かぐや姫の思い出

秋色

Memory

 太陽が沈んでいない昼間にも月が見える事を知ったのは、会社の屋上で午後の十五分を過ごすようになってからだ。


 僕達のオフィスでは当時、ティータイム制度というものがあり、昼の四十五分の休憩時間とは別に、午後三時から四時までの間に十五分間のティータイムが設けられていた。文字通りお茶やお菓子を食べて過ごす女子社員もいるが、基本、過ごし方は人それぞれだ。


 屋上というと、オフィスに入っているビルディングには屋上庭園がある。だからそこで過ごす社員が多い。だが、僕が行くのは、屋上庭園とは反対方向にある、何も無い一角だ。

 どうしてこの場所を選ぶのかというと、喫煙が認められている唯一の場所だから。


 少人数のオフィスの中で、喫煙するのは僕一人。以前はもっといたけど、禁煙する事で給与にも禁煙加算がつくようになってから次々に喫煙者は減り、僕一人となった。僕としては禁煙加算なんて、どうでもいい。お金はほしいけど、どうせ長く居たい職場だとも思ってないし、そこまで我慢したくないというか。


 だからこの屋上の狭いスペースには、ほぼ僕一人。ほぼというのは、よく現れるもう一人の社員がいたから。

 秘書的な雑用をしている月野冴香さん。一緒に煙草をくゆらせる仲ではない。月野さんは煙草を吸わない。彼女は単に空を見たり、手帳を確認したりしているだけ。


「人と接するのが苦手だから、ここがちょうどいいの」


「じゃ僕、邪魔かな」


「ううん、大丈夫」



 そう言って黙り込む。ぶっきらぼうで有名だった。

 僕より三才年上で三十才の月野さんは、僕にだけ、ですます調でない話し方をした。かと言って、タメ口でもない。

 そんな彼女がよく、午後に空のてっぺんに見えている、薄っすらとした半月を見上げていた。それで知ったんだ。ああ、夜にならなくても月って見えるんだ、と。






「月は夜になると、綺麗に輝くから、みんな夜の月ばかり褒め称えるけど、朝方に見える時期もあるし、午後三時頃から見える時期もある。でも薄っすらと目立たないから、話題にのぼらない」


「そっか。夜の月は、結婚式の花嫁みたいなもんか……」


「え?」


「従姉妹の結婚式に行った時、いつも普段着を着てるとこしか見た事のない従姉妹がドレス着て変身してたから。あと、大学の同級生同士で結婚したカップルの結婚式でも、そんな風に感じた事あるから」


「つまりぱっとしない女の人が見違えるように綺麗になるって事?」


「そう。例えが良くなかった?」


「いいえ、そんなふうに感じるの、当然かもね。その一日のために一生懸命頑張って綺麗になるものなのよ。

 でも私は輝いて目立つ様になった月が褒めそやされているのより、目立たない月を見ている方が好きなの。それに他にも実は目には見えない星が昼の間もあるんだと感じるのが好きなの。ヘンかな」


「別にヘンだとは思わないけど」

 

 正直、変わっていると思った。でも分かる気もした。なぜなら月野さんは、いつもは後ろで一つに束ねている髪を、その屋上では下ろす事があって、その時、すごく変身したなぁと思わず見惚れてしまったから。そしてそれを知っているのは自分だけという事に、知らず知らず幸せを感じていたから。これが午後の空に浮かぶ月を見る意味なのかもしれないな、と感じた。






 いつも月野さんが手帳を開いて何か書き込んでいるのを見ていたから、ある日、訊いてみた。「いつも、何を書き込んでいるんですか?」

 なぜなら予定を書くにしては、首を傾げて考え込んでいる様子もあったから。


「ちょっとね……。短歌を書いてるの」


「へえ、すごい。どんなやつ?」


「恥ずかしいからいいよ。大体、川瀬君、短歌になんて興味あるの?」


「いや、ない」


「ほらね」月野さんは笑った。


「でも、短歌が趣味なんて、それに苗字もだけど、本当に月野さんて、かぐや姫みたいだよね」


「かぐや姫? そんなに古風に見えるって事」


「うん。良い意味で。僕、高校の古文は苦手だったけど、なぜか竹取物語の話だけは好きだったんです」


「へえ、そう。意外な一面かも。どんなところが?」


「かぐや姫が綺麗でじいちゃんばあちゃんにはいい子なんだけど、でも誰にもなびかないような所かな」


「ふふ」


「でね、古文の先生が授業の時、竹取物語について、一つの質問をみんなにしたんだ。でもその答えは言わないで、そのまま卒業したから、何か今でも答えが気になってる」


「どんな質問?」


「かぐや姫は、なぜ結婚を申し込んできた高貴な青年達に、無理難題の宝物を要求したのか、という質問」


「その答えを先生は授業で言わなかったんだ。川瀬君以外のクラスメートは何か言ってた?」


「ううん、誰もそんな事、気にならなかったみたい。答えは決まってるって言ってたやつもいる。かぐや姫は、どうせ月に戻らないといけないから断る口実だったんだろうって。でもそれなら普通に断ればいいじゃんって話。もしかしたら僕が休んだか何かの時に、古文の先生は答えを言ったのかなー」


「言ったかもしれないし、あえて言わなかったかも。でもきっといい先生だったのよね。そんなに気になる事を心に刻んでくれたんだから」


「そうなのかな」


 そう言って空を見上げる月野さんの後ろ姿は儚げで、月を見て故郷を、本当に住むべき場所を恋しがっているかぐや姫みたいに見えた。結婚を申し込んだ若君達は、きっとかぐや姫を守ってあげたくて、宝物を探す旅に出たんだよ……なんてふと胸をよぎった。




 ***

 

 そんな会話も今では懐かしい。

 ある日突然、彼女は職場を去った。彼女が去った後、お掃除のおばちゃんから、彼女から言付ことづかったという、小さな手紙の入った封筒を渡された。


 そこには短く書いてあった。

「突然、こんな形でいなくなってごめんなさい。川瀬君だけには挨拶したかったのに。

 いつか竹取物語の話をした時、答えの分からない疑問について話しましたね。

 なぜかぐや姫は求婚者達に、手に入らないような宝物を要求したのか。私は、こう思います。かぐや姫は、何でも欲しいものを用意すると言う求婚者達を前にしても、宝物を手に入れられるのは自分だけと感じていたのではないでしょうか。本当に欲しいものを手に入れる手腕を持っているのは自分だけだと」


 そんな彼女が何らかの『会社にとって都合の悪い事』を水面下で行なっていたという噂を聞いたのは、その数日後だった。会社が経営を完全電子化する直前に辞めたのは意図的だった。しかもそれは、会社にとっても表沙汰には出来ないような、調査されるとかえって会社の体面が傷つくような事で、彼女が再三、その件から自分を降ろさせてほしいと願い出ていた事に関係しているとか。

 喫煙者の僕がいるにも関わらず、屋上で他の人の来ない方のスペースを選んだのも、そんな理由からだったのだろう。おそらく屋上で見つめていた手帳に書き込んでいたのは、短歌でなくそんなデータ。月野さんは、僕が短歌に興味なんか持ってなく、「恥ずかしいから」と言えば、しつこく聞かれる事がないのも分かっていた。


 もしその話がなければ、目立たなくて、か細く守ってあげたくなるような彼女の事は、淡く甘い思い出として、僕の中にずっと残っていただろう。そう、密かに憧れていたんだ。

 ただ、今こうして見上げている空に昇っているあの儚げで薄っすらとした月も、実は人が着陸できるくらいの、どうにかしたら住めるかもしれないくらいのしっかりとした固形の天体なんだという事を月野さんから教えてもらった気がする。

 悪女のかぐや姫からもらったのは不思議な勇気だったり。

 だから転職した今も、午後の沁みるような青空に浮かぶ白い半月を、こうしてとあるビルの屋上の片隅から見上げている時、幸せな気分になるんだ。




〈Fin〉

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