その人は定義を嫌うから

だらく@らくだ

🍓



午後十九時頃のことだった。確かにその人はいた。

僕は驚くばかりだったなぜなら「川を見ながらアイスを食べるのが趣味」な人などこの世に存在しないと思っていたからだ

しかも、僕が住んでいるこの街に居たのである。この橋を知っている、この川を知っている、僕の目の前にいる、なんて有り得ない確率だろう

「あなたがマッチングアプリで約束したアイスを川を見ながら食べるのが趣味な人ですか?」

教科書の英文を隣にたまたま居た人に聞かせる様に恐る恐る僕はその人に聞いた

「ええ、そうよ。

三峰井乳檎みつみねいちごあなたは?」

「ぼく…あ…高橋透たかはしとおるです」

こうして、互いにお辞儀をしてやっと目的が始まったのだった

いちごさんと名乗った女性は黒のメッシュ帽

胸元に四角く模様がプリントされたシャツ、

それからショートパンツと言った格好だった

大して僕はランニングシャツに少し色褪せた

ジーパンと言った具合に格好は良くない

どうしてこんな格好で来てしまたっんだろう

「あら、同じアイス。ひまわり堂の」

「あ、そうですね…えへへ」

互いに橋の上に置いたアイスは同じメーカーの同じサイズの抹茶アイスだった

「そうよね、抹茶アイスならひまわり堂が

一番美味しいね。嬉しいわ」

「あ…」

顔を合わせようとしたら、いちごさんの谷間を見てしまい、思わず顔を逸らした。汗ばんだシャツ、下着がほんのり透けていた

「目を逸らしちゃいけないわ。川があんなに

寂しがっているのに。ほらごらんよ」

いちごさんは右手で川を指さした。夜の川は

黒と街灯の白を混ぜない様にゆっくりゆっくり揺れていた。きっとこの下には魚や虫が眠る準備をしているのだろう

「不思議ですね、川って透明なはずなのに

昼間は青く見えたり、夜はこうやって黒く見えたり色が変わるんですもの」

「川は呼吸をするからね。あむっ」

いつの間にか開封した自分のアイスを

「しゃっ」とスプーンで一掬いして、いちごさんは食べた

「呼吸を…色を吸うんですか。面白いこと言いますね。あなた」

そう、けらけら笑う様に言いつつ、僕もまた

抹茶アイスの蓋をぺりりと開けた

「そうね、あの子にもそうやって笑われた」

「あの子…?」

途端、いちごさんは両肘を橋に置いて、上を向いた

「昔一緒に過ごしていた子が居たの。その子も

ここで抹茶アイスを食べる…いや、舐めるのが好きでね、それを思い出しちゃった」

「それは失礼しました」

僕はこの時、自分の中で勝手にいちごさんの

言う"その子"はもう死んでしまったんだろうなと思っていた。だからすぐに謝った

「可愛くて馬鹿な…黒猫の使い魔だったわ。

今は違う人のとこで頑張っているけれど」

「うぐぅっ…」

生きてるんかい!!と心の中でツッコミを

入れてしまった。咥えたスプーンを喉に詰まらせてしまうところだった

ていうか猫の話だったんかい。何だよ

「ところであなたはなぜここで抹茶アイスを食べるのが好きなの?」

「あ、ああ…実は…」

僕は小さい頃、母親と一緒にこの橋を渡った先にある銭湯に行っていた。その帰りにいつも母親が買ってくれたのがひまわり堂の抹茶アイス、それをいつも家まで我慢出来なくて

この橋で食べていた。そして今日も

「ふぅん…素敵な話じゃない。はい、お礼」

いちごさんはにこやかな顔で一口、自分のアイスを僕の口に入れてくれた

「そう言えば使い魔ってさっき言ってたけれど

あなた、まさか魔女なんじゃ」

浮かれてしまった僕は心の中で言おうとしていた事をつい口から漏らしてしまった

しかし、それに対しいちごさんは尚も笑ったままで

「どうしてそう思うの?」と逆に質問した

「だって使い魔って言ったら魔女ぐらいしか

当てはまんないから」

「でももしかしたらただの猫を使い魔と呼んでいるだけかもしれないよ?だったら?」

「うむむ…」

その時、彼女の背後に白銀の翼を見た気がした。その更に向こうの一軒家は灯りをそうっと消したらしい

「そう、あなたには使い魔がいれば魔法使いが

共に生活していると…定義があるのね。でも

私の定義から言えばあなたが魔法使いに思えるけれど?」

「え…っ?」

いちごさんは目をしっかりと開いたまま、

僕をじいっと見つめた。地獄から糸を上り

極楽を目指す罪人を待っている様に笑って

「どうしてそう思うんですか?」

僕は若干、不機嫌そうに言った

「ないしょ。それよりもアイス…」

「え、え!?ああ!?」

彼女に指を刺され、やっと気づいた。だが、

手遅れである。僕の手元のアイスはどろりと

沼の様に溶けてしまっていたのだった

嘲笑うかの如く、その横を赤いスポーツカーが制限速度オーバーで通り過ぎて行った

「ど、どうしよう…あわわ」

手もべたべたになっていた、暑さのせいなのかシャツも汗びっしょりで気持ち悪い

「揺らしちゃ余計だめよ、貸してごらん」

「あ、ちょ」

いちごさんはすっ…と僕からアイスを取り上げると、自身の唇をそっと当てた

それはたった数ミリの唇の凹みだった

だが、その凹みが戻ろうとする瞬間を見てしまった僕はとてもいけない事をしている気分

とにかくもどかしくて堪らなかった

「はいどうぞ」と渡されたアイスは開けたばかりの様にカチコチに凍っていた。スプーンも

半分までしか刺さらないぐらいにだ

「今のって…まほ」

言いかけた僕の口に彼女はスプーンの先を

押し入れた。舌の先に雪が降った日の朝の様な冷たさが乗っかった

何かを察したのか僕は

「おいひい…です」と力無く言った

いちごさんは目を猫みたいに弓なりにしながら「やっぱり…君って面白いね」と呟いた

その時、一瞬見えた八重歯はまだ菌と触れ合った事すら無い様に綺麗で、思わず川面へ

僕は目を逸らしてしまった

幸い、川面は真っ暗で顔なんか反射しやしない。きっと恥ずかしい顔だったんだろう

この日を境に僕も彼女も抹茶アイス以外を

好む様になってしまった事だけが未だに申し訳ないと思っている

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