第四話 這う


 俺はさっきまでの明るさとは対極の暗闇で息をしている。


 周りを見渡そうとしても体は動かない。


 金縛りなのか夢なのか。


 ただ、ただ、わかることは一つ。


 「あの場所」の臭いだけが充満していた。


 コンコン。ふとドアからノックする音がした。


 すると微動だにしなかった体は嘘かのようにグリンと首を回した。


 一瞬見えた部屋の中は履歴書?で足の踏み場もなさそうだった。


「........あのね?聞いてくれる⬜︎⬜︎?」


 ノイズが走ってよく聞こえない。


「私は。私だけはあなたの味方だからね。」


 誰かも、なんでそんなことを言うのか理由すらも分からない。


 それでも優しさとの憎悪だけが渦巻いているのは分かった。


「...起きや、お客さん。」


 そう声が聞こえた瞬間に俺は、最早見慣れた明るさに目をやられた。


 状況が分からない俺は二人の顔から気を失っていたのだと理解した。


 ぐわんと視界が一回転して強烈な目眩と共に体ごとひっくり返ってしまう。そんな感覚さえ覚える。


「東雲様。東雲様。しっかりしてください。」


 そんな風に焦る声色の八重は続けて聞く。


「東雲様。まさか、に入ったのですか?」


「たぶん、そう。」


 ぐっちゃぐちゃになった脳内から捻り出すように出た声は八重に驚きの表情を与えた。


「やはり、先代と...。」八重の独り言に陸奥さんは何も突っ込むことはなかった。


 ようやっと目眩が消え始めた、その時。


「ゴオォン」と地面が揺れた。


 棚にあるレトロなカップは踊りだし、地面に叩きつけられる。


 地震?急いで身を隠そうとすると揺れはいつのまにか消えていた。


 随分と短い地震。


「なあ、今のは。」


「彼らの仕業ですね。」それより、と言った感じで話を続ける。


「何を見ました?貴方様ではないあなたの中で。」


「えっと、真っ暗な部屋、大量の履歴書、誰かの声が聞こえた。」


「成程。ではその声に、どんな感覚を思いましたか?」


「あ、ああ。優しい感じがした。どっかで聞いたようなそんな。」


「そうですか...。」そう告げた八重はなんとも言えない面でどこかを見つめていた。


「いや、やはり行かせます。」決意の表情へと変わった八重は俺の方に歩いてきた。


「ついてきてください。」


 今までの中で最も真面目な顔の八重は俺は引きずるように店を出た。


 手首を引かれて早足の八重に追いつこうと小走りで進む。


 それでも八重は俺にスピードを合わせるどころか徐々に加速していく。


 その速さに少しずつついていけなくなった俺は躓きそうになり思わず手を振り解いた。


「ちょ、っとまってくれ。」上がった息とその声だけが宙に霧散した。


 振り返った八重は何故か泣きそうで。


「どうした?そんなに彼は危険な状態なのか?」


 半分は落ち着かせる為に、もう半分は単純な疑問として聞いた。


 俺がその質問で分かったことは、落ち着くなんて言葉を八重は知らないみたいだったことだ。


「...いいですか?東雲様。」


 なんでなんだよ。


「終わりというのは常に我々の後ろで微笑んでいるんです。」


 なんで。


「そしていざその時になればもう手遅れなんです。」


 どうして。


「だから私は見ていなければ。常に後ろを。」


 どうしてお前がそんな辛そうな顔をするんだよ。


「ですから私の我儘です。力尽くで送るのも一つの正解かもしれません。」


 ...あぁそうか。


「お願いします。貴方なら、貴方様ならば、彼を救える。」


 お前も、ひとりぼっちだったんだな。


「彼をおくっ、」


「分かったよ。」


「へ?」という今まで一番間抜けな声を上げた八重はポカンとしている。


「ただし、いいか?」


「なんでしょうか。」


「俺が危険になったらすぐ救出すること。」


「はい。」


「俺が彼を救えなかったら力尽くで送ること。」


「はい。」


「よし。引き続き案内よろしく。」


 そこまで言うと八重はまたしてもポカンと口を開けている。


「それだけですか?」


「なんだ?文句あんのかよ。」


「...いえ。参りましょう。」


 俺はこの日の八重の顔をよく思い出すことになる。


 あの日までこの顔を見ることは無くなってしまったから。


 少し歩いていくと、トンネルが見えてくる。


 踏切の向こうにポツンとあるトンネルは苔むしており、まるで異世界のようだ。


「この踏切を超え、トンネルに入れば彼がおります。」


「なるほどね。」


 確かに「そういうやつら」が出るにはもってこいのロケーションだろう。


「それと貴方様のポケットをみてください。」


「風船?」


「それも瓦楽多の一種です。」


「へえ。どう使うんだ?」


「それは彼らに近づけば自動的に形を形成します。」


「レーダー的な?便利だな。」


「ええ。私のイチオシです。」


 そう言う八重は少しだけ、笑った気がした。


「ここまででいいよ。案内ありがとう。」


「もう一つ。いいですか?」


 落ち着きという感情を思い出したみたいだった八重は俺に真っ直ぐ向き合いながら聞く。


「なぜ。なぜ、急に送ることに了承してくれたのですか?」


 でもまだ不安が目の奥に見える。


「まあ、あれだよ。成り行きというか。」


 どうにかして誤魔化そうとしたがそれは難しいようだ。


「...夢見も悪いしな。後悔したくねえんだよ。」


 それは本音だった。


「明日目が覚めてさ、また今日のこと思い出して、どうなったんだろう。救おうとしてたらどうなっただろう、とかさ。」


「考えれば考えるほど俺は俺が嫌いになる。」


「だから俺はなんでもやってみたいんだ。」


 それだけ残すと八重は深く深くお辞儀をして俺を見送ってくれた。


 俺はそれを横目に歩く。喫茶店で聞いた話を思い出しながら。


..........『滅ぶのですよ。この地、「奈楽」と現世が。』


 お前はそれでも力尽くで送るのが嫌なんだろ。


 きっとひとりぼっちだったから


 残念ながら俺は人の心も読めないし、ましてや聞き出す会話術なんて持ち合わせていない。


 それでも俺は向こう側で感じた感情を忘れることだけはしない。


 できやしないさ。


 なんたってあの感情は、優しさと憎悪を同時に感じるのは、たった一つ「」だけだ。


 


 


 

 

 

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