。
彼は危険だと全身が感じ取っても俺の感情だけはほぼ平常心を保つ。
「君は後悔している。」
気にせず話を続ける俺にイラついているようにもう一度大きく叫んだ。
これは人間の声ではないだろう。
例えるとすれば獅子とか虎とかの猛獣の声だ。
それでも気持ちを、声に乗せた感情が伝わるのは、彼を知っているからだろうか。
「どうして?君は何故後悔しているんだ?」
グサグサと彼には効くのかより一層怒らせたようだ。
止まったままだった4本足の内2本がいつしか俺の耳元へと殺意を持って向かっていた。
もちろん反応は出来ない。
それでも無事だったのは八重が渡した「瓦楽多」がいつの間にか形を成していたからだ。
そう、さっきまでの空気の抜けた風船は禍々しい「大鎌」となって俺を守った。
流石に驚いたのか彼は「ガがギギぃ」と鳴りながら後退りした。
その鎌はよく見ると取っ手に何かが刻んであった。
何故だろうか、暗闇でもしっかりと読めた。
「柴野門左衛門」単調で古い字で書かれた「それ」は意味ありげに深く刻み込まれていた。
そこで気づいたがこれはやけに軽かった。
巨大な鎌とは思えぬほど軽いこれは体感、風船の刀くらいの重さだろう。
まあ特に気にせず、くるりと鎌を回して持ちやすくする。
「グらぁらぁ」と喉を鳴らす彼は威嚇しているのか、はたまたなんなのか。
一度深く深呼吸した。
そうだ。終わらせてやるんだろ。
「これは勝手な俺の考察だ。」
さっきまでの殺意は少しだけ和らいだ、気がした。
「違ったら違ったで、なんもない。」
「それでも聞いてくれるか。」
落ち着いた俺をみて彼は共に落ち着いたようだ。
「俺が君から「見た」のは、「大量の履歴書」、「ひどい悪臭」、そして「誰かに対する後悔」だ。」
彼は何も言わない。
「そこで、俺はある「事故」を思い出した。」
「共和町1丁目トラックによる死亡事故」
ピクリと彼は動いた。
「酷い事件だった。事故死したのは31歳の男性。引きこもっていたそうだ。」
彼の前足?が、どたん、と位置を変える。
「なぜ引きこもりの彼がその日だけ外にいたのか、なぜ事故彼が事故直前に花束を購入したのか不明。唯一の親族だった母親は事件のショックで認知症が加速。」
「ウぞ、ダ」と彼は喉の奥から音を鳴らすが言葉かどうかはわからない。「嘘だ」に聞こえるのは気のせいか?
「警察の調べでは外出していた理由はその日、自殺をしようとしていたのではないか。と報道された。」
「チがう、う、わるルく」
「花束の意味は不明だがなんらかの演出だろう、と見解をつけた。」
「ちが、違ウ。ち、がう!」
次第に荒ぶる彼は必死に言葉を紡いでいく。
それでも伝えなくては。全てを。
「この事件はこれにて解明。捜査は終了した。」
「違う!」はっきりと聞こえた。
目の前にいるのは真っ黒な彼ではなく、ただ一人の「人間」であった。
「違う!ぼくは、僕は!」
「でも、俺は違うと思う。」
「...は?」
「俺は、違うと思う!」もう一度今度は迷いなく真っ直ぐに。
「いや、聞こえなかったんじゃなくて、その、どういうこと?」
訳がわからないようで彼は迷いの目を俺に向けた。
「別に警察の捜査が悪かった訳じゃない。ちゃんと調べたんだろうな。それはわかってる。」
彼は黙り込んだ。
「物的証拠なんて花と引きこもってた事実ぐらいしかなくて、家宅捜査に入ったところでそこにあるのは大量の履歴書だろ?」
「分からなくなるのも変じゃない。というより分からないだろう。」
彼は俯いてしまった。
「でも俺はもう一つ、唯一の証拠があるんだよ。」
「俺は君の中に入って君が何を思って、あの日外にいたのか、知ってる。だから分かる。」
ちゃんと伝えたくて。
彼と、彼をちゃんと見てあげたくて焦りで言葉が変になる。
「でも知ってるよ。君は後悔してた。」
続けて今度は俺が言葉を紡ぐ。
「自殺したい奴があんな気持ちで花束抱えれるとは思えない。」
彼は黙ったまま俺を見つめる。
俺もジッと一時も彼の目から離すことはなかった。
「僕は、会社でいじめを受けてきたんだ。」
ポツポツと独り言のように彼は口から吐き出していく。
「それだけじゃない。昔から弱かった僕は学校なんかでもいじめられてた。」
「でも相談できなかった。たとえ靴を捨てられようが教科書をビリビリに破かれたって、シングルマザーだった母に負担をかけたくなかった。」
声が震えている。
「相談できるような仲の友達はいなくて、今思えば誰にも愛されていなかった、そう思うんだ。」
「それでも。もう一度だけ、あの人と話したくて。」
俺は息を深く吸う。
「負け犬なんかじゃない。」
「君は負け犬なんかじゃない。立派だった。」
「慰めでも、慈悲でもない。本気で君は生きてきた。たとえ誰にバカにされても、いじめられても、たった一人で生きてきた。」
「でも一個だけ。間違いを犯した。」
「君は母を信用できなかった。いや信頼しようと歩み寄らなかった。」
「信頼してみようと踏み出したのが遅すぎたのかもしれない。」
ぴくっと瞼が動く。
内心荒ぶっていく俺の心を落ち着かせようとすればするほど何故か泣きたくなる。
彼はきっと独りで、あの暗い場所で、ずっと、ずっと悩んで、戦ったんだろう。
誰にも言えない、気づかれない。それでもずっと。
遂に俺は大粒の雫を目から溢した。
「それでも...」
「...世界で一番大切だったろうよ。君の母は君が...。」
「じゃなきゃ、さ、君を育てないだろ。」
目の前の彼を見て理解した。
泣いていたのは俺じゃなくて、君だってこと。
「薄々気づいてて、でもその頃の君はきっと気づけなかった。ボロボロになってたんだ。確かに分かる。」
嗚咽を流しながら彼は今まで溜めた全部を吐き出していく。
「コレだけは言えるよ。愛してたよ。世界で一番、君を。」
確かに愛を、あの時俺だけが感じた美しい愛を、きちんと伝えれた。気がする。
「.....ごめんなさい。母さん、ごめん。」
ここは暗いどこかの場所だろう。
それでも彼の涙が溢れるたび「ここ」は美しい花畑となっていく。
「...あの花は、母にあげようと思ってたんだけどな。」
「母さんの好きな花だったんだけど、ミスったなあ。」
少しずつ泣き止む彼。
「あげたかったな。」
あの時よりも美しい後悔がそこにはある。
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