通学路
執行 太樹
あの・・・・・・。隣、座っても良い?
握り棒を掴む手に、力が入った。バスに揺られながら、私は、座席に座っている1人の女の子に声をかけた。自分でも分かるくらい、いつもとは違う調子の声だった。
あっ、おねえちゃん。
女の子は私の顔を見るなり、わっと明るくなった。そして私の質問に、首を大きく縦に振って、うんと頷いた。
私は、女の子の隣に腰を下ろした。2人は、バスの座席に隣り合って座った。
乗客は、まばらだった。バスは、私たちを心地よく揺らしながら、いつもの夕陽の街並みを通り過ぎていく。
私は、児童養護施設で育った。入所したのは、3歳の頃らしい。らしいというのは、入所したときのことを、はっきりと覚えていなかったからだ。入所した理由も、詳しくは分かっていない。ただ、家が貧しくて、いつもお腹が空いていたということだけ、何となくだが覚えている。
私は小学校に入学した時、施設からバスで登校していた。私は小学生の頃、児童養護施設にいることを周りの友だちに話し出せなかった。なぜか自分でもわからなかったが、周りの友だちに、自分が施設で過ごしていることを知られたくなかった。今思えば、両親がおらず、他の子たちと違うということに、幼いながら引け目を感じていたのかもしれない。バスで登下校していることも、誰にも知られたくなかった。だから、学校ではみんなと遊んでいても、登下校はいつも1人ぼっちだった。そんな気持ちは、中学生になってからも続いた。
女の子と初めて出会ったのは3年前、私が高校生になったときだった。出会った場所は、このバスの中だった。高校に入学してからも友だちを作れず、登校を憂鬱に思っていた。そんなある雨の日に、バスに傘を忘れそうになった少女に声をかけたのがきっかけで、私たちは知り合いになった。
女の子とは、色んな話をした。仲の良い友達のこと、学校で流行っている遊びのこと、好きな男の子のこと・・・。本当に、色々話した。
ある日私は、なぜいつも夕方のバスに乗っているのか女の子に尋ねた。女の子は、自分が起立性調節障害を患っていることを教えてくれた。自律神経の働きが悪くなることにより、生活の中で様々な行動が困難になる病気だった。女の子の通っている小学校へは、お昼から登校しているらしく、保健室で1人、勉強をしているらしかった。だから、いつも下校が遅くなり、夕方のバスで私と一緒になるのだった。
女の子は、素直な子だった。自分の体調のことを、隠すことなく話してくれた。女の子は、自分に正直に生きていた。大変なはずなのに・・・・・・。苦労しているはずなのに・・・・・・。
自分に正直に生きよう。女の子を見ていて、私はそう思った。そして、ある日、私は女の子に自分が施設出身だということを打ち明けた。それを聞いて、女の子は、私に色々と質問してきた。私は、自分の生い立ちに、こんなに興味を示してくれるなんて思わなかった。私は、自分のことを、女の子に色々教えてあげた。心の奥にある、何か重たいものが取れたような気がした。その日から、私は女の子と会うのが楽しみになった。
夕陽の街並みの中、女の子は、ねぇねぇ聞いてといつもの調子で、今日あった出来事を話してくれた。私は、女の子の話を、ただ頷きながら聞いていた。しかし、私の方から女の子に話をすることはなかった。いや、できなかったと言ったほうが正しいかもしれない。私は、へぇ、そうなんだ、と応え続けた。
女の子は、私の様子がいつもと違うことを察したのか、不意に心配そうに私の顔を覗き込んできた。私は、女の子のそのあどけない表情を見つめ返すことができなかった。私はあたふたし、自然と視線を下げた。しばらく2人の間に沈黙が流れた。
おねえちゃん、どうしたの。
女の子が、私に聞いてきた。私は戸惑った。今、私が心に思っていることを、ここでしっかりと話しておかないといけない。そう思った。
実は・・・・・・、私ね。明日から社会人になるんだ。
女の子は、不思議そうな目で、私の目をまっすぐに見つめていた。
あ、社会人ってわからないよね。お仕事をする人って言えばいいのかな。
私、ここから離れた場所にある会社で働くことになったんだ。とっても遠くにある場所なんだ。
でも、そこの人は、こんな私と一緒に働きたいって言ってくれたんだ。私、とてもうれしかった・・・・・・。
女の子は、静かに私の顔を見つめていた。私は、少し口をつぐんだ。そして、息を整えて言った。
私、これから1人で暮らしていくんだ。今まで暮らしてきた家には、もう帰らないんだ。だから、もうこのバスに乗るのも最後になるんだ。
そうなんだ・・・・・・。女の子は、私の話を聞いて、悲しそうにうつむいた。2人の間に、静寂が流れた。
また、会える?
女の子は、そう私に聞いてきた。
私は、すぐに答えられなかった。しばらくして、うん、また会えるよ、そう応えた。
女の子は、少しの間、私の顔を見つめた。そして、急にランドセルの中から紙切れと鉛筆を取り出して、何か書き始めた。
これ、あげる。
女の子は私の手の平に、ある物を渡してきた。
私は、そのある物を眺めた。これは・・・・・・。
おねえちゃんが寂しくなったら使ってね。
私は、女の子の目を見た。そして、うんと応えた。
今まで、色々とお話ができて、楽しかった。あなたに出会えて、良かった。本当に、ありがとう・・・・・・。
夕陽の中、バスは2人を乗せて、ゆっくり進んでいった。バスの乗客は、まばらだった。
私は女の子と、またいつものように他愛のない話をしながら、きゃっきゃと笑い合った。
手の中に、女の子がくれた小さな「また会おうね切符」を握りしめながら・・・・・・。
通学路 執行 太樹 @shigyo-taiki
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