終末世界と砂糖菓子
汐海有真(白木犀)
終末世界と砂糖菓子
――――この世界には、悲しいことが多すぎる。
今日も罪のない人間が沢山苦しめられて、沢山奪われて、沢山殺された。
わたしの住んでいる国はそこそこ平和だけれど、情報技術が高度に発展した現代社会では、電子機器一つあれば簡単に海の向こうの悲しみに触れることができる。
わたしは今日も放課後の高校の屋上でひとり、スマートフォンで遠くの国の戦争のニュースを見つめていた。胸が締め付けられて、胃の辺りがきゅうっと痛んだ。悲しみを直視することはやっぱり辛くて、でもわたしはそれを日々自分に課している。
わたしは心のどこかで、いつか世界を救いたいと思っていた。多分誰に話したとしても、笑い飛ばされてしまうだろう。わたしの取り柄は多少勉強ができることくらいで、他は何もない。誰もが羨む圧倒的な才能も、他者の心を動かす繊細な言語能力も、数多の人を惹き付けるカリスマ性も、ない。そんな人間が世界を救える訳ないって皆言うだろうし、わたし自身もよくわかっている。
それでも――世界を救いたいと思ってしまうことは、傲慢だろうか。
ただ、誰もが笑顔で生きていけるような世界があってほしいと望むことは、許されないだろうか。
スマートフォンを制服のポケットに仕舞い、わたしは金網に手を触れて深く息を吐いた。
屋上にいる生徒の喧騒が耳に届く中で、縋るように澄んだ青空を見る。
「かみ、さま…………」
はい、なんでしょうか、という声が右隣から聞こえた。ぎょっとして右隣を見ると、真っ白なひとが立っていた。地面にまで届く長い髪も、何故か六つある瞳も、着ている服も、数え切れないほどある手足も、全部真っ白だった。背丈はわたしの二倍くらいあった。
わたしはか細い悲鳴をあげて後ずさる。
「そんなに、おどろかないでください、あなたが、よびよせたのでは、ありませんか」
「え……かみさま、なの?」
「そうですよ、わたしは、とてもよい、かみさまです」
真っ白なひと――かみさまは、真っ白な唇をつり上げた。
わたしはばっと屋上を見渡した。他の生徒は誰もかみさまに興味を示すことなく、楽しそうに談笑したり、本のページを捲ったりしていた。
冷や汗をかきながら、もう一度かみさまの方を見る。
もしかしたらこのひとは、わたし以外の誰にも見えていないのではないだろうか……?
「よんでくださった、おれいに、わたしは、あなたの、みっつのねがいを、かなえます」
「願い、を……?」
「はい、ひとつめの、ねがいを、のべてください」
かみさまはそう言って、六つの目を細めて微笑んだ。
わたしはゆっくりと、呼吸を繰り返す。そうしていると、少しずつ頭が冷えていった。
そしてようやく、気が付いた。
わたしは今……絶好の機会を、与えられているのではないかと。
余りの嬉しさに、口角が歪む。わたしの存在は、このときのためにあったのだと思った。余りにもちっぽけな自分が、世界を救うことができる――――
わたしは、祈りを口にした。
「お願いします……この世界を、平和にしてください」
……一瞬視界が真っ白になって、思わず目を閉じた。
まぶたを上げるとそこには、かみさまが変わらぬ様子で佇んでいた。
何かが変わったのかと思って、神様から視線を逸らした。
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤――――
もう屋上に、他の生徒の姿はなかった。
ただ、真っ赤な液体ばかりが広がっていた。
「………………え」
わたしは金網の向こうを見た。
広がる町は至るところが赤くなっている。空だけが今までと変わらず、どうしようもなく澄み渡っていた。
わたしは呆然と、かみさまの方を見た。
「…………何、したの」
「あなたいがいのせいぶつを、すべてころしました、これで、せかいに、へいわがもたらされました」
「そん、な……違うっ! そんなの、違う! 違うっ……!」
わたしは叫んだ。
かみさまは微笑んだ。不気味なほどに柔らかい微笑みだった。
「それでは、ふたつめの、ねがいを、のべてください」
その言葉に、わたしは衝動的に言葉を並べ立てた。
「戻して! さっきまでの世界に、戻してよ!」
また、視界が真っ白になる。
あはははは、という声が聞こえてきた。目を開いたわたしは、楽しそうに笑い合う生徒たちの姿を見た。もう、ほんの少しも赤くなかった。金網の向こうの町並みもいつも通りだった。空は何も変わらない。かみさまも、何も、変わらない。
「さいごに、みっつめの、ねがいを、のべてください」
わたしは暫くの間、何も口にすることができなかった。
どうすれば、どうすれば、どうすればいいのだろう?
暴力をなくしてほしいと言えば手足を全てもぎ取られるかもしれない。悲しみを消し去ってほしいと言えば脳をつくり変えられるかもしれない。誰もが幸せでいてほしいと言えばこのひとの考える『幸せ』に閉じ込められるかもしれない。
わからない。
かみさまの価値観がわからない。
どうしたら、限りなく優しく、世界を救ってもらえるのかがわからない。
…………だめ、だ。
もう、三個目だ。
間違えてしまえば、取り返しが、つかなくなってしまう。
「…………平凡な、ショートケーキを、ください」
結局わたしが口にできたのは、そんな愚かな願いだった。
気付けばわたしの前からかみさまはいなくなっていて、わたしの両手の上には平凡なショートケーキが置かれていた。苺が人肉だったり、生クリームが人骨だったり、スポンジが皮膚だったり、そういうこともまるでない、極めて平凡なショートケーキだった。
捨ててしまいたかったけれど怖くてできなかった。
わたしは他の生徒たちに背を向けるようにして、ぼたぼたと涙を零しながらそれを食べた。
終末世界と砂糖菓子 汐海有真(白木犀) @tea_olive
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