転移者ヤクザ、相変わらずシマを守る

待居 折

ここがどこかは知らねぇが

「なぁ、喉乾かねぇか」


 運転席で首元のボタンを外しながらそう言うと、嫌な気配でも感じたのか、助手席のカツは何か言いたげな顔でこっちを向いた。


「まぁ……今日も暑いですし、そりゃ多少は」

「決まりだな。あそこの自販で何か適当なモノ買ってきてくれ」

ですよ。外、暑いじゃないですか」


 提案を秒で拒否したカツは、俺に小銭をまさぐる隙も与えず続ける。


「そんなこったろうと思ったんですよ。自分だけエアコンの効いた車にいようだなんて、そうはいきませんからね」


 こうもきっぱり断られるといっそ清々しいが、何をどう言ってみたら良いのか分からなくなるのも確かだ。


 とりあえず、ここは互いの立場をはっきりさせておくべきだな。


「なぁカツ。俺はお前の兄貴分、つまりお前は俺の舎弟なんだが……そのへん、分かってるよな」

勿論もちろん分かってますよ。でも、それとこれとは話が別です。兄貴分だからってなんでも許されるわけじゃありません。パワハラみたいなもんですよ?」

「ヤクザもコンプラ遵守の時代かよ」


 思わずこぼした俺をよそに、ストライキよろしく派手なアロハが助手席に寝転がる。思わず溜め息が漏れるが、自分の口角が上がってるのも知っていた。


「……じゃあ一緒に買いに行くか」

「いや、それ大丈夫ですか?見張ってないとマズいでしょ?」

「お前が一人で涼むのは納得できねぇ」


 言い放って運転席から出てみれば、やっぱり今日もバカみたいな青空が広がってた。薄い色のサングラス越しにも、明らかに強い日差しを感じる。


「しっかしクソ暑ぃな」

「まぁずっと雨より良いじゃないですか。俺、何にしよっかなぁー……」


 しかめっ面でぼやいた俺を置いて、カツは自販機以外には目もくれず、一直線に通りを渡っていく。ぎょっとして、ついデカい声が出た。


「バカ、浮かれてんじゃねぇ!危ねぇだろうが!」

「いや兄貴、そろそろ慣れましょうよ」


 自販の前で突っ立ったカツの苦笑いに、ふっと一気に引き戻される。


 下手しもてに見える無人のコンビニ。永遠に来ない車を待つ信号。見慣れたいつもの景色なのに、この町内は物音ひとつしない。


「……そういやそうだったな」


 煙草をくわえて火を点けると、立ち昇った紫煙が空に消えていく。

 うっかりしてると忘れちまう。いつもの青に見えるその空は、異世界の空だ。




 そもそもの発端は、組長オヤジがぽっくり逝っちまった十日前に始まってた。


 広域指定暴力団、卦樽井けだるい組。うちみたいな枝葉の先の先の小さな暴力団でも、一丁前に跡目争いは起こる。

 実の息子の正樹さんと、最古参幹部の藤堂ふじどうの叔父貴。もともと仲が良くなかった二人の間に、組を割りかねない深い亀裂が走ってた。


 任侠を重んじる古いやり方を好む叔父貴と、目新しい物事を取り入れたがる革命派の若。正直、どっちのやり方も分からなくはない。

 ただ、組長オヤジが死んじまって早々、目の色変えて争う意味が俺にはまるで分からなかった。だから、どっちから声をかけられても、色よい返事はしないままでいた。

 勿論、そんな俺を放っといて、いざこざは毎日続いてた。



「……どっかに消えちまいてぇな」


 事務所の屋上で煙草をふかしながら、あの時確かにそう口走った。何にも考えていないカツが、隣でただヘラヘラしてたのも覚えてる。


 そこで急に目眩がした。煙草でクラッときたにしては、やけに強かった。

 両膝をついてすぐ、両手までつく羽目になった。ぐるぐると目が回るどころか、上下左右さえ分からなくなった。


「あれ?俺……うぶぇ」


 隣で盛大にカツが吐く音がしたが、心配してやれるほどの余裕はなかった。流れる脂汗を感じながら、感覚が戻るのを黙って待った。



 どのぐらい苦しんだだろう。


 体感じゃ一時間とも二時間とも思える目眩が収まって、ようやく身体を起こすと、三階建ての屋上から見える世界は、俺が知っている光景じゃなくなっていた。


 事務所を中心に、西の飲み屋街、東の雑居ビルやアパート辺りを含めた一区画は言うまでもなく良く知ってる光景だ。

 ただ、そこから先に広がってる、だだっ広い草原といくつかの森には、まるで見覚えがない。

 ずっと遠くには街並みらしいものも見えたが、いわゆる現代のものには見えない。なにより、いわゆる西洋の城が街の中央に立っている。


「い……異世界に転移したんですよ、これ……。俺と兄貴、事務所の周りだけが飛ばされたんです、きっと」


 震えながらも、カツはどことなく嬉しそうに見えた。

 暇さえあれば漫画やアニメばっかのコイツには思い当たるふしがあるのか、こんな状況もすんなり呑み込めるらしい。どうにもイカレてる。


「兄貴、どうします?魔物を倒しまくって勇者になったり、こっちで新しく商売始めたり……相場じゃなんでも出来るってことになってるんです、俺らだってきっと」

「何もしねぇよ」




 そう答えたのを思い出しながら、缶コーヒーのボタンを押す。



 父親は俺がガキの頃に野垂れ死に、その後には母親も失踪。嫁も子供もいなけりゃ、自分のマンションも帰って寝るだけ。

 ちょうど跡目争いにもうんざりしていたし、戻れないなら戻れないで、むしろ気が清々せいせいする。


 そして、身寄りも行く宛てもなく、そもそも思い残すようなことがない俺にとっては、拾ってもらったこの事務所と周りの狭い世界が、文字通りの「全部」だった。

 心に馴染んだ場所が一緒に転移してきたから、こんなに落ち着いていられるのかもしれない。


 なんにせよ、この悪ケ山あしがやま三丁目を荒らす奴は、相手がどんな化け物だろうと生かしちゃおかない。

 そう決めて、カツと二人で毎日町内を車でぐるぐる回ってる。



 車に戻って二十分は経った頃、カツが隣で「お」と声を上げた。身体を低く起こして目をこらすと、小路を曲がって消えていく人影が見えた。


「来ましたね」

「……三匹か」

「みたいですね」


 ジャケットの内ポケットから拳銃を取り出し、安全装置を外しておく。一足先に車を降りたカツは、後部座席から鉄パイプを引っ張り出している。


「行くぞ」

「うっす」


 一歩踏み出した車外は蒸し暑い。ジャケットを運転席に放り投げた。

 錆びた自転車や傷んだスナックの看板が飾り立てる小路を、袖をまくり上げながら急ぐ。


 標的の背中にはすぐに追いついた。やはり数は三匹。頭を突き合わせてなにか会話を交わしているように見える。


「おい、お前ら」


 大声を投げつけると会話はぴたりと止んだ。振り向いた奴らの上背は俺と大して変わらない。

 ただ、しっかり太っている身体にくっついた顔は猪そっくりだが。


「オークですね。前にもってますから楽勝ですよ」

「油断すんのが早ぇぞ」

「平気ですって。こいつら、力にモノ言わすだけですから。そうだよなぁ?」


 カツが笑いながら鉄パイプでアスファルトを叩いて威嚇した。

 ほとんど同時に、三人のオークが手にした斧やら鈍器やらを振りかざし、何かを喚きながら一斉に走ってくる。


「何言ってるか分かんねぇんだよ」


 狙い澄まして引き金を引いた。パンと乾いた音が小路に響くと、弾丸を鼻面に食らった一匹が断末魔を残してぼろぼろと崩れる。

 だが、連中の勢いは止まらない。よだれを撒き散らしながら、られた仲間のことなんざ気にせず迫ってくる。


 冷静に、もう一度引き金を引いた。弾丸は同じ軌道で飛んだが、わずかに身を捻られて耳の先を削ぐだけに留まる。

 パンと鳴った三度目の音は、化け物の右目を深く貫いていた。大きな身体がまたひとつ、燃え尽きた線香みたいに散っていく。


「そぉらよっ!」


 その瞬間を待っていたカツが、弾かれたように走り出した。姿勢を低くしたまま、鉄パイプを脛に向けてフルスイングする。

 プギイと鳴いて転がった化け物の後頭部に、カツは容赦なく鉄パイプを振り下ろした。気分の良くない音が響いて最後の一匹もざらりと崩れていくと、小汚い飲食街に元の静けさが戻った。



「いつまで来るんだよ、こいつら。相手する側の身にもなって欲しいぜ」

「何度来たって俺らで退治すりゃいいだけですよ」


 ホコリを払いながら愚痴った俺に、カツはニンマリと笑ってみせる。どうにも気の抜ける顔に、ついつられて口の端を上げちまった。


「能天気ってのはつくづく羨ましいな」

「あざっす!」

「これっぽっちも褒めてねぇんだがな」



 異世界だかなんだか知らねぇが、今はこんな毎日で充分だ。

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