言霊

白雪花房

夢宮奏 今は存在しない女の名

 ある春、私は夢を叶えた。

 過程を省いて結果を得るような、インチキなやり方で。


 なにも得られなない人生。

 平凡な会社に勤め、帰るとベッドに寝転がりくすんだ天井へ手を伸ばす。

 飲めば願いが叶う魔法の粉があればいいのにと、本気で思っていた。


 それがむなしさに繋がるとも知らずに。



 二年前の冬、路地裏で謎の能力者と出会う。

「口に出せば望みが叶う言霊。レンタルだよ」

 フードを深く被った女性の姿は、あからさまに怪しい。


「期限内なら使いたい放題だね。返金にも対応するよ」

 私はニヤリとした。

 信じたわけではない。

 刺激が欲しかっただけだ。

 おかしな薬で遊ぶつもりで、身を乗り出す。


 すると、手のひらに蛍のような光が集まり、吸い込まれた。


 困惑している間にあたりは薄暗くなる。

 占い師もどきの影はすでにない。

 ぞわりと冷たい感覚が、背を撫でた。



 小学生のころ、ネットのおまじないを片っ端から試した覚えがある。

 毎日のように占いのサイトにアクセスし、一喜一憂していた。


 言霊については、半信半疑。

 気まぐれに試してみると、本当に小さな願いが叶った。

 そうと分かれば、使わない理由がない。

 私はどんどん奇跡の力にのめり込んでいった。 



 夕方、家に帰る。

 着替えのためにクローゼットを開くと、ブランド物の服がズラッと並んでいた。

 昼間は洗練されたファッションに身を包み、背筋を伸ばして街を歩く。

 芸能人になった気分だった。


 春が来る。

 ピンクの小物に囲まれた部屋。窓の外には桜が咲いていた。

 天井から降ってきたハーゲンダッツを食べ、虚空を見つめる。

 頭をよぎったのは、将来の夢。

 テレビに映るアイドルの輝かしい姿に憧れた。

 今なら叶うかもしれない。ほのかな思いを夢に託し、唱えた。

「私はみんなに歌を届けるんだ」


 本格的に暖かくなり始めたころ。

 夢宮奏という名でy◯utubeに歌を投稿すると、一気に伸びた。

「この透明感、もっと評価されるべき」

「100万再生の内の100分の1は、俺です」

「このサビ、気持ちよすぎだろ!」

「>>3:24」

 毎秒更新されるコメントに、ニヤニヤが止まらない。


 反響が反響を呼び、人気が加速する。

 一年後にはCDを出し、単独でライブに出演。


 四月、幕張メッセの会場は熱気に包まれ、人の臭いでむせ返っていた。

 広々としたステージの真ん中で、スポットライトを独占する。

 フレアスリーブの衣装を着て、ミニスカートでターン。

 左腕を大きく広げ、花の唇で歌詞をつむぐ。

 透明感のある声を響き渡らせると、観客が息を呑む音が聞こえた。


 初めてのライブは盛況の内に幕を閉じる。

 ここから先もさらなる絶頂が待ち受けていると、信じて疑わなかった。



 夢宮奏になってからの人生は順調だった。

 朝番組で占いを見て、望んだ通りの結果を受け取る。

 自分のために運命を操る全能感。

 実際は逆におのれが能力に操られていることに、私はまだ気付かない。



 暑い夏、エアコンのきいた室内で、スマホとにらめっこする。

 近頃、アンチコメントが増え始めた。

「私を嫌う人全員、不幸になればいいのに」


 数日後、交通事故のニュースが載る。

 アンチの某Xのアカウントを覗くと、みんなして事件に巻き込まれていた。

 財布を落としたり、炎上したり、怪我をしたり。

 罰が当たったのだと大騒ぎ。

 まさか、自分のせい? 急に怖くなってきた。


 戸惑ったまま、秋を迎える。

 会社の昼休み、アングラなWEBニュースを閲覧中、見知った名が目に入った。

 同じタイミングで歌手として売れ出した、女だった気がする。

「陰で誹謗中傷!?」「裏垢」と字面が不穏だ。

 常日頃、きれいごとばかり語っていた相手だったけれど。


 いったいなにかやらかしたのか。

 予想はつく。

 珍しい話でもない。

「平和が大切」とのたまいながらヒトは武器を取り合い、差別を繰り返す。

 先日、寄付を求められて募金箱に札束を押し込んだら、裏でギャンブルに注ぎ込まれていた。


 そういえば私の歌にも愛や平和をテーマにしたものが、あったっけ。


「君が描く未来の幸福が、永遠でありますように」

 六月、新宿の結婚式にシックなドレスで出席した。

 愛の歌を受け取った花嫁。

 数ヶ月後には東京でイケメンに釣られ、不倫で離婚。

 永遠の誓いとはなんだったか。


 ぞくな願いは叶うのに、本当に大切なものは手に入らない。


 逆に私が歌手になれたのは、言霊のおかげ。

 偽りだらけの私では、世界を変えられない。

 インチキを失ったら、なにも残らない。

 会社の窓から覗く景色は、重たい鈍色に染まっていた。



 最後の冬。

 今回のライブで初めて披露する、オリジナル楽曲。

 最初で最後の熱唱。

 尖った歌詞をロックに乗せ、声を荒げる。


「愛や平和なんて言葉、大嫌い!

 きれいなだけの塵芥ちりあくた

 そんなもの信じない!

 この世は偽りだらけ!

 いっそ全部消え去ればよかったのに!」


 ほとばしる衝動をたたきつけ、おのれを解き放つ。

 なにもかもをさらけ出して裸になるつもりで、想いを託した。


 マイクを下ろし、ステージから降りる。

 観客の反応は分からない。

 よくも悪くも反響はなく、ぬるりと時は流れていく。


 そして、当時を振り返る暇もなく、言霊の力は失われた。

 夢宮奏のアカウントは人知れず削除された。


 四月、桜の木は早くも散り、オフィスには湿った匂いがただよっていた。

「夢宮奏って知ってる?」

「誰だそれ?」

 ネットでの活動をからかってきた同僚は、無感情にパソコンと向き合っていた。

 私は髪を垂らしながらうつむき、目をそらす。


 歌手としての活動に意味はなく、形も残らなかった。

 まるで冬から始まった二年間が、白日夢であったかのように。


 空虚さの中になぜか、満たされるものがある。


 言霊なんていらなかった。

 そんなものはなくたって、人は生きていける。

 運命が手元に戻ったのだと、ようやく実感。


 その晩は、安心して眠りについた。


 朝起きて窓を開けると、ポカポカとした空気に新鮮な流れが入り込む。

 緑の匂いを嗅ぎ、小鳥のかわいらしいさえずりが耳をかすめた。

 気分が上がったので、思いっきり息を吸い込む。

 デビュー曲を感覚だけで口ずさむと、よく通る声が出た。

 誰も知らない、私だけの歌。

 透き通るメロディは淡い青に溶け、麗らかな空へ響き渡る。

 どこまでも、どこまでも。

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言霊 白雪花房 @snowhite

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