IQ84ぐらい

スロ男

🤤


 似ているとか似ていないとかは、結局は主観の問題なのだ。そう教えてくれた彼女は、もうここにはなく、違う世界にいる。違う世界とはメタファーではなく、文字通り違う世界にいる、ということだ。

 僕は、これから違う世界に行くことになる。口笛を吹きながら、気軽な気持で。重々しい気持で向かったところで成功率があがるわけではないのだから、少しでも愉快な気持で向かうべきだと思うし、それでこそ成功するんじゃないか。物事とは得てしてそういうふうに出来ているのだ。100%完璧な女の子を探しに行くため、ベッドに眠る女友達を置いて、僕は井戸へと向かったのだった。

 射精後の気だるさは、きちんとベッドに置いてきた。問題ない。まったく問題ない。僕はきっと井戸を抜けることができるだろう。


     〒


 僕が彼女と出会ったのは確かクリーニング屋に向かう途中のことだったと思う。もしかすると、丁寧にアイロンのかけられたシャツを片手にかけて持っていた可能性もあるけれど、そんなことはな問題だ。大切なのは、何かを成すべきその過程で彼女と出会った、その一点なのだから。

 出会った瞬間、僕にはわかった。彼女は、僕と出会うためにここに来たのだと。けれど僕はクリーニングへ向かう/向かった後のことで、それは十分にはフェアとは言いがたい状況だった。よりにもよって僕のほうが用意ができていないなんて、ありうべからざることなのではないか?

 だから声をかけることもなく、彼女が通り過ぎるのを横目で眺めることしかできなかった。次に会う時は、せめて用意ぐらいはしておかなければ、と僕は思った。ぐらいは僕にだってわかるのだ。

 けれども結局のところ、彼女は僕を知らないまま、違う世界へ行ってしまい、そのことを知っているのは僕だけだった。

 助けに行く?

 いや、それはきちんと物事を伝えているとは言えないんじゃないか。

 彼女が助けを待ち、僕が来ることを願っているのなら、確かにそうかもしれない。

 だが彼女は助けなんて求めてないかもしれないし、そもそも僕のことを認識しているかどうかすら不明なのだ。

 僕はいま井戸の前にいる。

 井戸には門番らしき山羊の頭をかぶった一枚布の服を着た男がいた。

「Hi-ho!」と僕は言った。

「Hi-ho!」と山羊頭は言った。

 そこで、僕の意識は途切れた。


     〒


 彼女はまだ半分以上微睡んだ状態で、男の姿がないことを知った。これは、いつものことだった。男は身勝手なセックスをしたあと身勝手に眠りにつき、身勝手にどこかへ行ってしまう。それはふたりの営みの常だった。

 おそらく、と彼女は考える。

 彼は、またもやありもしない何かを、あってほしいと願う何かを幻視して、そのために行動しているのだろう。

 それは悪癖でしかなかったが、自分さえ気にしないならさしたる問題でもない、と思っていた。

 少なくとも先月までは。

 彼女は男を一人養うぐらいの財力は十分に持ってたし、それが仮に一晩でなくなったとしても、当面は困らないぐらいの金銭は稼いでいた。だから、いまの状況がこの先もずっと続くのであれば、何も問題はなかった。

 彼女はベッドにあおむけになり、天井を見上げた。それから、ゆっくりとシーツに包まれた下腹をそっと撫でた。


     〒


 ブッカーT&the M.G.’sの「グリーンオニオン」が聴こえた気がして僕は目を覚ました。気のせいではないようだった。確かに聞こえる。

 そこは部屋というよりは洞窟の中のように思えた。部屋に光源はなかったが、どこからか届く灯りでぬめりを帯びたなめらかな岩肌があるのがわかった。

 こんな場所でグリーンオニオンを聴く奴なんて、どこかおかしいに決まってる。もしかしたら「アイスクライマー」のBGMが「グリーンオニオン」のパクリだなんて、自分で思うだけならともかく、ネットで公言してしまうようなヤバい奴かもしれない。

 とはいえ、ここでじっとしているわけにもいかない。曲がより鮮明に聞こえる方角へ向かって、僕は歩きだした。

 どこかで誰かが言った。

 Hi-ho!


     〒


 彼の問題は彼固有のものだ、と彼女は考えていた。正確には、それは問題ですらなく、彼の個性というか、それが彼を彼たらしめているものだと。

 何かが決定的に損なわれている、あるいは、何かが根底から捻じ曲がってしまっているのならば、彼女にももう少し焦りのようなものがあったかもしれない。もしくは、私がなんとかしなければ、といった使命感が。

 これまではそれでよかった。

 いうなれば、彼と彼女は他人に過ぎなかったのだから。

 だが、

 彼のアパートで、彼の買った玉子を焼きながら、ぼんやりとした不安と期待を持て余している。

 

 洗いざらしのTシャツの下、特に変化のないように見える自分のお腹を眺めてから、彼女は上手にフライパンを返して、両面焼きの玉子焼きをほとんど完成まで持っていった。


     〒


 洞窟は多岐に渡っていた。まるで横に寝かせたみたいな有様だった。ケースの中にあるそれとは違って、どこまでも果てしなく続くように思えた。だが有限でない物なんてないし、果ては必ず有る。それは絶対の真理だ。

 彷徨いながら、時に戻って違う道を試しながら、僕はようやく目的の場所に着いた。

 彼女は、いた。

 いや、かつて彼女であったものが。

 それはほとんど彼女そのものだったが、僕が探していた100%完璧な彼女ではなかった。

 彼女は蟻にかしづかれ、まるで長い眠りから覚めた眠れる森の美女のように、楽しげに鼻歌を歌っていた。

 そのメロディは間違いなく、ホッピングマッピーだった。人それぞれに趣味はあるし、人の趣味をくさすような人間にはディセンシィというものが足りない。そうとわかってても、そこはせめてパックランドであって欲しかったと僕は思った。

 彼女は僕に気づいて、微笑んだ。

「でぃぐだぐ」

「君が何を求めてるのかはわからない。けれど、僕は君を救わなくてはいけない」

 寂しげに俯いて彼女は言った。

「ぐろぶだ。りぶる」

『らぶる』と、我々は声を合わせて言った。それは破滅の呪文だった。

 この世界を壊す、そして元の世界へと帰るための、破滅の呪文。

 もしかすると彼女はずっとここにいたかったのかもしれなかった。それでも我々は元の世界へ帰ることを選択した。僕と彼女が出会ってなかったことも、「似ている似ていないは主観にすぎない」などという会話がそもそも存在しなかったことも含めて、すべて関係なくこの世界は終わり、残された世界へ戻ることしか、我々にはできなかったのだ。


 目が覚めたとき、おおよそ完璧からは30%ほど値引きされた彼女のベッドで目を覚ました。僕のペニスもおおよそ三割ほど存在理由レーゾンデートルを失っているように見えた。


 似ているか似ていないかは主観にすぎない。もし本当に似ているかを知りたいのなら文体診断ロゴーンにでも文章を突っ込み、その結果を見ればいい。村上春樹の文章がサンプルとして投入されていると仮定しての話だが。そして村上春樹の文章は投入されてはいないのだが。それでも結果はわかっている。

あなたの文章はことだけが真実だ。


 そんなふうに思うと少しだけ安心して、寝息を立てる40%ぐらいは完璧な彼女の横顔を眺めることができた。


 女友達とは、すっぱり縁を切ろう。

 おそらくそれが一番誠実なことだと僕は考えた。

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