分かるように説明してくれ

「おい、かがり


 手にしたモップで床を磨く俺に、入ってきた藤堂ふじどうの叔父貴はしかめ面をした。


「そんな真似、若頭がするんじゃねぇ。若ぇのが戸惑っちまうだろうが」

「うす」


 すぐに手を止めて直立してみたら、つい不謹慎に笑いがこぼれる。叔父貴は不思議そうな顔で腕を組んだ。


「なんだよ……笑うところあったか、今」

「いえ、昔の叔父貴だったら、まずぶん殴られてました。そこから説教されて『殴られてぇか』って続くのを思い出しただけです」

「……それ、もう殴ってるよな、俺」

「うす。いつもそうでした」

「酷ぇヤツだな」


 他人事みたいに聞き流して、「さてと」と叔父貴はピンストライプの襟を正した。少しだけ険しくなった横顔を目にして、自然と背筋が伸びたのを覚えてる。


正樹さんとの話し合い……宜しく頼みます」

「おぉ」


 短く応えた叔父貴は、事務所のドアまで歩いた後、ガタイの良い背を向けたまま、低い声を漏らした。


「若のやり方は間違ってる。今の時代にゃ合ってるのかもしれねぇが……お前は義理と人情、忘れるんじゃねぇぞ。そのへん親父が大事にしてたの、お前も知ってんだろ」

「うす」




 そこで目が覚めた。妙にリアルな夢だったが、ソファーで目覚めたからには、こっちが現実だ。

 若頭がソファーに寝転がるなんて真似、他の組員がいたら絶対にできない。何より組長オヤジに間違いなくどやされる。


 そう苦笑いしたところで、葬式が済んだばかりだったのを思い出した。やっぱり、残念だがこっちが現実だ。



「おはようございます、兄貴」

「……おう」


 ニコニコと微笑むカツは、鼻歌交じりでカップ麺にお湯を注いでいた。もう何日も嗅いでいるその匂いに、少しげんなりする。


「なぁカツ……そろそろ米とカップ麺以外にしねぇか」

「良いんですか?そんなに在庫ありませんけど」

「そうだよなぁ……」



 事務所の一階は、カツのような若手の住み込み部屋になっている。下で寝泊まりしながら、二階の事務所の掃除や雑用をする為だ。

 だから米やカップ麺といった食料の類も、いくらか備蓄があった。ただ、カツが心配するように、残りはそれほど多くない。



「減ってきてるのは食料だけじゃありませんよ。拳銃チャカ弾丸マメだって、もう多くないですよね」

「……確かにな」



 拳銃も弾丸も、以前「始末しておけ」と、ある幹部に渡されたのを、カツが奇蹟的に忘れていた幸運の賜物だった。


 始末しろと言われたもの拳銃なんて、間違いなくろくなものじゃない。

 発覚が今で良かった。こっちに飛ばされる前にバレていたら、カツは今頃間違いなくマグロの餌だ。


 その貴重な弾丸も、もう二十発を切っている。



「どうすっかな」


 カップ麺をすすりながら思案に耽ったが、それもすぐやめた。

 考えてみたところで、現状、なるようにしかならない。良くない頭を使うより、やれることをやるしかない。



「食ったら見回り行くぞ。あと、それ食ったら晩飯抜きだからな」

「マジですか……腹減ったなぁ……」


 二個目の封を開けたカップ麺を前に、カツはいつまでも名残惜しそうに箸をくわえている。




 ビールと言いながら発泡酒を出す煤けた焼き鳥屋。組の収入源のひとつだったキャバクラ、親父行きつけのバカみたいに高いステーキ屋。


 いつも眺めて思う。飲食街は人がいてこそだ。がらんとして人気ひとけのない店は、どことなく死んでいるみたいに感じる。


「今日は魔物の痕跡ないですね」


 スナックを後にしながら、鉄パイプを肩にしたカツが辺りを見回している。


「それにしても、みんなどこに行ったんですかね。俺らと同じ、転生しててもおかしくないのに」



 カツが首を捻るのも、もっともだった。


 転移したと思われるあの日、事務所には俺とカツの二人しかいなかった。正樹さんが四人、藤堂の叔父貴が五人、それぞれ舎弟やら幹部やらを引き連れて出ていったからだ。

 だから、飛ばされた時に俺ら二人しかいなかったのは納得できる。


 だが、一緒に巻き込まれた飲食街、アパートや雑居ビル、果ては住宅に至るまで、人間の姿を今のところ見ていない。

 あの時間、例えば焼き鳥屋なら仕込みの時間だろうし、一般家庭なら誰かしらいたっておかしくないはずだってのに。


 この町内が飛ばされてきた時、それぞれの場所にいた人間は、みんなどこに行っちまったんだろうか。



 そんなことをぼんやり考えていた時、少し先を歩いていたカツが口に人差し指を当てて姿勢を低くした。何かいる合図だ。

 息を殺して屈むと、無意識に内ポケットに忍ばせた拳銃の重みを感じる。


 弾丸の残りが少なかろうが、今は気にしている場合じゃない。ここいらを荒らす奴は、誰だろうと容赦しない。



 スナックポメラニアン。


 カツが親指で指したのは、この辺りじゃちょっとした有名人、麗美レイミママが営んでいた手狭なスナックだった。

 酔って付けたに違いないネーミングセンスだが、看板の端っこに書いてある犬の絵は、確かにママに似ていなくもない。


 ドアの前で耳をそばだてると、確かに中でゴソゴソと物音がする。振り返ったカツが、こっちを見て小さく頷いた。頷き返しながら拳銃を取り出す。

 

「おぉら、大人しく手ぇ上げろ!」


 半ば蹴り破るように踊り込んだカツに続いて、スナックへと足を踏み入れた。薄暗い店内に、ホコリの匂いが立ち上る。


「きゃああぁ!も、申し訳ありません、どうか乱暴だけは!」

「……ひ、人……?」

「じゃねぇな」


 予想外の事態にうろたえるカツの背後で、じっと目を凝らした。


 カウンターの中で両手を上げているのは、恐らく女。だが、その耳の先はツンと上を向いている。

 恐ろしく色白で、目鼻立ちがとんでもなく整っている。つまり美人だ。それだけじゃない。


「でけぇな、姉ちゃん」


 思わず口を突いて出た言葉に、カツは女と俺を交互に見返す。


「確かに……190ある兄貴よりも、ちょっとだけ高いですね」

「だよな。なかなか見ねぇぞ、こんなバレーボール選手みたいなよ」

「ですよね、そう思いますよねー……これね、理由があるんですよ」


 ニヤリと笑ったカツは、勿体ぶった言い回しで俺をしっかりイラつかせた後、女に向き直った。


「お姉さん、エルフですよね?スゲー、初めて会いました!」

「その……エルフ……ってのは何だ」

「異世界の住人ですよ。ほとんどの異世界には、人間の他にもいっぱい種族がいるんです」


 まるで見てきたように、カツは胸を張る。


「エルフは自然と共に生きる種族なんです。大概は高身長でイケメンか美女。作品モノにもよるんですけど、万物の根源とも言える精霊をもっとも身近に感じられる存在で、」

「分かった、もう良い」


 フルオートでペラペラ喋りつづけるカツを無理やり遮った。何を話しているのか全く理解できない。じんわり頭が痛くなってきた気もする。



 拳銃を手にしたまま、震える女の前にカウンターを挟んで立った。


「おい、尖り耳の姉ちゃん」

「エルフですって、だから」


 小声でカツに訂正されたが、構わず話を続ける。


「この辺りはうちの縄張りシマなんだ。手荒な真似はしたくねぇ。大人しく出てってくれ」

「で、出て行けと言われましても…」


 小さく震えるエルフとやらを前にしながら、ふと胸の真ん中に小さい引っかかりを覚えた。


「カツ」

「なんです」

「言葉が通じてるぞ。日本でもねぇのに。なんでだ」


 素朴な疑問がおかしかったのか、カツは一度盛大に吹き出しやがった。頭に来たので、晩飯のカップ麺はミニサイズにする事を黙って決める。


「そっか、そりゃまぁ変だなって思いますかね……これ、転生モノあるあるですよ。気にしなくて大丈夫です」

「……そうか、分かった」


 どうせ詳しく聞いたところで分からない。それに、カツが大丈夫と言いきるだからおそらく問題ないんだろう。自分にそう言い聞かせた。


「話を戻すぞ」

「は、はい……」


 今にも消えてしまいそうなエルフに、最後通告を突きつけようとしたその時。

 スナックの安い建て付けをビリビリ震わせて、何かの声が辺りに響き渡った。

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