Bred 'N Born

ナルコスカル

1923年11月7日、アメリカ某主要都市

 テーブルへと戻ってきたドラゴンスレイヤーの手には、それぞれ空のグラスとリンゴ果汁ジュースサイダーの瓶が握られている。自分から見て丸テーブルの正面に座るヴィヴィアンの目の前にそれらを置いた。


「私は酒が欲しいと言ったが?」


 自分のようなヒト種と違い、オオカミ獣人の長い口から葉巻の紫煙を吐き出しながら、ヴィヴィアンは足を組み直した。アメリカ政府が国民に禁酒を言い渡した激動の昨今、流行に囚われる事を、「フラッパー」と呼ばれる女たちを、ひとりのならず者として今でも心から嫌っているのだろう。ヴィヴィアンは、上等な仕立て屋に作らせているであろう男性用のスーツを身に纏い、長い髪を纏めもせずに真っ直ぐに伸ばしている。


 それは一種の強がりであると、ドラゴンスレイヤーはとうに見抜いている。器用に「尻尾を振って」生きられないから、そう生きたくはないから、ヴィヴィアンは自分がいかに有能で、この街を牛耳るマフィアの一つの幹部である事を示さなければいけないのだ。他人が一目見ただけでそれと分かるように。「あの、流行に乗るだけの尻軽女たちとは違う」と。


 今思えばひどい偏見だ。逆恨みにも近い。しかし、幸いにも彼女のボスは、女としての愛嬌よりもマフィアとしての成果を彼女に求めた。


 そして、それはドラゴンスレイヤーも同じだ。ボスの厚意で「一家」を抜けたとはいえ、今でもマフィアの世界から足を洗えずにいる。「もどき」に落ちぶれた分、ヴィヴィアンよりもたちが悪い。今でもスーツを羽織り、生まれ持った巻き毛の髪は肩の位置で切り揃えている。


「これで我慢して」


 そう言いながらドラゴンスレイヤーは、ヴィヴィアンを、かつての相棒を軽く睨んだ。「ボスの『タイピスト』たちの、レディー・ドラゴンスレイヤーとレディー・ヴィヴィアン」は、すでに別々の道を進む関係だ。それは今の自分が纏う紺色のスーツと、今でもグレーストライプのそれに腕や足を通しているヴィヴィアンからでも明らかだ。それが流通するまではM1897やM1912傑作ショットガン群を、その後はタイプライターという隠語で呼ばれる機関銃トミーガンを「脅しの名文句」にしていた日々は、たった2年前の過去だとしても戻らないのだ。


「今でも酒が憎いか?」

「ヴィヴィ、その話はしたくない」

「……そうだったな」


 ヴィヴィアンがその頭に被っていたグレーのハットをテーブルの上に置いたので、ドラゴンスレイヤーは自身の頭を覆っているネイビーのハットの鍔を僅かに下げた。自分はグレーストライプを捨てたが、かつての相棒は今でも少しは気遣いの心を残しているようだ。もっとも、気遣うならば最初からこの話を振るべきではないだろうに。


「私は『蜂の巣』をこれ以上増やしたくないだけ」


 ドラゴンスレイヤーは横目でバーのカウンターを窺う。そこに置かれた真空管式のラジオとスピーカーには、この場所の「秩序」を勝ち取る為に繰り広げられた激戦の痕跡が生々しく刻まれている。この街の現状を知る為に修理を試みたが、一介の闇酒場であるここに交換用の部品は見当たらなかった。


 それにしても、ヴィヴィアンがくゆらす葉巻の匂いは随分と上等だ。吐き気を催す怪物の血と、割れた瓶から立ち込める安酒の悪臭が和らぐ。


リボルバー拳銃ピースメーカーの私よりも、自動ショットガンオート5を振り回す誰かが開けた『巣穴』の方が多い気がするが? なあ、屠龍とりゅう?」


 ヴィヴィアンがテーブルの上とドラゴンスレイヤーの顔を交互に見渡した。ドラゴンスレイヤーも視線を落とす。


 テーブルの上にはヴィヴィアンの愛銃であるピースメーカーが置かれ、自分の席である椅子の背もたれにはガンスリングでかけた短銃身ショートバレル肩当てなしソードオフ仕様のオート5が吊るされている。この街の駅で脱ぎ捨てたコートの下に護身用として持ち歩いていたドラゴンスレイヤーのそれの残弾は2。替えの服や化粧道具と一緒に予備の弾を入れていた鞄は、怪物の頭を殴りつける為に使ってしまった。


 これらの銃は「仕事道具」であったタイプライターなどと異なり、それぞれの「趣味の品」だ。ヴィヴィアンは今でも現場に出る際はそのはずだが、ドラゴンスレイヤーも一家に属していた当時は右手に握った「仕事道具」の他に、スーツの上から特注のガンベルトを肩から下げ、そこに愛銃を差して「仕事」をしていた。


 「姐さん、これからドラゴンでも狩りに行くんですかい?」と部下が放った冗談が「今の名前」の由来だ。あの頃は、ヴィヴィアンと組むならば架空の怪物さえ怖くはなかった。正真正銘の怪物と対峙した後では、その自信は傲慢だと知ったが。


「ねえ、ヒトのおばあちゃん」


 そう言われて、ドラゴンスレイヤーは我に返った。「おばあちゃん」と呼ばれた事には目を瞑っておこう。白髪が多くなってきた自分は、もう若くない事を自覚している。2年前よりも毛並みがさらに薄い灰色へと変わってきたヴィヴィアンも同様だろう。


「あたしもグラスがほしい。いっぱい走ったしたたかったから、のどがかわいちゃった」


 ドラゴンスレイヤーにそう投げかけたのは、丸テーブルの左側に座るヒト種の少女だった。「今風」と表現するのが適しているワンピース姿で、ブロンドの髪は眉と唇の高さで切り揃えたボブカットだ。だが、その少女の両手は銃弾特殊装填拳銃C96の給弾クリップに弾を込め続けている。

 

 時には人殺しさえ厭わないマフィアの幹部並みに肝が据わっているこの少女は何者だろうか。今は11月だというのに、薄手のワンピース一枚だけを纏っているに等しい小さな体は、一切震えていない。それどころか、肩から下げたポシェットから弾丸を取り出してテーブルに広げては、給弾クリップへと慣れた手つきで込めている。


「……ちょっと待ってて」


 そう言って、ドラゴンスレイヤーは再度カウンターへと向かった。少女相手だとしても、今は不躾な問いかけで不和を起こす気にはなれない。この子の銃の狙いは年齢に逆らえないドラゴンスレイヤーよりも正確で、華奢な片腕だけでその反動を完全に受け止めている。可能であるのなら、ここから先も味方であり続けてくれた方が心強い。


 だが、おそらくは、この不可解で不気味な夜の中で、彼女の真相が明るみに出るのだろう。その時に、自分とヴィヴィアンは選択する事になる。自分たちが鉛玉を食らわせた怪物ほどではないが、この少女も容姿以外は十分に異様だ。


 銃の反動は、大の大人でも受け止めるのに難儀する。龍殺しの通り名で今もならず者たちから恐れられている自分でさえ、初めて引き金を引いた時は火薬がもたらす圧倒的な力で尻餅をついた。


 片手に一つずつグラスを持って、ドラゴンスレイヤーがテーブルに戻ってきた。その一つを少女が弾を込めた給弾クリップの隣に置いた。それから、もう一つを自分から見て右側に座る、先ほどから右手で口を押さえて絶句したまま着席しているカラカル獣人の得物である、テーブルの上の自動拳銃P08の隣に置いた。


 ドラゴンスレイヤーが自分の席に座ると、ヴィヴィアンが彼に吸いかけの葉巻を差し出した。


「ほら、吸え、坊や。この大陸の先住民はパイプを回し吸いするらしい。どの国でも、似たようなものだな」


 彼の服装こそ、白シャツの上に赤いカーディガンを羽織り、下はグレーのスラックス、毛並みと同じ赤茶色のオールバックの髪をベージュのハンチング帽で隠している、一般的なアメリカ人と大差ない格好だ。だが、この民族国家であるアメリカでさえカラカル獣人は珍しい。おそらく、アジアかアフリカの生まれだろう。ヴィヴィアンの言葉は、彼がアジア出身であり水タバコに慣れ親しんでいると決めつけたものだった。


 ヒト種の自分や少女、オオカミ獣人のヴィヴィアン、カラカル獣人の彼がそうであるように、人は哺乳類のみだ。つまり、ドラゴンスレイヤーたちが屠った翼や触手を持つ化け物は、それだけで人から外れた存在だと分かる。


「…………ごめんなさい…………今はそんな気分じゃ…………」


 口を押さえたまま彼は呟いた。もしも彼がヒト種であるなら、その相貌は青ざめている事だろう。


「ヴィヴィ。化け物と言ってもたぶん人だったものを撃った今は、そっとしておいてあげて」

「これは失敬。こっちの子猫ちゃんは躊躇いがないから、てっきり子猫の坊やも同じかと」

「あたしは子猫じゃない、ガブリエラ。それに、こうしなきゃ生きのこれない」

「ごもっともで」


 少女の訂正に返答したヴィヴィアンは、またもや葉巻に口をつけた。ドラゴンスレイヤーはサイダーの瓶を手に取り、3人のグラスへとその中身である果汁ジュースを三等分した。自分は何かを喉に通す気分ではない。


 それにしても、ガブリエラとはいい名前だ。少なくとも龍殺しより天使の方が、女の名前として相応しい。ドラゴンスレイヤーは本来の名を少女時代に、酒に溺れ実の娘に手を出そうとした父親の喉をナイフで切り裂いた時に捨てた。


 初老と呼ばれる年齢になったが、ドラゴンスレイヤーはこれまで酒を一滴たりとも呑んだ事はない。駆け出しの構成員だった頃は極度の下戸と嘘をつき、幹部に成り上がってからはそれを必要とせず拒否できるようになった。


 ドラゴンスレイヤーは酒場のカウンターを睨んだ。その奥の小部屋には、多くの奇妙な死体が詰め込まれている。かろうじて人の形から翼を生やしただけに留めている者は、凄まじい形相を浮かべて事切れている。人の形を保っていない者は、人の衣服に身を包んだ何枚もの翼や、タコのような軟体生物の触手や、なんらかの肉と骨の集合体だ。


 そのおぞましい者たちの骸は、4人によって作られたものだ。この酒場だけではない。この街の駅からここに辿り着くまでに、4人は何度も自分たちに襲いかかってくる怪物どもに向かって銃の引き金を引いた。


 自分たちの「馴れ初め」は、さほど劇的なものではない。ドラゴンスレイヤーが乗っていた列車に、偶然にも街に戻る途中であるヴィヴィアンの姿があった。一家を抜けたドラゴンスレイヤーがこの街に戻る事について小さな口論を繰り広げていると、列車は物々しい雰囲気の駅に到着した。


 列車の車窓から確認すると、ホームには客どころか駅員さえ見当たらない。列車から降りた乗客たちや鉄道員たちが駅構内を見渡していると、物陰に潜んでいた怪物どもが襲いかかってきたのだ。元マフィアの幹部や現役幹部として銃が体の一部になっているドラゴンスレイヤーとヴィヴィアンは応戦できたが、大部分の客は悲鳴を上げながら怪物の爪や嘴、あるいは矢のように飛ばした羽根や蠢くタコの足で次々と血祭りにされていった。


 自分とヴィヴィアンが構内からの脱出経路を考えていると、人々の悲鳴や怪物の金切り声や雄叫びに混じって、自分たちではない二つの銃声が轟いていた。それは異形へと淡々と銃口を向けるガブリエラと、半狂乱で乱射するカラカル獣人の青年のものであった。ドラゴンスレイヤーとヴィヴィアンは素早くふたりに声をかけ、非常事態による共闘を結んだ。そして、4人分の武力を結集させて駅から脱出した。


 深い霧が立ち込めた街の中も構内と大差がなく、いたるところから異形の者たちが飛び出してきた。それでも、ドラゴンスレイヤーとヴィヴィアンの土地勘を活かし、怪物たちの追跡を躱しながら、同業者の中で最もさびれた場所に店を構える、一家の末端の一つである闇酒場へと潜り込んだ。そして、そこにも蔓延る怪物を退治し、一息ついた今に至る。


「ヴィヴィ、知ってる事は何でも言って。あの化け物は何? あなたの国にも似たようなものがいた?」

「屠龍、日本の巫師ふしを全能の魔術師か何かと今でも勘違いしてないか?」

「してない」


 相棒時代からそうであるように、ドラゴンスレイヤーとヴィヴィアンは互いの身の上を全て明かした事はない。それでも、かつて繰り広げた雑談によると、彼女は東アジアの島国の生まれで、当時はまじないや占いを司るヒト種とオオカミ獣人の一族に属していたらしい。彼女が語ったところによると、それらは一種の会話術で、人智を超えた奇跡ではないらしい。もっとも、おぞましい怪物をこの目で見た今は、それの実在を疑ってしまう。


「なら、いい。まあ、この街で噂を聞いた事がある。屠龍が身支度をしていた時期からだな。『人魚の泉』やら、『有翼の夜』と」

「あたしもママからきいたことある」


 ヴィヴィアンの言葉にガブリエラが続けた。ドラゴンスレイヤーは、そのようなものの話は初耳だった。かつての相棒の口振りから、ドラゴンスレイヤーは当時の自分を想起した。あの頃は、一家を抜ける事による新たな生活への期待と不安で頭の中が占領されていた。


「そちらの子猫くんは?」

「ヴィヴィ……」


 青年へと問いかけるヴィヴィアンを、ドラゴンスレイヤーは窘める。彼女は長い顎が伸びた頭を横に振って食い下がった。


「いや、屠龍。情報交換は必要だ。そのラジオが直らないなら尚更」


 ヴィヴィアンの視線をドラゴンスレイヤーも追いかける。4人が放った流れ弾によって、ラジオは完全に故障している。怪物退治の最中さいちゅうに、ドラゴンスレイヤーは床に転がるそれを蹴飛ばす事さえした。


 もっとも、この街の現状から察するに、仮にラジオが無事であったとしても、そこから流れてくるのは雑音のみだろう。通信網が途絶されていたらアメリカ軍の迅速な出動も怪しい。つまり、ヴィヴィアンの言い分は全くもって理にかなっている。


「……分かった。でも、まずはヴィヴィから話して」

「こういう話を笑い飛ばす為に酒が欲しいところだが、ただのジュースで我慢しておくか」


 ドラゴンスレイヤーに促されたヴィヴィアンは、その言葉に続けて、彼女が噂に聞いた「人魚の泉」を語り始めた。その諸所でガブリエラが口を挟む。


 彼女ら曰く、この街は違法酒に溺れる前から、「人魚の泉」なるものを抱えていたらしい。区画整備工事の際に湧き出たそれは、水であるはずなのに飲めば甘く、酒の如く酔いが回ると言われた。泉の元々の所有者は、とある富豪やこの街の大学が管理していたという複数の説があるが、いずれにせよ真相は不明らしい。その後、この街を裏から牛耳るマフィアのうちの、どこかの一勢力が「人魚の泉」を手に入れ、その水は違法酒のかさ増しの為に混入され続けてきたとの事だ。


 マフィアたちの違法酒がのさばり始めた頃、「妙な連中が増え始めた」という噂も流れた。正気を失った者や、異形と化した者が出没するようになったようだ。これまでくだらない怪談話として「人魚の泉」ともども笑い物にされてきたが、その「動かぬ証拠」がこの酒場の小部屋に詰め込まれている。


「これが、私が聞いた『人魚の泉』の噂だ」

「あたしがきいた話もだいたいおんなじ」

「私がいない間にこんな事が……」

「屠龍は違法酒どころか酒そのものに否定的だったからな。一家の誰だってわざわざ言う気にもなれないし、そんな事でいちいち手紙も出さないだろ」


 散らかった酒場の床へと葉巻の灰を落としながら、ヴィヴィアンが長い顎の先の鼻で笑った。その言葉通り、ドラゴンスレイヤーは酒を毛嫌いしており、一家を去った決定的な理由は、ボスが違法酒に手を出す事を決めたからだ。ボスは右腕のひとりであるドラゴンスレイヤーに配慮していたが、やはり他のファミリーが多額の利益を出している事業を傍観し続けるのは不可能だった。


 マフィアの構成員が己の家を出る時は、その代償は基本的に己の命そのものか、命よりも大切な何かだ。だが、一家の中で唯一酒の味を知らなかったほど信念を貫き通しているドラゴンスレイヤーがボスから言い渡された対価は、左手の薬指一本だけだった。おそらく、ヴィヴィアンがそれで許すようにボスへ懇願してくれたのだろう。反省や罰として指を切り落とす行為は、ヴィヴィアンの故郷におけるならず者の作法と聞く。それに関しては、口には出さないが感謝している。


 だが、自分は今でも酒が嫌いだ。酒は恋と同じだ。人を狂わせる。


「…………実は、僕は『人魚の泉』を追ってこの街に来ました」

「あ、やっとちゃんとしゃべった」


 このテーブルの席に着いてから右手で口を覆っていたカラカル獣人の青年が、その手を外した。己の眼前に置かれている、赤い果汁ジュースが入ったグラスを掴むと、顔を天井に向けて一気に飲み干した。グラスの底で木製のテーブルを叩く音が酒場の中に転がる。


「いい飲みっぷりだな、子猫の坊や。これからもその調子で頼む」


 ヴィヴィアンが葉巻を床に投げ捨てると、足を組み直しながら、両手の指をベルトのバックルの上で交差させた。ドラゴンスレイヤーから見て、カラカル獣人の青年の瞳には生気が戻りつつある。


「子猫の坊やが元気になったところで、簡単な自己紹介といこう。私が最初で、時計回りでいいよな?」


 その問いかけに、ドラゴンスレイヤーも、ガブリエラやカラカルの彼も頷いた。


「生き延びるか野垂れ死ぬか分からないが、いずれにせよ最後まで背中を預ける仲になった。それから、これからどうしたいのかも言ってくれ。この街で戦い続けるのか、あるいは一目散に逃げるのか。最初に言っておくが、これは投票で、この先4人で同じ行動は絶対だ。そうじゃなければ絶対に生き残れない。私の言葉の意味が分かるよな?」

「あたしでもわかる」

「僕も同じです、レディー・ヴィヴィアン」

「屠龍は『ヴィヴィ』としか言ってないはずだが、どうして坊やが私の通り名を知ってる? ある程度『表』に出る下っ端と比べて、今は裏方が多い幹部である私の名前はそこまで有名じゃないぞ?」


 にやついた笑みを浮かべて見つめるヴィヴィアンに対して、カラカル獣人は無言で返答した。


「まあ、これから話す事に期待するか。今は時間が惜しい。じゃあ、私から始めるぞ。坊やが知ってる通り、私はレディー・ヴィヴィアン。この街のマフィアの一つで幹部をしている。屠龍、そっちのヒト種の婆さんとは腐れ縁だ。仲良くしてやってくれ」


 鋭い歯を剥き出して笑うヴィヴィアンの言葉で、少女と青年が自分の顔を見る。ドラゴンスレイヤーは思わず顔をしかめてオオカミ獣人を睨んだ。


「婆さんと呼ばれるのはまだ早い」

「ほら、これくらいの腐れ縁だ」


 そう言い放ったのち、ヴィヴィアンは己のグラスを持ち上げ、サイダーを喉に流した。「やはり酒が恋しいな。泉の毒の水が入ってるかもしれないが」と呟きながら、グラスを置いた。


「私はこの街に留まる事を選ぶ。マフィアの幹部が化け物ごときで怖気づいたら、他の街のファミリーに笑われる。それに、若くはない私と屠龍、若すぎる嬢ちゃんと坊やでも殺せたんだ。まだ生き残って戦ってる奴がいるかもしれない」


 ドラゴンスレイヤーが聞くかつての相棒の投票内容は、彼女の私情が多分に含まれている。だが、同時に一理も存在しているのは確かだ。あの怪物には銃が効く。自分たちが実証したその事実は揺るぎない。マフィアが蔓延るこの街では、「表」の人間や法執行機関に隠した「武器庫」が点在している。生存者がいてもおかしくはない。その者たちと合流できたら、自分たちが生き延びる可能性も大幅に上昇する。


 ドラゴンスレイヤーは、一旦は自分の意見を喉の奥に飲み込んだ。次に言葉を発したのはカラカルの青年だった。


「僕はジャクソンと言います。これはレディー・ヴィヴィアンやレディー・ドラゴンスレイヤーと同様に通り名で、故郷では現地の名前があります。僕はニューヨークのとある探偵社に所属しています。依頼主から頼まれて、この街に来ました。先ほど言った通り、『人魚の泉』の謎を追って。探偵の端くれですので、この街に来る前に、この街の裏社会の情報はある程度集めました。泉はマフィアが所有しているという噂でしたし。レディー・ヴィヴィアンやレディー・ドラゴンスレイヤーを存じていたのも、そういった理由です」


 カラカル獣人の青年、ジャクソンは言い淀む事はなく一気にそれを言い放った。まるで、あらかじめ練習していたかのように。とはいえ、探偵ならばその理由は不自然ではない。そして、無名の若い探偵とマフィアの幹部では、身分やその口から述べる言葉の信用の度合いはさほど変わらない。互いに、相手を背後から撃ち殺す可能性はある。だが、今は運命をともにする仲間である事だけは事実だ。


 ジャクソンは瞳を閉じて、一度だけ深呼吸する。再び一同へ見せたネコ科獣人特有の丸々としたそれには、明確な意志が宿っていた。


「僕もこの街に残る事を選びます。この依頼に失敗したら、会社に僕の居場所はありません。故郷も同じです。尻尾を巻いて逃げて、緩やかに死ぬくらいなら、ここで依頼を全うし生き残る可能性に賭けます」


 ジャクソンの言葉を聞いたヴィヴィアンが、肉球がついた手で小さな拍手を彼に送った。そして、ドラゴンスレイヤーを見る。


「これで現時点2対0だな。いいぞ、ジャクソン坊や。それではどうぞ、ヒト種の婆さん」


 ドラゴンスレイヤーはヴィヴィアンを睨んだ。彼女は自分の考えを察しているようだ。だが、まだ表決が固まったわけではない。ドラゴンスレイヤーは息を短く吸って吐くと、一同を見渡してから話し始めた。


「私はドラゴンスレイヤー。もちろんこの名前は通り名。本当の名前は、遠い昔に捨てた。そっちのオオカミ獣人の婆さんとは腐れ縁で」

「誰が婆さんだ。お前はショットガン一発撃つ度によろけそうになってるくせに」

「あなたが言い出した事でしょ……! ……今は別の街で用心棒みたいな事をしてて、この街にはやり残した事を終わらせる為に戻ってきた。だけど、それはあの化け物たちとは全く無関係の事。私はこの街から脱出する事に投票する……これは……私たちはどうこうできる段階じゃない……!」


 ドラゴンスレイヤーの訴えに対して、ヴィヴィアンもジャクソンも、そして次の番であるガブリエラもまた無言だった。ドラゴンスレイヤーが思わず小さく動揺を見せた。


「あなたたち、本気なの?」

「まあ、待て、屠龍。まだお前が負けたわけじゃない。それではどうぞ、ガブリエラ嬢ちゃん」


 ヴィヴィアンから手のひらを上に向けた右手で指されたガブリエラは、首をかしげて彼女を見つめ返した。


「ヴィヴィおばあちゃん。ヒト種のおばあちゃんのことはなんてよべばいいの? スレイヤーおばあちゃん? トリューおばあちゃん?」

「好きに呼べばいい。屠龍は日本の言葉だ。意味は変わらない」


 次の瞬間、己の真横に向けて愛銃を構えたガブリエラが引き金を引き、轟音が闇酒場の中に響き渡った。撃ち抜かれたのは、すでにいくつかの銃痕がついた出入り口のドアだ。その向こうで、何かが倒れる鈍い音がドラゴンスレイヤーの耳に届いた。


「お見事です」


 今度はジャクソンが、己の肉球の手で小さな拍手を奏でた。ワンピースの上に巻いているガンベルトに、ガブリエラが得物を戻した。


「じゃあ、トリューおばあちゃんで」

「『おばあちゃん』は余計だけど」

「それくらい我慢しろ、婆さん。私だって老人扱いは不本意だ」


 ドラゴンスレイヤーとヴィヴィアンの小さな口論を尻目に、ガブリエラは己の身の上を語り出した。


「あたしはガブリエラ。いつもはママと森の中のお家にすんでて、パパはこのまちにいるってママが言ってた。それから、ママがパパにあいに行っておいでって言ったから、れっしゃにのってた。えきについたら、こわいひとたちが来たから、銃で撃った。そのときに、おばあちゃんたちやジャクソンおにいちゃんが来た」

「……それだけ?」


 口を挟んだドラゴンスレイヤーの問いに、ガブリエラは再び首をかしげた。


「それだけって? まだなにかなきゃいけないの?」

「なんでこの街に来たかとか、銃の扱いは誰に教わったとか」

「ママとの『やくそく』。おぼえてない」

「お母さんとの約束って?」

「パパとぜったいあうこと」

「……ところで、ガブリエラ、あなたは今年で何歳?」

「しらない」

「……学校には行っているんですか?」


 今度はジャクソンが質問した。


「それってなに?」

「言葉はどうやって覚えたの? そもそも、11月なのに半袖のワンピース一枚で寒くないの?」

「おぼえてない。さむくない」

「…………」


 ドラゴンスレイヤーは絶句してしまった。この子の特徴と経歴は明らかに異質だ。もしかしたら、ガブリエラと彼女の親は、この惨劇になにかしらの形で関わりがあるのかもしれない。


「随分『重症』のようだな、ガブリエラ嬢ちゃんは」


 にやついた笑みを浮かべるヴィヴィアンに、ガブリエラがかしげたままの頭を向けた。


「あたし、なにかびょうきなの?」

「チャーミングだって言いたかっただけだ」

「ジャクソン、あなたがこの街に入る前に調べた情報に、ガブリエラや両親の事は?」


 ドラゴンスレイヤーの問いに、渋い表情を浮かべたジャクソンは首を左右に振った。


「この子の事は何も……両親と思しき人物についても見当がつきません……」

「素性が怪しいのはお互い様だ。それで、嬢ちゃんはこれからどうしたい?」


 ヴィヴィアンの言葉で頭を戻した少女は、はっきりと言い放った。


「パパにぜったいあう」

「よく言った、嬢ちゃん。これで決まりだな、屠龍」


 ドラゴンスレイヤーは右手で帽子の下の横髪を掴み、その正面の顔をしかめた。


「もう一度聞くけど、みんな本気なの? あんな化け物を相手にし続けるなんて、命がいくつあっても足りない」


 自分の言い分は間違っていないはずだ。同じ人間ならまだしも、異形の怪物の相手をする道理はない。この街から脱出して、軍隊か何かが事態を収束させるのを待てばいい。マフィアの幹部や探偵としては面目が潰れるだろうが、命がなければ面目そのものが存在しない。生きてさえいれば、あとでそれをいくらでも取り繕えられる。


 しかし、ドラゴンスレイヤーが見つめる3人の様子は、完全に覚悟が決まっていた。


「お前と違って私の家はこの街だけだ、屠龍。『掃除』は昔からやくざ者の仕事と決まっている」

「あたしもにげない。パパにあわなきゃいけない『やくそく』があるし」

「僕も……なんの収穫もないなんて、依頼主に合わせる顔がありません」


 ドラゴンスレイヤーは瞳を閉じて、深いため息をついた。それから、再び目を開け、座った椅子にかけていた愛銃を手に取って立ち上がり、それに結ばれたガンスリングで肩に吊り下げる。


「……まずは一家のアジトに向かいたい。武器がこれだけじゃ心許こころもとない」


 結局、自分はこういう生き方しかできない。たまに忘れたくなるが、自分は育ちどころか生まれも闇の中だ。待っているだけの「夢見る少女プリンセス」や「端役プレーン」を拒否し、マフィアの幹部を経て、今でも銃を手放せないのは、他の誰でもない自分の意志だ。


「うん、武器はだいじ」

「嬢ちゃん、マフィアの素質があるな」

「うん?」


 ガブリエラが立ち上がった。弾を込めた給弾クリップをポシェットの中に入れる。


「私も屠龍の意見に異論はない。お前にとっては久しぶりの『帰宅』になるな。あそこは今どうなってる事やら」

「ボスが無事だといいけど」

「ああ、私も心配だ」


 己の愛銃の暴発避けトリガーガードに指を通して銃回しガンプレイを披露するヴィヴィアンも、左手で帽子を頭に乗せながら立ち上がった。


「撃たなきゃやられる……仕方がない事ですし、依頼の遂行がなによりです」

「こわいひとたちは銃で撃てばだいじょうぶ」

「……はい」


 最後にジャクソンが立ち上がり、己の腰に巻いたベルトに愛銃を差し込んだ。


 ドラゴンスレイヤーが一同に向かって頷くと、一同が頷き返した。「それじゃあ、まずはアジトに」と言い出そうとした、その時だった。


「それと、『王子様』の確保もしなくちゃな。この街の復興には奴が必要になる。まあ、お互い生きていれば、の話だが」


 回した銃を空中に放り投げ、それの持ち手グリップを握って受け止め再度回し始めたヴィヴィアンが言い放った。


「あくまで武器と、彼じゃなくても生存者を見つける事が先決。それから、ボスと、ガブリエラの父親探しと、『人魚の泉』の謎が」

「ああ、そのつもりだ。あの自惚れ始めた優男やさおとこの代わりくらい、作ろうと思えばいくらでもできるはずだ」


 彼の事はドラゴンスレイヤーも知っている。むしろ、一家の幹部として何度か会っていた。彼は、この街を拠点に活動している歌手で、すでにその名は全米に知れ渡っている。ラジオをつければ彼の歌声が流れてくるのは珍しい事ではない。


 当初、彼は酒を嫌うドラゴンスレイヤーの為にボスが用意した、違法酒商売の代替手段だった。しかし、彼の歌は急速に多くの者を魅了し、それは彼と一家の繋がりを弱めるほどだった。ドラゴンスレイヤーがこの街を去る頃には、一家とは関係ない音楽業界や芸能業界の者たちが彼を取り巻いている状況だった。ゆえに、ボスはドラゴンスレイヤーに謝罪を述べてまで違法酒に手を出す事を決めたのだ。


 もしも、彼がまだ生きていて、この騒動が無事に終わりを迎えたら、彼の興行はこの街に多大な利益をもたらすだろう。だが、まずは自分が生き延びなければ何も始まらない。そして、仲間たちや怪物どもとは別に、自分はこの街でケリをつけなければならない事がある。一度は化け物の巣窟から逃げるつもりでいたが、ここに留まるなら、清算されていない自分の汚点に終止符を打つ絶好の機会だ。


「それじゃあ、行こう」


 ドアの前に移動したドラゴンスレイヤーは、その言葉とともに、闇酒場をあとにした。自分の背後には、この闇夜の中で戦い続ける仲間たちが続いた。














































「あなたはこういう想像をした事はありませんか? これまでとは全く違う新しい仕組みが、世界を支配する事を」

「馬鹿らしい。我々がこのミュンヘンで行なっている事こそ、歴史の1ページになる」

「それは否定しません。しかし、火薬が戦争の歴史を変えたように、ギロチンが政治の歴史を変えたように、大きな力は人を支配する能力があります。それを我々が独占するのです」

「無駄話はここまでだ。もしこの先、お前が私の下につくなら、それを好きなだけ探せ。今は現状に集中しろ、ハインリヒ・ヒムラー」

「そのお言葉、決して忘れません。アドルフ・ヒトラー殿」

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