君が空に羽ばたいた日
名無
第1話 君が飛べなかった日、僕が飛んだ日
9月14日。君に翼がないことが分かった。
9月17日。いつもと変りない朝を迎えた。
朝8時に起きて慣れた手つきで身支度を整える。
体が寝汗でベタベタとする。顔だけでも洗おう。
「...隈がひどいな。」
自分の顔を見てひどい顔だなと思った。
でも見る人もいないんだ。気にする必要はないだろう。
身支度を終えて部屋を出ようとしたとき、部屋の隅に置いてあるアコースティックギターに目が行く。
少し昔のことを思い出した。
◇
「私、空を飛んでみたいんだ。」
あの歌を歌う時、彼女は口癖のようにそう言っていた。
「飛んでどうするの?」
僕は疑問に思い、そう聞いてみた。
「うーん...」
彼女はギターの手を止め、小さな声で唸りながら、考えるそぶりを見せた。
「地面を歩いてる人を見下すかな。」
そう言いながら彼女は悪い顔を見せた。
「なら、君が飛べたら僕も飛べるか試してみようかな。」
そして僕たちはまた歌い始めた。
◇
「...やっぱり人は飛べないみたいだね。」
僕は玄関のカギを開け外に出る。
もう9月のはずなのに外は異常に暑く、秋の片鱗を全く感じさせない。
「...もう最後なんだ。この暑さも覚えておこう。」
玄関のカギは閉めず、アパートの階段を下りる。
行先はもう決まっている。行きなれたところだ。迷うことはない。
歩いて少しすると、見慣れたカフェの前を通った。
「そう言えば最後に彼女と会ったの、ここだっけ。」
◇
「人の生きる意味って何だと思う?」
珍しく真剣な表情で聞いてくるものだから、少し驚いてしまった。
「どうしたの?急に。」
「答えてみてよ。」
彼女が表情を変えずに聞いてくるから、少し考えることにした。
「...何かを達成するためとか?」
「うん、私もそう思う。」
彼女はそう言って話をつづけた。
「人は何かを達成するために生きている。じゃあ、その何かって何だと思う?」
「...なんだろう。」
「目標だよ。人生における目標。けど、ほとんどの人はその目標を見つけることすらできないんだよ。」
「...君の目標はもう見つかったの?」
「うん。あるよ。内緒だけどね。」
彼女は机の上にあるコーヒーを飲み干し、席を立った。
「行こうか。」
僕もコーヒーを飲み干し、席を立つ。
会計を済ませ、店の外に出る。
「「あっつい」」
顔を見合わせ二人してクスクスと笑いあう。
「じゃあ、明日は僕の家で集合でいい?」
「うん。いつもの時間に行くね。」
「分かった。じゃあまたね。」
「またね。」
二人して別々の方向に歩き出す。
「目標を達成した人は、その後どうなるんだろうね。」
僕は後ろを振り返る。でも彼女は振り返らず歩みを進めていた。
僕も深くは考えずに歩みを進めた。
次の日、君は僕の家には来なかった。
◇
「君は目標を達成できたのかな。」
独り言を呟きながら、歩みを進める。
彼女が飛び降りたと母から聞いたのは、9月14日の昼過ぎだった。
彼女が約束の時間になっても来ないから、連絡しようとした時だった。
最初は何の冗談だと思った。
彼女の葬式に出た時も何の実感もなかった。
また、いつもの笑顔で。いつもの声色で、僕の名前を呼んでくれる。
そんな気がしていた。
でも彼女の遺骨を見た時、初めて彼女はもういないんだと実感した。
「泣かなかった僕は、薄情なのかな。」
僕は行きなれたマンションの階段を上り始める。
1階 2階 3階
ふと歩みが止まる。
302号室。彼女の家だ。インターホンを鳴らせば彼女が出てくるんじゃないか。
いつもの笑顔を見せてくれるんじゃないか。
僕はインターホンに手を伸ばしそうになる手を押し留める。
「...もう...いないんだ。」
僕は手をおろし、また階段を上り始める。
4階 5階
屋上へとつながる扉へ手を掛けるが、ガチャガチャとなるだけで開く様子はない。
「普通に考えたら、開かないよな。」
僕は4階の踊り場に戻り、外を見る。
数日ぶりに見た空はどこか欠けている。そんな気がした。
「君は...飛べなかったんだろうね...」
もし飛べてたら、彼女は空を飛びながら僕のことを馬鹿にしに来るはずだ
でも君は、もうどこにもいない。
僕は踊り場の塀にのぼり、腰を掛ける。
もし、この空を飛べれば、前みたいに綺麗に見えるだろうか。
「...僕の目標。見つかったよ。」
君が飛べなかったなら、僕が飛ぼう。
そして、君の代わりに空からみんなのことを笑ってやるんだ。
僕は体重を前に傾け、重力に身を任せた。
◇
「馬鹿だねぇ。」
どこからか、声が聞こえる。この声は、忘れられない。彼女の。
声を出そうとするが、出ない。体も動かず目も開かない。
「これは君の目標じゃなくて、私のだよ?」
彼女の手が、僕の頭にそっと触れる。
「次は、自分の目標を見つけるんだよ?」
彼女の手が僕の頬を包むと、僕の意識はゆっくりと薄れていった。
◇
目を覚ますと、真っ白な天井が見えた。
「ここは...」
周囲を見ようとするが体が思うように動かない。
目だけで自分の体を見ると、足や手は分厚い包帯のようなもので包まれている。
僕は動くのをあきらめ天井に目を向ける。
僕はきっと失敗した。その目標が達成できなかったのか、それは僕の目標じゃなかったのか。
今はもう、はっきりと分かる。
僕は、かろうじて動く右手を視界の中に入れる。
昔、彼女がくれた指輪は、まだそこにあった。
「分かったよ。」
僕は滲む視界の中で、夢の中の彼女の言葉を思い出した。
「僕の目標...探してみるよ。」
彼女はきっと...空を飛べたんだろう。
いつか僕の目標を見つけて、達成したら。
いつが僕が君のもとに行けたら。
空を飛んでる彼女に、聞いてもらおう。
君が空に羽ばたいた日 名無 @iyo1022
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